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法華経 / 安樂行品第十四(4)

是則名為,行處近處,以此二處,能安樂說。又復不行,上中下法,有為無為,實不實法, 亦不分別,是男是女,不得諸法,不知不見。是則名為,菩薩行處,一切諸法,空無所有, 無有常住,亦無起滅,是名智者,所親近處。顛倒分別,諸法有無,是實非實,是生非生, 在於閑處,修攝其心,安住不動,如須彌山。觀一切法,皆無所有,猶如虛空,無有堅固, 不生不出,不動不退,常住一相,是名近處。若有比丘,於我滅後,入是行處,及親近處, 說斯經時,無有怯弱。菩薩有時,入於靜室。以正憶念,隨義觀法。從禪定起,為諸國王, 王子臣民,婆羅門等,開化演暢,說斯經典。其心安隱,無有怯弱。文殊師利,是名菩薩, 安住初法,能於後世,說法華經。 「又文殊師利,如來滅後,於末法中,欲說是經,應住安樂行。若口宣說,若讀經時,不樂說人,及經典過。亦不輕慢諸餘法師,不說他人好惡、長短。於聲聞人,亦不稱名說其過惡,亦不稱名讚歎其美,又亦不生怨嫌之心。善修如是安樂心故,諸有聽者,不逆其意,有所難問,不以小乘法答,但以大乘而為解說,令得一切種智。」 爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:

新字:是則名為,行処近処,以此二処,能安楽説。又復不行,上中下法,有為無為,実不実法, 亦不分別,是男是女,不得諸法,不知不見。是則名為,菩薩行処,一切諸法,空無所有, 無有常住,亦無起滅,是名智者,所親近処。顛倒分別,諸法有無,是実非実,是生非生, 在於閑処,修摂其心,安住不動,如須弥山。観一切法,皆無所有,猶如虚空,無有堅固, 不生不出,不動不退,常住一相,是名近処。若有比丘,於我滅後,入是行処,及親近処, 説斯経時,無有怯弱。菩薩有時,入於静室。以正憶念,随義観法。従禅定起,為諸国王, 王子臣民,婆羅門等,開化演暢,説斯経典。其心安隠,無有怯弱。文殊師利,是名菩薩, 安住初法,能於後世,説法華経。 「又文殊師利,如来滅後,於末法中,欲説是経,応住安楽行。若口宣説,若読経時,不楽説人,及経典過。亦不軽慢諸余法師,不説他人好悪、長短。於声聞人,亦不称名説其過悪,亦不称名讃嘆其美,又亦不生怨嫌之心。善修如是安楽心故,諸有聴者,不逆其意,有所難問,不以小乗法答,但以大乗而為解説,令得一切種智。」 爾時世尊欲重宣此義,而説偈言:

書き下し

是れ則ち名づけて行処・近処と為す。この二処を以て、能く安楽に説く。又復た上・中・下の法、有為・無為、実・不実の法を行ぜず、 亦た是れ男、是れ女と分別せず、諸法を得ず、知らず見ず。是れ則ち名づけて菩薩の行処と為す。一切の諸法は、空にして所有無く、 常住有ること無く、亦た起滅無し。是れを智者の親近する所の処と名づく。顛倒して分別す、諸法の有無、是れ実、非実、是れ生、非生と。 閑処に在りて、其の心を修摂し、安住して動ぜざること、須弥山の如くせよ。一切の法を観ずるに、皆所有無く、猶お虚空の如く、堅固なること有ること無し。 不生不出、不動不退にして、常に一相に住す。是れを近処と名づく。若し比丘有りて、我が滅後に於いて、是の行処、及び親近処に入りて、 斯の経を説かん時、怯弱有ること無けん。菩薩有る時は、静室に入り、正憶念を以て、義に随いて法を観ず。禅定より起ちて、諸の国王、 王子・臣民・婆羅門等の為に、開化し演暢して、斯の経典を説かん。其の心安穏にして、怯弱有ること無けん。文殊師利、是れを菩薩、 初めの法に安住して、能く後世に於いて、法華経を説くと名づく。 「又、文殊師利、如来の滅後、末法の中に於いて、是の経を説かんと欲せば、応に安楽行に住すべし。若しは口に宣説し、若しは経を読まん時、人及び経典の過を説くことを楽わず。亦た諸余の法師を軽慢せず、他人の好悪・長短を説かず。声聞の人に於いても、亦た名を称して其の過悪を説かず、亦た名を称して其の美を讃歎せず、又た亦た怨嫌の心を生ぜず。善く是の如き安楽の心を修するが故に、諸の有ゆる聴く者、其の意に逆らわず、難問する所有らば、小乗の法を以て答えず、但だ大乗を以て為に解説し、一切種智を得しむ。」 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、

現代語訳

これを、行処と近処と名づけます。この二つの拠りどころによって、安楽のうちに説くことができます。また、上・中・下の法、有為・無為の法、実と不実の法にとらわれて行じることもなく、男である、女であるという区別もせず、諸法を得たとも、知ったとも、見たとも思いません。これを菩薩の行処と名づけます。あらゆる法は空であって実体がなく、常に変わらず存在するものもなく、生じたり滅したりもしません。これを智者が親しみ近づくべき場所と名づけます。人は取り違えて、法に有る無い、実である実でない、生じる生じないと分別します。静かな場所にいて、その心を整え収め、須弥山のように安らかに動かずにいなさい。あらゆる法を観ると、どれにも何も備わっておらず、虚空のようで堅固なものはなく、生ぜず出ず、動かず退かず、常に一つの相にとどまっています。これを近処と名づけます。もし比丘が、私の滅後にこの行処と近処に入ってこの経を説くなら、怯えることはありません。菩薩は時に静かな室に入り、正しい憶念をもって、意味に従って法を観じます。禅定から起って、国王、王子、臣下や民、バラモンなどのために教え導き、のびやかにこの経典を説きます。その心は安らかで、怯えることがありません。文殊師利よ、これを、菩薩が最初の法に安住し、後の世に法華経を説くことができる、と名づけます。 「また文殊師利よ、如来の滅後、末法の世にこの経を説こうとするなら、安楽行にとどまりなさい。口で説くときも、経を読むときも、人や経典の過ちを語ることを好まず、他の法師たちを軽んじず、他人の好き嫌いや長所短所を言わないことです。声聞の人についても、名指しでその過ちを語らず、名指しでその美点を讃えもせず、恨みや嫌う心も起こしません。このような安楽の心をよく修めるので、聴く者はその意に逆らわず、難しい質問があっても小乗の法で答えず、ただ大乗によって説き明かし、一切種智を得させます。」 そのとき世尊は、重ねてこの意味を述べようとして、偈を説いて言われました。

解説

安楽行品の続きで、初めの法の締めくくりと、口で説くときの心得が語られます。前半は法を空と観てとらわれず、静かな心で説くこと、後半は他人や他の法師の過ち、優劣を語らないことを求めています。品全体は、末法の世に経を説く菩薩のための四つの安楽行を示す箇所です。空の観想という前提は現代の読者には遠いかもしれませんが、人を名指しで評価したり、他部署や他社を悪く言ったりしない姿勢は、聴き手の警戒を解き、相談や反論を受け入れる土台になります。難しい質問を相手に分かる言葉で受け止める態度は、指導する立場にも通じます。
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この章句が説くこと

行処近処安楽行空末法軽慢

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