法華経 / 安樂行品第十四(7)
「又文殊師利,菩薩摩訶薩,於後末世、法欲滅時,有持是法華經者,於在家出家人中,生大慈心,於非菩薩人中,生大悲心,應作是念:『如是之人,則為大失。如來方便隨宜說法,不聞不知不覺、不問不信不解,其人雖不問不信不解是經,我得阿耨多羅三藐三菩提時,隨在何地,以神通力、智慧力、引之,令得住是法中。』文殊師利,是菩薩摩訶薩,於如來滅後、有成就此第四法者,說是法時,無有過失,常為比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、國王、王子、大臣、人民、婆羅門、居士、等,供養、恭敬、尊重、讚歎。虛空諸天、為聽法故,亦常隨侍,若在聚落、城邑、空閒林中,有人來,欲難問者,諸天晝夜,常為法故而衛護之,能令聽者皆得歡喜。所以者何。此經是一切過去未來現在諸佛、神力所護故。文殊師利,是法華經,於無量國中,乃至名字不可得聞,何況得見,受持讀誦?」 「文殊師利,譬如強力轉輪聖王,欲以威勢降伏諸國,而諸小王不順其命,時轉輪王,起種種兵而往討罰。王見兵眾,戰有功者,即大歡喜,隨功賞賜,或與田宅、聚落、城邑,或與衣服、嚴身之具,或與種種珍寶,金銀、琉璃,硨磲、瑪瑙,珊瑚、琥珀,象、馬、車乘,奴婢、人民,惟髻中明珠、不以與之。所以者何。獨王頂上有此一珠,若以與之,王諸眷屬、必大驚怪。」
新字:「又文殊師利,菩薩摩訶薩,於後末世、法欲滅時,有持是法華経者,於在家出家人中,生大慈心,於非菩薩人中,生大悲心,応作是念:『如是之人,則為大失。如来方便随宜説法,不聞不知不覚、不問不信不解,其人雖不問不信不解是経,我得阿耨多羅三藐三菩提時,随在何地,以神通力、智慧力、引之,令得住是法中。』文殊師利,是菩薩摩訶薩,於如来滅後、有成就此第四法者,説是法時,無有過失,常為比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、国王、王子、大臣、人民、婆羅門、居士、等,供養、恭敬、尊重、讃嘆。虚空諸天、為聴法故,亦常随侍,若在聚落、城邑、空閒林中,有人来,欲難問者,諸天昼夜,常為法故而衛護之,能令聴者皆得歓喜。所以者何。此経是一切過去未来現在諸仏、神力所護故。文殊師利,是法華経,於無量国中,乃至名字不可得聞,何況得見,受持読誦?」 「文殊師利,譬如強力転輪聖王,欲以威勢降伏諸国,而諸小王不順其命,時転輪王,起種種兵而往討罰。王見兵衆,戦有功者,即大歓喜,随功賞賜,或与田宅、聚落、城邑,或与衣服、厳身之具,或与種種珍宝,金銀、琉璃,硨磲、瑪瑙,珊瑚、琥珀,象、馬、車乗,奴婢、人民,惟髻中明珠、不以与之。所以者何。独王頂上有此一珠,若以与之,王諸眷属、必大驚怪。」
書き下し
「又、文殊師利、菩薩摩訶薩は、後の末世、法の滅せんと欲する時に、是の法華経を持つ者は、在家・出家の人の中に於いて、大慈の心を生じ、菩薩に非ざる人の中に於いて、大悲の心を生じ、応に是の念を作すべし。『是の如き人は、則ち大いなる失を為す。如来は方便して宜しきに随いて法を説きたもうに、聞かず、知らず、覚らず、問わず、信ぜず、解せず。其の人は是の経を問わず、信ぜず、解せずと雖も、我、阿耨多羅三藐三菩提を得ん時、何れの地に在るに随いても、神通力・智慧力を以て、之を引きて、是の法の中に住することを得せしめん』と。文殊師利、是の菩薩摩訶薩は、如来の滅後に、此の第四の法を成就すること有らば、是の法を説かん時、過失有ること無く、常に比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、国王、王子、大臣、人民、婆羅門、居士等に、供養し、恭敬し、尊重し、讃歎せられん。虚空の諸天は、法を聴かんが為の故に、亦た常に随侍し、若しは聚落・城邑・空閑の林中に在りて、人有りて来りて、難問せんと欲せば、諸天は昼夜に、常に法の為の故に之を衛護し、能く聴く者をして皆歓喜を得せしめん。所以は何ん。