法句経 / 第九 悪行の部 一一六〜一一八 善に急げ
一一六 善に急げ、惡に對して心を護れ、福を造りて怠り鈍れば、意は惡行を欣こぶ。 一一七 人若し惡を作すも此を再三する勿れ、惡を樂ふ勿れ、惡の積集は苦なり。 一一八 人若し福を作せば此を再三すべし、福を樂へ、福の積集は樂なり。
新字:一一六 善に急げ、悪に対して心を護れ、福を造りて怠り鈍れば、意は悪行を欣こぶ。 一一七 人若し悪を作すも此を再三する勿れ、悪を楽ふ勿れ、悪の積集は苦なり。 一一八 人若し福を作せば此を再三すべし、福を楽へ、福の積集は楽なり。
書き下し
一一六 善に急げ、悪に対して心を護れ、福を造りて怠り鈍れば、意は悪行を欣こぶ。 一一七 人若し悪を作すも此を再三する勿れ、悪を楽ふ勿れ、悪の積集は苦なり。 一一八 人若し福を作せば此を再三すべし、福を楽へ、福の積集は楽なり。
現代語訳
善に急げ。悪に対して心を護れ。福(善い行い)を作ることに怠りのろのろしていると、心は悪い行いを喜ぶようになる。人がもし悪をなしても、それを繰り返してはならない。悪を楽しんではならない。悪が積み重なることは苦しみである。人がもし福をなすならば、それを繰り返すべきである。福を楽しめ。福が積み重なることは楽しみである。
解説
第九章「悪行の部」の冒頭三偈である。「善に急げ」という一句が章全体の調子を決めている。善は急がねばならない、なぜならぐずぐずしていると心は悪のほうを喜び出すからだという。心は空白を放っておかず、善で満たさなければ悪が入り込む、という見立てである。一一七偈と一一八偈は完全な対になっている。悪をしてしまっても繰り返すな、善をしたら繰り返せ。悪の積み重ねは苦、善の積み重ねは楽。一度の行いよりも、それが習慣として積み上がることが問題にされている。「悪を作すも」と、悪をしてしまうことを前提にしているのも人間的である。一度の失敗を責めるより、二度目を止めよと言う。良いと思ったことはすぐ手をつけ、うまくいったことは繰り返す。習慣の設計として読むと、組織の改善にもそのまま通じる。
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