法華経 / 觀世音菩薩普門品第二十五(2)
無盡意。觀世音菩薩摩訶薩。威神之力。巍巍如是。若有眾生。多於婬欲。常念恭敬觀世音菩薩。便得離欲。若多瞋恚。常念恭敬觀世音菩薩。便得離瞋。若多愚癡。常念恭敬觀世音菩薩。便得離癡。 無盡意。觀世音菩薩。有如是等大威神力。多所饒益。是故眾生。常應心念。若有女人。設欲求男。禮拜供養觀世音菩薩。便生福德智慧之男。設欲求女。便生端正有相之女。宿植德本。眾人愛敬。 無盡意。觀世音菩薩有如是力。若有眾生恭敬禮拜觀世音菩薩。福不唐捐。是故眾生。皆應受持觀世音菩薩名號。 無盡意。若有人受持六十二億恒河沙菩薩名字。復盡形供養飲食衣服臥具醫藥。於汝意云何。是善男子善女人。功德多不。 無盡意言。甚多。世尊。 佛言。若復有人。受持觀世音菩薩名號。乃至一時禮拜供養。是二人福。正等無異。於百千萬億劫不可窮盡。無盡意。受持觀世音菩薩名號。得如是無量無邊福德之利。 無盡意菩薩白佛言。世尊。觀世音菩薩。云何遊此娑婆世界。云何而為眾生說法。方便之力。其事云何。
新字:無尽意。観世音菩薩摩訶薩。威神之力。巍巍如是。若有衆生。多於婬欲。常念恭敬観世音菩薩。便得離欲。若多瞋恚。常念恭敬観世音菩薩。便得離瞋。若多愚痴。常念恭敬観世音菩薩。便得離痴。 無尽意。観世音菩薩。有如是等大威神力。多所饒益。是故衆生。常応心念。若有女人。設欲求男。礼拝供養観世音菩薩。便生福徳智慧之男。設欲求女。便生端正有相之女。宿植徳本。衆人愛敬。 無尽意。観世音菩薩有如是力。若有衆生恭敬礼拝観世音菩薩。福不唐捐。是故衆生。皆応受持観世音菩薩名号。 無尽意。若有人受持六十二億恒河沙菩薩名字。復尽形供養飲食衣服臥具医薬。於汝意云何。是善男子善女人。功徳多不。 無尽意言。甚多。世尊。 仏言。若復有人。受持観世音菩薩名号。乃至一時礼拝供養。是二人福。正等無異。於百千万億劫不可窮尽。無尽意。受持観世音菩薩名号。得如是無量無辺福徳之利。 無尽意菩薩白仏言。世尊。観世音菩薩。云何遊此娑婆世界。云何而為衆生説法。方便之力。其事云何。
書き下し
無尽意よ、観世音菩薩摩訶薩の威神の力は、巍巍としてかくの如し。もし衆生有りて、婬欲多からんに、常に観世音菩薩を念じ恭敬せば、便ち欲を離るることを得ん。もし瞋恚多からんに、常に観世音菩薩を念じ恭敬せば、便ち瞋を離るることを得ん。もし愚癡多からんに、常に観世音菩薩を念じ恭敬せば、便ち癡を離るることを得ん。 無尽意よ、観世音菩薩は、かくの如き等の大威神力有りて、饒益する所多し。この故に衆生は、常に応に心に念ずべし。もし女人有りて、設い男を求めんと欲せば、観世音菩薩を礼拝し供養せよ。便ち福徳智慧の男を生まん。設い女を求めんと欲せば、便ち端正有相の女を生まん。宿に徳本を植えて、衆人に愛敬せらるべし。 無尽意よ、観世音菩薩には、かくの如き力有り。もし衆生有りて、観世音菩薩を恭敬し礼拝せば、福は唐しく捐てられず。この故に衆生は、皆応に観世音菩薩の名号を受持すべし。 無尽意よ、もし人有りて、六十二億恒河沙の菩薩の名字を受持し、復形を尽くすまで、飲食・衣服・臥具・医薬を供養せんに、汝が意においていかん。この善男子・善女人の功徳は多しや不や。 無尽意の言わく、「甚だ多し、世尊よ。」 仏の言わく、「もし復人有りて、観世音菩薩の名号を受持し、乃至一時にても礼拝し供養せば、この二人の福は、正に等しくして異なること無し。百千万億劫においても窮め尽くすべからず。無尽意よ、観世音菩薩の名号を受持せば、かくの如き無量無辺の福徳の利を得ん。」 無尽意菩薩、仏に白して言さく、「世尊よ、観世音菩薩は、云何が此の娑婆世界に遊びたもうや。云何が衆生のために法を説きたもうや。方便の力、その事云何。」
