自警録 / 第三章 強き人・よく耐うる人は強き人
ドイツの先帝フリードリヒ陛下が不治の病気に罹りて数日間病床に呻吟し、しかもその病気は苦痛の最もはげしいものであったので、かたわらに侍するもののみならず、国民全体がふかき同情をよせ、一日も早くご平癒あらんことを祈った。あまりに苦痛のはげしいときは、呻りでもすれば、幾ぶんか苦痛の気休めにもなり、また世人はよく覚えず呻りやすきものであるが、帝は決して呻られたことなく、またかつて苦しい顔色を示されたこともなく、つねに莞爾として左右に接せられた。ほとんど病苦のその身にあることを知られなかったようであった。崩御の数日前、今のカイゼルを枕頭に召され、 「小言を言わずに、堪うることを学べ」(Lernen zu leiden ohne Klagen) と訓えられたが、フリードリヒ帝の強さは相応に解った人でなければ図り得ぬことである。ドイツの植民地よりまっ裸の黒人を連れて来て先帝の病床に侍せしめ、あるいは子供を左右に侍せしめたならば、彼らはおそらく先帝はなんらの苦痛もなく、やわらかい布団に横臥しニコニコと喜べるものと思い、しかしてかくまでにうれしそうな顔しておらるるなら、何ゆえに外出して馬にも乗り、観兵式にでも出られぬと疑ったであろう。 桂公爵の人格もしくは政見等については人々の考えは種々に分かれているようであるが、公のただ人ならざりしことは、何人も同意であろう。して辛抱づよい点は公の長所であった。長日月病床に臥しながら、公の身辺に侍べる者にさえ苦しき顔を見せなかったという。公に知られぬようにこっそり覗いて見るとさも痛そうな顔色をして痛みある局部をみずから摩っていても、誰か病室に入れば、ただちに面相を変え、痛みなき風をよそおったという。 戦場に死するはことの外たやすい、何故なれば死ぬように万事仕向けてある。すなわち周囲が死を促がす、ゆえに見事に死ぬ。しかし長らく病疾にかかりてなお帰るがごとく斃るるは容易の業ではない。強き人はよく耐える。よく耐える人を強者という。
書き下し
ドイツの先帝フリードリヒ陛下が不治の病気に罹りて数日間病床に呻吟し、しかもその病気は苦痛の最もはげしいものであったので、かたわらに侍するもののみならず、国民全体がふかき同情をよせ、一日も早くご平癒あらんことを祈った。あまりに苦痛のはげしいときは、呻りでもすれば、幾ぶんか苦痛の気休めにもなり、また世人はよく覚えず呻りやすきものであるが、帝は決して呻られたことなく、またかつて苦しい顔色を示されたこともなく、つねに莞爾として左右に接せられた。ほとんど病苦のその身にあることを知られなかったようであった。崩御の数日前、今のカイゼルを枕頭に召され、 「小言を言わずに、堪うることを学べ」(Lernen zu leiden ohne Klagen) と訓えられたが、フリードリヒ帝の強さは相応に解った人でなければ図り得ぬことである。ドイツの植民地よりまっ裸の黒人を連れて来て先帝の病床に侍せしめ、あるいは子供を左右に侍せしめたならば、彼らはおそらく先帝はなんらの苦痛もなく、やわらかい布団に横臥しニコニコと喜べるものと思い、しかしてかくまでにうれしそうな顔しておらるるなら、何ゆえに外出して馬にも乗り、観兵式にでも出られぬと疑ったであろう。 桂公爵の人格もしくは政見等については人々の考えは種々に分かれているようであるが、公のただ人ならざりしことは、何人も同意であろう。して辛抱づよい点は公の長所であった。長日月病床に臥しながら、公の身辺に侍べる者にさえ苦しき顔を見せなかったという。公に知られぬようにこっそり覗いて見るとさも痛そうな顔色をして痛みある局部をみずから摩っていても、誰か病室に入れば、ただちに面相を変え、痛みなき風をよそおったという。 戦場に死するはことの外たやすい、何故なれば死ぬように万事仕向けてある。すなわち周囲が死を促がす、ゆえに見事に死ぬ。しかし長らく病疾にかかりてなお帰るがごとく斃るるは容易の業ではない。強き人はよく耐える。よく耐える人を強者という。
現代語訳
ドイツの先帝フリードリヒ陛下は、不治の病にかかって数日間病床で苦しまれました。しかもその病気は痛みのもっとも激しいものでしたので、そばに仕える者だけでなく国民全体が深く同情を寄せ、一日も早い回復を祈りました。あまりに痛みが激しいときは、呻けば多少は痛みが紛れますし、人は無意識に呻きやすいものですが、陛下は決して呻かれず、苦しい顔色を見せられたこともなく、いつもにこやかに左右の人に接せられました。病の苦しみがその身にあることを、ほとんど悟らせないほどでした。崩御の数日前、今のカイゼルを枕もとに呼ばれ、 「小言を言わずに、堪えることを学べ」(Lernen zu leiden ohne Klagen) と教えられました。フリードリヒ帝の強さは、よほど物の分かった人でなければ測れません。ドイツの植民地から裸の黒人を連れてきて先帝の病床に侍らせたり、子供を左右に置いたりしたら、彼らはおそらく、先帝は何の苦痛もなく柔らかい布団に横たわってニコニコ喜んでいると思い、こんなにうれしそうなら、なぜ外出して馬にも乗り、観兵式にでも出ないのかと不思議に思ったことでしょう。 桂公爵の人格や政見については人々の考えはさまざまのようですが、公がただ者でなかったことは、誰もが認めるでしょう。そして辛抱強いことが公の長所でした。長い月日、病床に臥しながら、身辺に仕える者にさえ苦しい顔を見せなかったといいます。公に知られないようにこっそり覗くと、とても痛そうな顔でその部分を自分でさすっていても、誰かが病室に入ると、すぐに表情を変え、痛みなどない様子を装ったそうです。 戦場で死ぬのは、ことのほか易しいことです。なぜなら死ぬようにすべてが仕向けられているからです。つまり周囲が死を促すので、見事に死ねるのです。しかし長く病みつき、故郷に帰るように静かに世を去るのは、容易なことではありません。強い人はよく耐えます。よく耐える人を、強者と呼ぶのです。
解説

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