此の経は是れ一切の過去・未来・現在の諸仏の神力に護らるるが故なり。文殊師利、是の法華経は、無量の国中に於いて、乃至、名字すら聞くことを得べからず、何に況んや見ること、受持し読誦することを得んや。」 「文殊師利、譬えば強力の転輪聖王の、威勢を以て諸国を降伏せんと欲するに、而も諸の小王、其の命に順ぜず、時に転輪王、種種の兵を起こして、往きて討罰するが如し。王、兵衆の戦いて功有る者を見て、即ち大いに歓喜し、功に随いて賞賜し、或いは田宅・聚落・城邑を与え、或いは衣服・厳身の具を与え、或いは種種の珍宝、金・銀、瑠璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、象・馬・車乗、奴婢・人民を与えて、惟だ髻中の明珠のみは、以て之に与えず。所以は何ん。独り王の頂上にのみ此の一珠有り、若し以て之に与えば、王の諸の眷属、必ず大いに驚き怪しまん。」
現代語訳
「また文殊師利よ、菩薩摩訶薩は、後の末世、法が滅びようとするとき、この法華経を持つ者は、在家の人にも出家の人にも大いなる慈しみの心を起こし、菩薩でない人々には大いなる悲しみの心を起こし、次のように思うべきです。『このような人は大きな損をしている。如来は方便によって、ふさわしい形で法を説かれたのに、聞かず、知らず、悟らず、問わず、信じず、理解しない。その人がこの経を問わず、信じず、理解しなくても、私が阿耨多羅三藐三菩提を得たときには、どこにいようとも、神通力と智慧の力によって、その人を導いて、この法の中にとどまらせよう』と。文殊師利よ、この菩薩摩訶薩が、如来の滅後にこの第四の法を成就するなら、この法を説くときに過失はなく、いつも比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、国王、王子、大臣、人民、バラモン、居士などから、供養され、恭敬され、尊重され、讃歎されます。虚空の諸天も、法を聴くために常に付き従い、村や町、静かな林の中で、人が来て難しい質問をしようとすれば、諸天は昼も夜も、法のために常にその人を守り、聴く者をみな歓ばせます。なぜなら、この経は、過去・未来・現在の一切の諸仏の神通力に護られているからです。文殊師利よ、この法華経は、数限りない国々で、名前さえ聞くことができないのですから、まして見たり、受持したり読誦したりすることはなおさらです。」 「文殊師利よ、たとえば強い力をもつ転輪聖王が、威勢をもって諸国を降伏させようとして、小王たちがその命令に従わないので、さまざまな軍勢を起こして討ちに行くとします。王は、軍勢の中で戦って功のあった者を見ると、たいへん喜び、功に応じて賞を与えます。田や家、村や町や城を与え、衣服や身を飾る道具を与え、さまざまな珍宝、金、銀、瑠璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、象、馬、車、奴婢、人民を与えますが、ただ髻の中の明珠だけは与えません。なぜなら、王の頭の上にだけこの一つの珠があり、もしこれを与えれば、王の家臣たちが必ず大いに驚き、怪しむからです。」
解説

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史記 衛将軍驃騎列伝悉く李敢等を以て大校と為し、裨将に当て、代・右北平より出づること千余里、左方の兵に直り、斬捕する所の功已に大将軍より多し。軍既に還る。天子曰く、「驃騎将軍去病師を率ゐ、躬ら獲る所の葷粥の士を将ゐ、軽齎を約し、大幕を絶り、渉りて章渠を獲、以て比車耆を誅し、転じて左大将を撃ち、旗鼓を斬獲し、離侯を歴渉す。弓閭を済り、屯頭王・韓王等三人、将軍・相国・当戸・都尉八十三人を獲、狼居胥山に封じ、姑衍に禅し、登りて翰海に臨む。鹵を執へ醜を獲ること七万有四百四十三級、師率減ずること什に三。食を敵に取り、間行殊に遠くして糧絶えず。五千八百戸を以て驃騎将軍に益封す」と。