現代語訳
無尽意よ、観世音菩薩の威神の力は、このように高く大きいのです。もし貪る心の強い衆生が、常に観世音菩薩を念じて敬うなら、その欲から離れることができます。怒りの強い者が、常に観世音菩薩を念じて敬うなら、怒りから離れることができます。愚かさの強い者が、常に観世音菩薩を念じて敬うなら、愚かさから離れることができます。 無尽意よ、観世音菩薩にはこのような大きな威神力があり、与える利益が多いのです。だから衆生は常に心に念じなさい。もし女性が男の子を求めて、観世音菩薩を礼拝し供養するなら、福徳と智慧のある男の子が生まれます。女の子を求めるなら、端正で相の備わった女の子が生まれます。前世から徳の根を植えた子で、多くの人に愛され敬われるでしょう。 無尽意よ、観世音菩薩にはこのような力があります。もし衆生が観世音菩薩を敬い礼拝するなら、その福はむなしく失われません。だから衆生は、みな観世音菩薩の名号を受持しなさい。 無尽意よ、もし人が、六十二億恒河沙もの菩薩の名を受持し、さらに一生のあいだ、飲食、衣服、寝具、医薬を供養し続けたとします。あなたはどう思うか。この善男子や善女人の功徳は多いだろうか、どうか。 無尽意は答えました。「とても多いです、世尊よ。」 仏は言われました。「もし別の人が、観世音菩薩の名号を受持し、ほんの一度でも礼拝し供養するなら、この二人の福は全く等しく、違いがありません。それは百千万億劫のあいだ数えても尽くせません。無尽意よ、観世音菩薩の名号を受持するなら、このような限りない福徳の利益を得ます。」 無尽意菩薩は仏に申し上げました。「世尊よ、観世音菩薩は、どのようにこの娑婆世界を歩まれるのでしょうか。どのように衆生のために法を説かれるのでしょうか。方便の力は、どのようなものでしょうか。」
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
法華経・觀世音菩薩普門品第二十五(1)その時、無尽意菩薩、即ち座より起ち、偏えに右肩を袒にし、合掌して仏に向かい、この言を作さく、「世尊よ、観世音菩薩は、何の因縁を以て、観世音と名づくるや。」 仏、無尽意菩薩に告げたまわく、「善男子よ、もし無量百千万億の衆生有りて、諸の苦悩を受けんに、この観世音菩薩を聞きて、一心に名を称せば、観世音菩薩は、即時にその音声を観じて、皆解脱を得しめん。もしこの観世音菩薩の名を持つ者有らば、設い大火に入るとも、火も焼くこと能わず。この菩薩の威神力に由るが故なり。もし大水に漂わされんに、その名号を称せば、即ち浅き処を得ん。もし百千万億の衆生有りて、金・銀・瑠璃・硨磲・瑪瑙・珊瑚・琥珀・真珠等の宝を求めんが為に、大海に入らんに、仮使い黒風、その船舫を吹きて、羅刹鬼の国に飄堕せんに、その中にもし乃至一人にても、観世音菩薩の名を称せば、この諸人等、皆羅刹の難を解脱することを得ん。この因縁を以て、観世音と名づく。もしまた人有りて、当に害せられんとするに臨みて、観世音菩薩の名を称せば、かの執る所の刀杖、尋いで段段に壊れて、解脱を得ん。もし三千大千国土に、中に満てる夜叉・羅刹の、来たりて人を悩まさんと欲するも、その観世音菩薩の名を称するを聞かば、この諸の悪鬼、尚お悪眼を以てこれを視ること能わず、況んや復害を加えんや。設い復人有りて、もしは罪有り、もしは罪無く、杻械・枷鎖もて其の身を検繋せんに、観世音菩薩の名を称せば、皆悉く断壊して、即ち解脱を得ん。もし三千大千国土に、中に満てる怨賊あらんに、一りの商主有り、諸の商人を将いて、重宝を齎持し、険路を経過せんに、その中の一人、この唱言を作さく、諸の善男子よ、恐怖すること勿れ。汝等、応当に一心に観世音菩薩の名号を称すべし。この菩薩は能く無畏を以て、衆生に施したもう。汝等もし名を称せば、この怨賊より当に解脱を得べし、と。衆の商人聞きて、倶に声を発して言わく、南無観世音菩薩、と。其の名を称するが故に、即ち解脱を得たり。」
