法華経 / 常不輕菩薩品第二十(4)
「得大勢,是常不輕菩薩摩訶薩、供養如是若干諸佛,恭敬、尊重、讚歎、種諸善根,於後復值千萬億佛,亦於諸佛法中、說是經典,功德成就,當得作佛。得大勢,於意云何,爾時常不輕菩薩、豈異人乎,則我身是。若我於宿世、不受持讀誦此經、為他人說者,不能疾得阿耨多羅三藐三菩提,我於先佛所、受持讀誦此經、為人說故,疾得阿耨多羅三藐三菩提。得大勢,彼時四眾、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,以瞋恚意、輕賤我故,二百億劫、常不值佛,不聞法,不見僧,千劫於阿鼻地獄受大苦惱,畢是罪已,復遇常不輕菩薩,教化阿耨多羅三藐三菩提。得大勢,於汝意云何,爾時四眾常輕是菩薩者、豈異人乎,今此會中、跋陀婆羅等五百菩薩,師子月等五百比丘,尼思佛等、五百優婆塞,皆於阿耨多羅三藐三菩提不退轉者是。得大勢,當知是法華經,大饒益諸菩薩摩訶薩,能令至於阿耨多羅三藐三菩提,是故諸菩薩摩訶薩、於如來滅後,常應受持、讀誦、解說、書寫是經。」 爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:
新字:「得大勢,是常不軽菩薩摩訶薩、供養如是若干諸仏,恭敬、尊重、讃嘆、種諸善根,於後復値千万億仏,亦於諸仏法中、説是経典,功徳成就,当得作仏。得大勢,於意云何,爾時常不軽菩薩、豈異人乎,則我身是。若我於宿世、不受持読誦此経、為他人説者,不能疾得阿耨多羅三藐三菩提,我於先仏所、受持読誦此経、為人説故,疾得阿耨多羅三藐三菩提。得大勢,彼時四衆、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,以瞋恚意、軽賤我故,二百億劫、常不値仏,不聞法,不見僧,千劫於阿鼻地獄受大苦悩,畢是罪已,復遇常不軽菩薩,教化阿耨多羅三藐三菩提。得大勢,於汝意云何,爾時四衆常軽是菩薩者、豈異人乎,今此会中、跋陀婆羅等五百菩薩,師子月等五百比丘,尼思仏等、五百優婆塞,皆於阿耨多羅三藐三菩提不退転者是。得大勢,当知是法華経,大饒益諸菩薩摩訶薩,能令至於阿耨多羅三藐三菩提,是故諸菩薩摩訶薩、於如来滅後,常応受持、読誦、解説、書写是経。」 爾時世尊欲重宣此義,而説偈言:
書き下し
「得大勢よ、この常不軽菩薩摩訶薩は、かくの如き若干の諸仏を供養し、恭敬し、尊重し、讃歎し、諸の善根を種え、後に復千万億の仏に値い、亦諸仏の法の中において、この経典を説き、功徳成就して、当に作仏することを得たり。得大勢よ、意においていかん。その時の常不軽菩薩は、あに異人ならんや、則ち我が身これなり。もし我、宿世において、この経を受持し読誦し、他人のために説かざりせば、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得ること能わざりしならん。我、先仏の所にして、この経を受持し読誦し、人のために説きしが故に、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得たり。得大勢よ、かの時の四衆、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷は、瞋恚の意を以て、我を軽賤せしが故に、二百億劫、常に仏に値わず、法を聞かず、僧を見ず、千劫、阿鼻地獄において大苦悩を受け、この罪を畢え已りて、復常不軽菩薩に遇い、阿耨多羅三藐三菩提を教化せられたり。得大勢よ、汝が意においていかん。その時の四衆、常にこの菩薩を軽んぜし者は、あに異人ならんや、今この会中の、跋陀婆羅等の五百の菩薩、師子月等の五百の比丘、尼思仏等の五百の優婆塞、皆阿耨多羅三藐三菩提において不退転なる者これなり。得大勢よ、当に知るべし、この法華経は、大いに諸の菩薩摩訶薩を饒益し、能く阿耨多羅三藐三菩提に至らしむ。この故に諸の菩薩摩訶薩は、如来の滅後において、常に応にこの経を受持し、読誦し、解説し、書写すべし。」 その時世尊、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
現代語訳
「得大勢よ、この常不軽菩薩は、これほど多くの仏を供養し、敬い、尊び、讃え、さまざまな善の根を植え、その後また千万億の仏にお会いして、それらの仏の教えのなかでもこの経典を説き、功徳を成し遂げて、やがて仏になるのです。得大勢よ、どう思いますか。そのときの常不軽菩薩は、別の人でしょうか。いいえ、私自身です。もし私が過去世でこの経を受持し、読誦し、他の人のために説かなかったなら、速やかに無上の悟りを得ることはできなかったでしょう。私は先の仏のもとでこの経を受持し、読誦し、人のために説いたので、速やかに無上の悟りを得たのです。得大勢よ、そのときの四衆、すなわち比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷は、怒りの心で私を軽んじ見下したため、二百億劫のあいだ、いつも仏に会えず、法を聞けず、僧を見られませんでした。さらに千劫のあいだ阿鼻地獄で大きな苦しみを受け、その罪を終えてから、再び常不軽菩薩に出会い、悟りへと教え導かれたのです。得大勢よ、あなたはどう思いますか。そのとき常にこの菩薩を軽んじた四衆は、別の人でしょうか。今この集まりにいる、跋陀婆羅たち五百の菩薩、師子月たち五百の比丘、尼思仏たち五百の優婆塞であり、みな無上の悟りから退くことのない人々です。得大勢よ、知りなさい。この法華経は、多くの菩薩に大きな利益を与え、無上の悟りに至らせます。だから菩薩たちは、如来の滅後も常に、この経を受持し、読誦し、解説し、書写しなさい。」 そのとき世尊は、この意味をもう一度述べようとして、偈を説かれました。
解説