右北平の太守路博徳驃騎将軍に属し、与城に会し、期を失はず、従ひて檮余山に至り、首を斬り虜を捕ふること二千七百級。千六百戸を以て博徳を封じて符離侯と為す。北地の都尉邢山驃騎将軍に従ひて王を獲たり。千二百戸を以て山を封じて義陽侯と為す。故の帰義の因淳王復陸支・楼専王伊即靬皆驃騎将軍に従ひて功有り。千三百戸を以て復陸支を封じて壮侯と為し、千八百戸を以て伊即靬を封じて衆利侯と為す。従驃侯破奴・昌武侯安稽驃騎に従ひて功有り、益封すること各々三百戸。校尉敢旗鼓を得て、関内侯と為し、食邑二百戸。校尉自為爵大庶長。軍吏卒官と為り、賞賜甚だ多し。而して大将軍は益封を得ず、軍吏卒皆封侯せらるる者無し。両軍の塞を出づるや、塞に官及び私馬を閲すること凡そ十四万匹、而して復た塞に入る者三万匹に満たず。乃ち益々大司馬の位を置き、大将軍・驃騎将軍皆大司馬と為る。令を定め、驃騎将軍の秩禄をして大将軍と等しからしむ。是より後、大将軍青日に退き、而して驃騎日に益々貴し。大将軍の故人門下を挙げて多く去りて驃騎に事へ、輒ち官爵を得。唯任安のみ肯ぜず。
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史記 留侯世家且つ夫れ楚唯彊きこと無からしめば、六国の立つ者復た橈みて之に従はん、陛下焉んぞ得て之を臣とせん。誠に客の謀を用ひば、陛下の事去らん」と。漢王食を輟め哺を吐き、罵りて曰く、「豎儒、幾ど而公の事を敗らんとす」と。趣やかに印を銷さしむ。漢四年、韓信斉を破りて自ら立ちて斉王と為らんと欲す、漢王怒る。張良漢王に説き、漢王良をして斉王信に印を授けしむ、語は淮陰の事の中に在り。其の秋、漢王楚を追ひて陽夏の南に至り、戦ひ利あらずして固陵に壁す、諸侯期して至らず。良漢王に説く、漢王其の計を用ひ、諸侯皆至る。語は項籍の事の中に在り。漢六年正月、功臣を封ず。良未だ嘗て戦闘の功有らず、高帝曰く、「策を帷帳の中に運らし、勝ちを千里の外に決するは、子房の功なり。自ら斉の三万戸を択べ」と。良曰く、「始め臣下邳に起こり、上と留に会す、此れ天臣を以て陛下に授くるなり。陛下臣の計を用ひ、幸ひにして時に中る、臣願はくは留に封ぜらるれば足れり、敢へて三万戸に当たらず」と。乃ち張良を封じて留侯と為し、蕭何等と倶に封ず。六年、上已に大功臣二十余人を封ず、其の余は日夜功を争ひて決せず、未だ封を行ふを得ず。上雒陽の南宮に在り、複道より諸将の往往に相与に沙中に坐して語るを望み見る。上曰く、「此れ何をか語る」と。留侯曰く、「陛下知らざるか。此れ反を謀るのみ」と。上曰く、「天下属々安定す、何の故にか反せん」と。留侯曰く、「陛下布衣より起こり、此の属を以て天下を取る、今陛下天子と為り、而して封ずる所は皆蕭・曹の故人の親愛する所、而して誅する所は皆生平の仇怨する所なり。今軍吏功を計り、天下を以て遍く封ずるに足らずとす、此の属陛下の尽く封ずる能はざるを畏れ、恐らくは又平生の過失を疑はれて誅せられんことを恐る、故に即ち相聚まりて反を謀るのみ」と。上乃ち憂ひて曰く、「之を為すこと奈何」と。留侯曰く、「上の平生憎む所にして、羣臣の共に知る所、誰か最も甚だしき者ぞ」と。
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『春秋左氏伝』定公九年 東郭書と犁彌、功を譲る秋、齊侯、晉の夷儀を伐つ。敝無存の父、將に之に室せんとす。辭して以て其の弟に與へて曰く、「此の役や、死せずんば、反りて必ず高・國に取らん」と。先登して、門より出でんことを求め、霤下に死す。東郭書、登るを讓る。犁彌、之に從ひて曰く、「子は讓りて左せよ、我は讓りて右せん。登る者をして絕えしめて後に下らん」と。書は左し、彌は先に下る。書、王猛と息ふ。猛曰く、「我、先に登れり」と。書、甲を斂めて曰く、「曩者の難あり、今又難ぜんとす」と。猛、笑ひて曰く、「吾、子に從はん、驂の靳に如かん」と。晉の車千乘、中牟に在り。