-
法華経・觀世音菩薩普門品第二十五(4)無尽意よ。是の観世音菩薩は、是の如き功徳を成就し、種種の形を以て諸の国土に遊び、衆生を度脱す。是の故に汝等、応当に一心に観世音菩薩を供養すべし。是の観世音菩薩摩訶薩は、怖畏急難の中に於いて能く無畏を施す。是の故に此の娑婆世界には、皆之を号して施無畏者と為す。 無尽意菩薩、仏に白して言さく。世尊、我今当に観世音菩薩を供養すべし、と。即ち頸の衆宝珠の瓔珞の、価値百千両金なるを解きて、而も以て之に与う。是の言を作さく。仁者よ、此の法施の珍宝の瓔珞を受けたまえ、と。時に観世音菩薩、肯えて之を受けず。無尽意、復観世音菩薩に白して言さく。仁者よ、我等を愍れむが故に、此の瓔珞を受けたまえ、と。 爾の時、仏、観世音菩薩に告げたまわく。当に此の無尽意菩薩、及び四衆、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人、非人等を愍れむが故に、是の瓔珞を受くべし、と。 即時に観世音菩薩、諸の四衆、及び天、龍、人、非人等を愍れみて、其の瓔珞を受け、分ちて二分と作し、一分は釈迦牟尼仏に奉り、一分は多宝仏の塔に奉る。 無尽意よ。観世音菩薩は、是の如き自在の神力有りて、娑婆世界に遊ぶ。 爾の時、無尽意菩薩、偈を以て問うて曰く、 世尊は妙相を具えたまえり、我今重ねて彼を問う、仏子何の因縁ありてか、名づけて観世音と為す。妙相を具足せる尊、偈をもって無尽意に答えたまわく、汝、観音の行の、善く諸の方所に応ずるを聴け。 弘誓の深きこと海の如く、歴劫にも不思議なり、多千億の仏に侍えて、大清浄の願を発せり。我、汝が為に略して説かん、名を聞き及び身を見、心に念じて空しく過ごさざれば、能く諸有の苦を滅す。 仮使い害意を興し、大火坑に推し落とさんに、彼の観音の力を念ずれば、火坑変じて池と成らん。或いは巨海に漂流して、龍魚諸鬼の難あらんに、彼の観音の力を念ずれば、波浪も没すること能わず。
-
法華経・觀世音菩薩普門品第二十五(5)或いは須弥の峰に在りて、人の為に推し堕とされんに、彼の観音の力を念ずれば、日の如くして虚空に住せん。或いは悪人に逐われて、金剛山より堕落せんに、彼の観音の力を念ずれば、一毛をも損ずること能わず。 或いは怨賊の繞みて、各刀を執りて害を加えんに値うも、彼の観音の力を念ずれば、咸く即ち慈心を起こさん。或いは王難の苦に遭い、刑に臨みて寿終らんと欲するも、彼の観音の力を念ずれば、刀尋いで段段に壊れん。 或いは囚禁され枷鎖せられ、手足に杻械を被るも、彼の観音の力を念ずれば、釈然として解脱を得ん。呪詛と諸の毒薬とにて、身を害せんと欲せらるるも、彼の観音の力を念ずれば、還って本人に著きなん。 或いは悪羅刹、毒龍、諸鬼等に遇うも、彼の観音の力を念ずれば、時に悉く敢えて害せず。若し悪獣に囲遶せられ、利き牙爪の怖るべきも、彼の観音の力を念ずれば、疾く無辺の方に走らん。 蚖蛇及び蝮蠍の、気毒の煙火のごとく燃ゆるも、彼の観音の力を念ずれば、声を尋ねて自ら迴り去らん。雲雷鼓し掣電し、雹を降らし大雨を澍ぐも、彼の観音の力を念ずれば、時に応じて消散することを得ん。 衆生困厄を被り、無量の苦身を逼むるも、観音の妙智の力は、能く世間の苦を救う。