法華経 / 常不輕菩薩品第二十(2)
「最初威音王如來、既已滅度,正法滅後,於像法中,增上慢比丘有大勢力。爾時有一菩薩比丘、名常不輕,得大勢以何因緣、名常不輕,是比丘、凡有所見,若比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,皆悉禮拜讚歎、而作是言:『我深敬汝等,不敢輕慢。所以者何。汝等皆行菩薩道,當得作佛。』而是比丘、不專讀誦經典,但行禮拜,乃至遠見四眾,亦復故往禮拜讚歎、而作是言:『我不敢輕於汝等,汝等皆當作佛。』四眾之中,有生瞋恚、心不淨者,惡口罵詈言:『是無智比丘、從何所來?自言我不輕汝,而與我等授記,當得作佛,我等不用如是虛妄授記。』如此經歷多年,常被罵詈,不生瞋恚,常作是言:『汝當作佛。』說是語時,眾人或以杖木瓦石而打擲之,避走遠住,猶高聲唱言:『我不敢輕於汝等,汝等皆當作佛。』以其常作是語故,增上慢比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,號之為常不輕。」
新字:「最初威音王如来、既已滅度,正法滅後,於像法中,增上慢比丘有大勢力。爾時有一菩薩比丘、名常不軽,得大勢以何因縁、名常不軽,是比丘、凡有所見,若比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,皆悉礼拝讃嘆、而作是言:『我深敬汝等,不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道,当得作仏。』而是比丘、不専読誦経典,但行礼拝,乃至遠見四衆,亦復故往礼拝讃嘆、而作是言:『我不敢軽於汝等,汝等皆当作仏。』四衆之中,有生瞋恚、心不浄者,悪口罵詈言:『是無智比丘、従何所来?自言我不軽汝,而与我等授記,当得作仏,我等不用如是虚妄授記。』如此経歴多年,常被罵詈,不生瞋恚,常作是言:『汝当作仏。』説是語時,衆人或以杖木瓦石而打擲之,避走遠住,猶高声唱言:『我不敢軽於汝等,汝等皆当作仏。』以其常作是語故,增上慢比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,号之為常不軽。」
書き下し
「最初の威音王如来、既に滅度したまい、正法滅して後、像法の中に、増上慢の比丘、大勢力有り。爾の時、一りの菩薩比丘有り、常不軽と名づく。得大勢、何の因縁を以て、常不軽と名づくるや。是の比丘、凡そ見る所有る、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を、皆な悉く礼拝し讃歎して、是の言を作す、『我れ深く汝等を敬う、敢えて軽慢せず。所以は何ん。汝等は皆な菩薩道を行じて、当に作仏することを得べければなり。』と。而も是の比丘、専ら経典を読誦せず、但だ礼拝を行ずるのみ。乃至、遠く四衆を見ても、亦復た故らに往きて礼拝し讃歎して、是の言を作す、『我れ敢えて汝等を軽しめず、汝等は皆な当に作仏すべし。』と。四衆の中に、瞋恚を生じ、心不浄なる者有り、悪口罵詈して言わく、『是の無智の比丘、何れの所より来たる。自ら我れ汝を軽しめずと言いて、而も我等に授記して、当に作仏することを得べしという。我等は是くの如き虚妄の授記を用いず。』と。此くの如く多年を経歴して、常に罵詈せられ、瞋恚を生ぜず、常に是の言を作す、『汝、当に作仏すべし。』と。是の語を説く時、衆人或いは杖木瓦石を以て之を打擲すれば、避け走りて遠く住し、猶お高声に唱えて言わく、『我れ敢えて汝等を軽しめず、汝等は皆な当に作仏すべし。』と。其の常に是の語を作すを以ての故に、増上慢の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、之を号して常不軽と為す。」
現代語訳
「最初の威音王如来がすでに滅度され、正法が滅びた後の像法の時代に、増上慢の比丘が大きな勢力を持っていました。そのとき、一人の菩薩の比丘がいて、常不軽と名づけられました。得大勢よ、どういう因縁で常不軽と名づけられたのでしょうか。この比丘は、見かける人があれば、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷のだれであれ、みな礼拝し讃えて、こう言いました。『私はあなたがたを深く敬います。決して軽んじたり見下したりいたしません。なぜなら、あなたがたはみな菩薩の道を行じて、きっと仏になることができるからです。』しかもこの比丘は、もっぱら経典を読誦することはせず、ただ礼拝を行なうだけでした。遠くに四衆を見かけても、わざわざ行って礼拝し讃えて、こう言いました。『私はあなたがたを軽んじません。あなたがたはみな仏になるでしょう。』四衆の中には、怒りを起こし、心が清らかでない者がいて、悪口して罵って言いました。『この無知な比丘は、どこから来たのか。自分は軽んじないと言いながら、私たちに仏になれると授記する。私たちはそのような偽りの授記は要らない。』と。このように何年もの間、常に罵られても、怒りを起こさず、常にこう言いました。『あなたは仏になるでしょう。』この言葉を言うとき、人々は杖や木や瓦や石で打ちつけました。比丘は避けて走り、遠くに離れて、なお大声で唱えました。『私はあなたがたを軽んじません。あなたがたはみな仏になるでしょう。』常にこの言葉を言うために、増上慢の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷は、この人を常不軽と名づけました。」
解説