衛侯、將に五氏に如かんとし、之を過ぐることを卜す。龜焦ぐ。衛侯曰く、「可なり。衛の車、其の半ばに當たり、寡人、其の半ばに當たらば、敵せん」と。乃ち中牟を過ぐ。中牟の人、之を伐たんと欲す。衛の褚師圃、亡げて中牟に在り。曰く、「衛は小なりと雖も、其の君在り、未だ勝つべからざるなり。齊の師は城に克ちて驕り、其の帥又賤し。遇はば必ず之を敗らん。齊に從ふに如かず」と。乃ち齊の師を伐ちて之を敗る。齊侯、禚・媚・杏を衛に致す。齊侯、犁彌を賞す。犁彌辭して曰く、「先に登る者有り、臣、之に從ふ。皙幘にして貍製を衣る」と。公、東郭書を視しむ。曰く、「乃ち夫子なり。吾、子に貺らん」と。公、東郭書を賞す。辭して曰く、「彼は賓旅なり」と。乃ち犁彌を賞す。齊の師の夷儀に在るや、齊侯、夷儀の人に謂ひて曰く、「敝無存を得る者は、五家を以て免ぜん」と。乃ち其の尸を得。公、三たび之に襚し、之に犀軒と直蓋とを與へて、先づ之を歸す。引く者を坐せしめ、師を以て之を哭し、親ら之を推すこと三たびす。
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史記 蕭相国世家列侯畢く已に封を受け、位次を奏するに及び、皆曰く、「平陽侯曹参は身に七十創を被り、城を攻め地を掠め、功最も多し、宜しく第一なるべし」と。上已に功臣を橈め、多く蕭何を封じ、位次に至りては未だ以て複た之を難ずる有らず、然れども心に何を第一にせんと欲す。関内侯鄂君進みて曰く、「群臣の議皆誤れり。夫れ曹参は野戦略地の功有りと雖も、此れ特だ一時の事なり。夫れ上楚と相距ぐこと五歳、常に軍を失ひ衆を亡ひ、身を逃れて遁るる者数々なり。然れども蕭何常に関中より軍を遣はして其の処を補ふ、上の詔令して召す所に非ずして、数万の衆上の乏絶に会する者数々なり。夫れ漢楚と滎陽を相守ること数年、軍に見糧無し、蕭何関中より転漕し、食を給して乏しからず。陛下数々山東を亡ふと雖も、蕭何常に関中を全うして以て陛下を待つ、此れ万世の功なり。今曹参等百数を亡ふと雖も、何ぞ漢に缺けん。漢之を得るも必ずしも待ちて以て全からず。奈何ぞ一旦の功を以て万世の功に加へんと欲するや。蕭何第一、曹参之に次ぐ」と。高祖曰く、「善し」と。是に於て乃ち蕭何に令し、剣を帯び履をはきて殿に上り、朝に入りて趨らざることを賜ふ。上曰く、「吾聞く、賢を進むる者は上賞を受くと。蕭何の功高しと雖も、鄂君を得て乃ち益々明らかなり」と。是に於て鄂君の故の食む所の関内侯の邑に因りて封じて安平侯と為す。是の日、悉く何の父子兄弟十余人を封じ、皆食邑有り。乃ち何を益封すること二千戸、帝の嘗て咸陽に繇せし時何我を送るに独り銭二を贏せしを以てなり。漢十一年、陳豨反き、高祖自ら将ゐ、邯鄲に至る。未だ罷まず、淮陰侯関中に反かんと謀る、呂后蕭何の計を用ひ、淮陰侯を誅す、語は淮陰の事の中に在り。上已に淮陰侯の誅を聞き、使をして丞相何を拝して相国と為さしめ、益封すること五千戸、卒五百人一都尉をして相国の衛と為さしむ。諸君皆賀す、召平独り弔す。
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『春秋左氏伝』僖公二十四年 介之推の隠遁晉侯亡に從ふ者を賞す。介之推祿を言はず、祿も亦た及ばず。推曰く、「獻公の子九人、唯だ君のみ在り。惠・懷は親無く、外內之を棄つ。天未だ晉を絕たず、必ず將に主有らんとす。晉の祀を主る者は、君に非ずして誰ぞ。天實に之を置く、而るに二三子以て己の力と為す、亦た誣ひならずや。人の財を竊むすら、猶ほ之を盜と謂ふ、況んや天の功を貪りて以て己の力と為すをや。下は其の罪を義とし、上は其の姦を賞す。上下相蒙く、與に處り難し」と。其の母曰く、「盍ぞ亦た之を求めざる。以て死すとも誰をか懟まん」と。對へて曰く、「尤めて之に效ふは、罪又甚だし。且つ怨言を出だせり、其の食を食まず」と。其の母曰く、「亦た之を知らしめば、若何」と。對へて曰く、「言は、身の文なり。