神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸の国土に、刹として身を現ぜざること無し。 種種の諸の悪趣、地獄、鬼、畜生、生老病死の苦、以て漸く悉く滅せしむ。真観、清浄観、広大智慧観、悲観、及び慈観あり、常に願い常に瞻仰すべし。 無垢清浄の光、慧日、諸の闇を破り、能く災の風火を伏して、普く明らかに世間を照らす。悲の体は戒めて雷のごとく震い、慈の意は妙なる大雲のごとし、甘露の法雨を澍ぎ、煩悩の焰を滅除す。 諍訟して官処を経、軍陣の中に怖畏するも、彼の観音の力を念ずれば、衆の怨み悉く退散せん。妙音、観世音、梵音、海潮音、世間の音に勝れたり、是の故に須く常に念ずべし、 念念に疑いを生ずること勿れ。観世音は浄聖なり、苦悩死厄に於いて、能く為に依怙と作る。一切の功徳を具し、慈眼をもって衆生を視たまう、福聚の海は無量なり、是の故に応に頂礼すべし。 爾の時、持地菩薩、即ち座より起ちて、前みて仏に白して言さく。世尊、若し衆生有りて、是の観世音菩薩品の自在の業、普門示現の神通力を聞かん者は、当に知るべし、是の人の功徳少なからず、と。 仏、是の普門品を説きたまいし時、衆の中の八万四千の衆生、皆無等等の阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。
-
法華経・觀世音菩薩普門品第二十五(3)仏、無尽意菩薩に告げたまわく。善男子よ。若し国土の衆生、仏身を以て得度すべき者には、観世音菩薩、即ち仏身を現じて為に法を説く。辟支仏身を以て得度すべき者には、即ち辟支仏身を現じて為に法を説く。声聞身を以て得度すべき者には、即ち声聞身を現じて為に法を説く。梵王身を以て得度すべき者には、即ち梵王身を現じて為に法を説く。帝釈身を以て得度すべき者には、即ち帝釈身を現じて為に法を説く。自在天身を以て得度すべき者には、即ち自在天身を現じて為に法を説く。大自在天身を以て得度すべき者には、即ち大自在天身を現じて為に法を説く。天大将軍身を以て得度すべき者には、即ち天大将軍身を現じて為に法を説く。毘沙門身を以て得度すべき者には、即ち毘沙門身を現じて為に法を説く。小王身を以て得度すべき者には、即ち小王身を現じて為に法を説く。長者身を以て得度すべき者には、即ち長者身を現じて為に法を説く。居士身を以て得度すべき者には、即ち居士身を現じて為に法を説く。宰官身を以て得度すべき者には、即ち宰官身を現じて為に法を説く。婆羅門身を以て得度すべき者には、即ち婆羅門身を現じて為に法を説く。比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷身を以て得度すべき者には、即ち比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷身を現じて為に法を説く。長者、居士、宰官、婆羅門の婦女身を以て得度すべき者には、即ち婦女身を現じて為に法を説く。童男、童女身を以て得度すべき者には、即ち童男、童女身を現じて為に法を説く。天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人、非人等の身を以て得度すべき者には、即ち皆之を現じて為に法を説く。執金剛神を以て得度すべき者には、即ち執金剛神を現じて為に法を説く。
-