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『十善法語』巻第六・不惡口戒此中一ノ因縁アリ。有信ノ者思惟スヘシ。法華経ニ。過去無量却ノ時ニ仏アリ。威音王仏ト名ツク。其威音王如来滅後。像法ノ中。一菩薩比丘アリ。常不軽ト名ツク。此人学問セズ。誦経セズ。只四衆ニアヘハ。貴賤ノワカチナク。皆尊重心ヲ起シ。礼拝讃嘆シテ此言ヲ作ス。吾汝ヲ軽ンセス。汝ヲ敬フ。汝等ミナ当来ニ作仏スヘシト。常ニカクアル故ニ。人呼テ常不軽ト云。其時四衆ノ中ニ。瞋恚不浄ナル者アリ。悪口罵詈シテ。此無智ノ比丘何処ヨリ来レル。我等コノ虚妄ノ授記ヲ用ヒスト云ヒ。或ハ杖木或瓦石ヲ以テ打擲ス。其時遠クサケ走テ。尚高声ニ唱フ。我敢テ汝等ヲ軽ンセス。汝等当作仏ト。此比丘後命終ノトキ。虚空ノ中ニ威音王仏ヲ見奉リ。六根浄ノ功徳ヲ成就シ。更ニ寿命ヲ增セシトアル。
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法華経・常不輕菩薩品第二十(5)過去に仏有り、威音王と号したまう。神智無量にして、一切を将導し、天・人・竜・神の、共に供養する所なり。この仏の滅後、法の尽きんと欲する時、 一りの菩薩有り、名を常不軽という。時に諸の四衆、法に計著せり。不軽菩薩、その所に往到して、これに語りて言わく、我れ汝を軽しめず、 汝等、道を行ぜば、皆当に作仏すべし、と。諸人聞き已りて、軽毀し罵詈せしも、不軽菩薩、能くこれを忍受せり。その罪畢り已りて、命終の時に臨み、 この経を聞くことを得て、六根清浄なり。神通力の故に、寿命を増益し、復諸人のために、広くこの経を説けり。諸の著法の衆、皆菩薩の、 教化を蒙りて成就し、仏道に住せしむ。不軽命終して、無数の仏に値い、この経を説く故に、無量の福を得、漸く功徳を具えて、疾く仏道を成ぜり。 かの時の不軽は、則ち我が身これなり。時の四部の衆、法に著せし者、不軽の言、汝当に作仏すべしと聞きしを以て、この因縁をもって、無数の仏に値えり。 この会の菩薩、五百の衆、並びに四部の清信の士女、今、我が前にして、法を聴く者これなり。我、前世において、この諸人に勧めて、 この経、第一の法を聴受せしめ、開示して人を教え、涅槃に住せしめ、世々にかくの如き経典を受持せしむ。億億万劫、不可議に至りて、 時にして乃ちこの法華経を聞くことを得。億億万劫、不可議に至りて、諸仏世尊、時にこの経を説きたまう。この故に行者、仏の滅後において、 かくの如き経を聞かば、疑惑を生ずること勿れ。応当に一心に、広くこの経を説くべし。世々に仏に値い、疾く仏道を成ぜん。
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法華経・常不輕菩薩品第二十(3)「是の比丘、終わりに臨まんと欲する時、虚空の中に於いて、具さに威音王仏の、先に説きたまいし所の法華経二十千万億偈を聞き、悉く能く受持し、即ち上の如き眼根清浄、耳鼻舌身意根清浄を得たり。是の六根清浄を得已りて、更に寿命を増すこと二百万億那由他歳、広く人の為に是の法華経を説く。時に於いて増上慢の四衆、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の、是の人を軽賤して、為に不軽の名を作せる者、其の大神通力、楽説弁力、大善寂力を得たるを見、其の所説を聞きて、皆な信伏随従す。是の菩薩、復た千万億の衆を化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしむ。命終の後、二千億の仏に値うことを得、皆な日月燈明と号す、其の法の中に於いて、是の法華経を説く。是の因縁を以て、復た二千億の仏に値う、同じく雲自在燈王と号す。此の諸仏の法の中に於いて、受持し読誦し、諸の四衆の為に此の経典を説く故に、是の常の眼清浄、耳鼻舌身意の諸根清浄を得て、四衆の中に於いて法を説くに、心に畏るる所無し。」
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法華経・常不輕菩薩品第二十(4)「得大勢よ、この常不軽菩薩摩訶薩は、かくの如き若干の諸仏を供養し、恭敬し、尊重し、讃歎し、諸の善根を種え、後に復千万億の仏に値い、亦諸仏の法の中において、この経典を説き、功徳成就して、当に作仏することを得たり。得大勢よ、意においていかん。その時の常不軽菩薩は、あに異人ならんや、則ち我が身これなり。もし我、宿世において、この経を受持し読誦し、他人のために説かざりせば、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得ること能わざりしならん。我、先仏の所にして、この経を受持し読誦し、人のために説きしが故に、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得たり。得大勢よ、かの時の四衆、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷は、瞋恚の意を以て、我を軽賤せしが故に、二百億劫、常に仏に値わず、法を聞かず、僧を見ず、千劫、阿鼻地獄において大苦悩を受け、この罪を畢え已りて、復常不軽菩薩に遇い、阿耨多羅三藐三菩提を教化せられたり。得大勢よ、汝が意においていかん。その時の四衆、常にこの菩薩を軽んぜし者は、あに異人ならんや、今この会中の、跋陀婆羅等の五百の菩薩、師子月等の五百の比丘、尼思仏等の五百の優婆塞、皆阿耨多羅三藐三菩提において不退転なる者これなり。得大勢よ、当に知るべし、この法華経は、大いに諸の菩薩摩訶薩を饒益し、能く阿耨多羅三藐三菩提に至らしむ。この故に諸の菩薩摩訶薩は、如来の滅後において、常に応にこの経を受持し、読誦し、解説し、書写すべし。」 その時世尊、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
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