身將に隱れんとす、焉んぞ之を文るを用ゐん。是れ顯はるるを求むるなり」と。其の母曰く、「能く是くの如くならんか。女と偕に隱れん」と。遂に隱れて死す。晉侯之を求めて獲ず、綿上を以て之が田と為して、曰く、「以て吾が過ちを志し、且つ善人を旌さん」と。鄭の滑に入るや、滑人命を聽く。師還れば、又衛に即く。鄭の公子士・洩堵俞彌師を帥ゐて滑を伐つ。王伯服・游孫伯をして鄭に如きて滑を請はしむ。鄭伯惠王の入りて厲公に爵を與へざるを怨み、又襄王の衛・滑に與するを怨む。故に王命を聽かずして二子を執ふ。王怒りて、將に狄を以て鄭を伐たんとす。
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説苑・復恩晋の文公亡ぐるの時、陶叔狐従ふ、文公国に反り、三たび賞を行ひて陶叔狐に及ばず、陶叔狐咎犯に見えて曰く、「吾君に従ひて亡ぐること十有三年、顔色黎黒、手足胼胝せり、今君国に反りて三たび賞を行ふも我に及ばず、意ふに君我を忘れたるか、我大故有るか、子試みに我が為に之を君に言へ」と。咎犯之を文公に言ふ、文公曰く、「嘻、我豈に是の子を忘れんや。夫れ高明至賢、徳行全誠、我を道を以て耽しませ、我を仁を以て説ばしめ、我が行ひを暴かに浣ひ、我が名を昭明にし、我をして成人為らしめし者は、吾以て上賞と為さん。我を礼を以て防ぎ、我を誼を以て諫め、我を蕃援して我をして非を為すを得ざらしめ、数々我を賢人の門に引きて請ひし者は、吾以て次賞と為さん。夫れ勇壮強禦、難前に在れば則ち前に居り、難後に在れば則ち後に居り、我を患難の中より免れしめし者は、吾又以て之が次と為さん。且つ子独り聞かざるか、人を死せしむる者は、人の身を存するに如かず、人を亡ぼす者は、人の国を存するに如かず、三行の賞の後にして、労苦の士之に次ぐ、夫れ労苦の士は、是れ子固に首為り、豈に敢へて子を忘れんや」と。周の内史叔輿之を聞きて曰く、「文公其れ霸たらんか。昔聖王は徳を先にして力を後にす、文公其れ之に当れり、詩に云く、『率履越えず』とは、此を之れ謂ふなり」と。晋の文公国に入るに、河に至り、籩豆茵席を棄てしめ、顔色黎黒、手足胼胝せる者を後に在らしむ、咎犯之を聞き、中夜にして哭す、文公曰く、「吾亡ぐること十有九年なり、今将に国に反らんとするに、夫子喜ばずして哭するは、何ぞや、其れ吾が国に反るを欲せざるか」と。対へて曰く、「籩豆茵席は、官する所以なるに、之を棄て、顔色黎黒、手足胼胝せるは、労苦を執る所以なるに、皆之を後にす、臣聞く、国君士を蔽へば、忠臣を取る所無く、大夫遊を蔽へば、忠友を取る所無し、と。今国に至るに、臣蔽ふ所の中に在り、其の哀しみに勝へず、故に哭するなり」と。文公曰く、「禍福利害咎氏と之を同じくせざれば、白水有るが如し」と、之を祝して、璧を刀にて沈めて盟す。介子推曰く、「献公の子九人、唯だ君のみ在るのみ、天未だ晋を絶たず、必ず主有らん、晋祀を主る者君に非ずして何ぞや、唯だ二三子の者以て己が力と為すは、亦た誣ならずや」と。文公即位するも、賞推に及ばず、推が母曰く、「盍ぞ亦た之を求めざる」と。推曰く、「尤めて之に效はば、罪又甚し、且つ怨言を出だせば、其の食を食らはず」と。其の母曰く、「亦た知らしめよ」と。推曰く、「言は身の文なり、身将に隠れんとす、安んぞ文を用ゐん」と。其の母曰く、「能く是の如くんば、若と俱に隠れん」と。死に至るまで復た推に見えず。従者之を憐みて、乃ち書を宮門に懸けて曰く、「龍有り矯矯たり、頃其の所を失ふ、五蛇之に従ひ、天下を周遍す、龍飢ゑて食無し、一蛇股を割く、龍其の淵に反り、其の壤土に安んず、四蛇穴に入り、皆処る所有り、一蛇穴無く、中野に号す」と。文公出でて書を見て曰く、「嗟此れ介子推なり、吾方に王室を憂ひて其の功を図らず」と。人をして之を召さしむるに則ち亡ぐ、遂に其の在る所を求む、其の綿上山中に入るを聞く。是に於て文公綿上山中を表して之を封じ、以て介推の田と為し、号して介山と曰ふ。