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法華経・常不輕菩薩品第二十(5)過去に仏有り、威音王と号したまう。神智無量にして、一切を将導し、天・人・竜・神の、共に供養する所なり。この仏の滅後、法の尽きんと欲する時、 一りの菩薩有り、名を常不軽という。時に諸の四衆、法に計著せり。不軽菩薩、その所に往到して、これに語りて言わく、我れ汝を軽しめず、 汝等、道を行ぜば、皆当に作仏すべし、と。諸人聞き已りて、軽毀し罵詈せしも、不軽菩薩、能くこれを忍受せり。その罪畢り已りて、命終の時に臨み、 この経を聞くことを得て、六根清浄なり。神通力の故に、寿命を増益し、復諸人のために、広くこの経を説けり。諸の著法の衆、皆菩薩の、 教化を蒙りて成就し、仏道に住せしむ。不軽命終して、無数の仏に値い、この経を説く故に、無量の福を得、漸く功徳を具えて、疾く仏道を成ぜり。 かの時の不軽は、則ち我が身これなり。時の四部の衆、法に著せし者、不軽の言、汝当に作仏すべしと聞きしを以て、この因縁をもって、無数の仏に値えり。 この会の菩薩、五百の衆、並びに四部の清信の士女、今、我が前にして、法を聴く者これなり。我、前世において、この諸人に勧めて、 この経、第一の法を聴受せしめ、開示して人を教え、涅槃に住せしめ、世々にかくの如き経典を受持せしむ。億億万劫、不可議に至りて、 時にして乃ちこの法華経を聞くことを得。億億万劫、不可議に至りて、諸仏世尊、時にこの経を説きたまう。この故に行者、仏の滅後において、 かくの如き経を聞かば、疑惑を生ずること勿れ。応当に一心に、広くこの経を説くべし。世々に仏に値い、疾く仏道を成ぜん。
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法華経・常不輕菩薩品第二十(1)爾の時、仏、得大勢菩薩摩訶薩に告げたまわく、「汝、今当に知るべし、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、法華経を持つ者を、若し悪口、罵詈、誹謗すること有らば、大罪報を獲ること、前に説く所の如し。其の得る所の功徳は、向に説く所の如く、眼耳鼻舌身意清浄なり。得大勢、乃往古昔、無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎて、仏有しき、威音王如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と名づく。劫の名は離衰、国の名は大成なり。其の威音王仏、彼の世の中に於いて、天、人、阿修羅の為に法を説きたまう。声聞を求むる者の為には、応ぜる四諦の法を説いて、生老病死を度し、究竟して涅槃せしめ、辟支仏を求むる者の為には、応ぜる十二因縁の法を説き、諸の菩薩の為には、阿耨多羅三藐三菩提に因りて、応ぜる六波羅蜜の法を説いて、仏慧を究竟せしめたもう。得大勢、是の威音王仏は、寿四十万億那由他恒河沙劫、正法の世に住すること劫数は一閻浮提の微塵の如く、像法の世に住すること劫数は四天下の微塵の如し。其の仏、衆生を饒益し已りて、然して後に滅度したもう。正法像法滅尽の後に、此の国土に於いて、復た仏の出ずること有り、亦た威音王如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と号す。是くの如く次第に二万億の仏有り、皆な同じ一号なり。」
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法華経・法師品第十(1)爾の時、世尊、薬王菩薩に因りて、八万の大士に告げたまわく、「薬王、汝是の大衆の中の、無量の諸天、竜王、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人と非人、及び比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、声聞を求むる者、辟支仏を求むる者、仏道を求むる者を見るや。是の如き等の類、咸仏前に於て、妙法華経の一偈一句、乃至一念も随喜する者は、我皆授記を与う、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。」 仏、薬王に告げたまわく、「又如来の滅度の後に、若し人有りて、妙法華経の乃至一偈一句を聞き、一念も随喜せば、我も亦阿耨多羅三藐三菩提の記を授与す。若し復人有りて、妙法華経を受持し、読誦し、解説し、書写し、乃至一偈をも、此の経巻に於て、敬い視ること仏の如くし、種種に供養し、華、香、瓔珞、末香、塗香、焼香、繒蓋、幢幡、衣服、伎楽、乃至合掌恭敬せば、薬王、当に知るべし、是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し、諸仏の所に於て、大願を成就し、衆生を愍れむが故に、此の人間に生ぜり。」 「薬王、若し人有りて問わん、何等の衆生か、未来世に於て、当に作仏することを得べきと。応に是の諸人等は、未来世に於て、必ず作仏することを得べしと示すべし。何を以ての故に。若し善男子、善女人、法華経に於て、乃至一句も、受持し、読誦し、解説し、書写し、種種に経巻を供養し、華、香、瓔珞、末香、塗香、焼香、繒蓋、幢幡、衣服、伎楽、合掌恭敬せば、是の人は、一切世間の応に瞻奉すべき所にして、応に如来の供養を以て之を供養すべし。当に知るべし、此の人は是れ大菩薩にして、阿耨多羅三藐三菩提を成就し、衆生を哀愍して、願って此の間に生まれ、広く妙法華経を演べ分別す。何ぞ況んや尽く能く受持して、種種に供養せんをや。」
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