法華経・法師功德品第十九(9)若し法華を持つ者は、其の身甚だ清浄にして、彼の浄き瑠璃の如く、衆生皆な喜び見る。又た浄き明鏡の、悉く諸の色像を見るが如く、菩薩は浄き身に於いて、皆な世の所有を見る。 唯だ独り自ら明了にして、余人の見ざる所なり。三千世界の中の、一切の諸の群萌、天、人、阿修羅、地獄、鬼、畜生、是くの如き諸の色像、皆な身の中に現ず。 諸天等の宮殿、乃至、有頂に於いて、鉄囲及び弥楼、摩訶弥楼山、諸の大海水等、皆な身の中に現ず。諸仏及び声聞、仏子、菩薩等、 若しは独り、若しは衆に在りて、説法したもうこと、悉く皆な現ず。未だ無漏法性の妙身を得ずと雖も、清浄の常の体を以て、一切、中に於いて現ず。 「復た次に、常精進、若し善男子、善女人、如来の滅後に、是の経を受持し、若しは読み、若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せば、千二百の意の功徳を得ん。是の清浄の意根を以て、乃至、一偈一句を聞くに、無量無辺の義に通達し、是の義を解し已りて、能く一句一偈を演説すること、一月、四月、乃至、一歳に至り、諸の説く所の法、其の義趣に随いて、皆な実相と相違背せず。若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説くも、皆な正法に順ぜん。三千大千世界の六趣の衆生の、心の行ずる所、心の動作する所、心の戯論する所、皆な悉く之を知らん。未だ無漏の智慧を得ずと雖も、而も其の意根の清浄なること此くの如し。是の人の思惟、籌量、言説する所有るは、皆な是れ仏法にして、真実ならざる無く、亦た是れ先仏の経の中に説きたまう所なり。」 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
-
維摩経・菩薩行品第十一(4)爾の時、衆香世界の菩薩の来たれる者、合掌して仏に白して言わく、世尊、我等、初め此の土を見て下劣の想を生ぜり。今、自ら悔責して是の心を捨離す。所以は何ん。諸仏の方便は不可思議なり。衆生を度せんが為の故に、其の応ずる所に随いて、仏国の異なるを現ずればなり。唯だ願わくは世尊、少しく法を賜い、彼の土に還りて当に如来を念ずべし。仏、諸の菩薩に告げたまわく、有尽無尽の解脱の法門有り、汝等、当に学ぶべし。何をか尽と謂う。有為の法を謂う。何をか無尽と謂う。無為の法を謂う。菩薩の如きは、有為を尽くさず、無為に住せず。何をか有為を尽くさずと謂う。大慈を離れず、大悲を捨てず、深く一切智の心を発して忽忘せず、衆生を教化して終に厭倦せず、四摂法に於いて常に念じて順行し、正法を護持して軀命を惜しまず、諸の善根を種えて疲厭有ること無く、志常に方便・廻向に安住し、法を求めて懈らず、法を説きて悋まず、勤めて諸仏を供養するが故に生死に入りて畏るる所無く、諸の栄辱に於いて心に憂喜無く、未学を軽んぜず、学を敬うこと仏の如くし、煩悩に堕ちたる者をして正念を発さしめ、遠離の楽に於いて以て貴しと為さず、己が楽に著せず、彼の楽を慶び、諸の禅定に在りては地獄の想の如くし、生死の中に於いては園観の想の如くし、来たり求むる者を見ては善師の想を為し、諸の所有を捨てては一切智の想を具し、毀戒の人を見ては救護の想を起こし、諸の波羅蜜をば父母の想と為し、道品の法をば眷属の想と為し、善根を発行して斉限有ること無く、諸の浄国の厳飾の事を以て己が仏土を成じ、無限の施を行じて相好を具足し、一切の悪を除きて身口意を浄め、生死の無数劫にも意に勇有り、仏の無量の徳を聞きて志倦まず、智慧の剣を以て煩悩の賊を破り、陰・界・入を出で、衆生を荷負して永く解脱せしめ、大精進を以て魔軍を摧伏し、常に無念実相の智慧の行を求め、世間の法に於いては少欲知足、出世間の法に於いては之を求めて厭くこと無し。而も世間の法を捨てず、威儀の法を壊らずして、而も能く俗に随う。神通慧を起こして衆生を引導し、念総持を得て聞く所忘れず。