法華経 / 見寶塔品第十一(6)
爾時多寶佛、於寶塔中、分半座與釋迦牟尼佛,而作是言:「釋迦牟尼佛、可就此座。」即時釋迦牟尼佛入其塔中,坐其半座,結跏趺坐。爾時、大眾見二如來在七寶塔中師子座上、結跏趺坐,各作是念:「佛座高遠,惟願如來以神通力,令我等輩、俱處虛空。」即時釋迦牟尼佛、以神通力,接諸大眾、皆在虛空。以大音聲、普告四眾:「誰能於此娑婆國土、廣說妙法華經,今正是時。如來不久當入涅槃,佛欲以此妙法華經、付囑有在。」 爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:
新字:爾時多宝仏、於宝塔中、分半座与釈迦牟尼仏,而作是言:「釈迦牟尼仏、可就此座。」即時釈迦牟尼仏入其塔中,坐其半座,結跏趺坐。爾時、大衆見二如来在七宝塔中師子座上、結跏趺坐,各作是念:「仏座高遠,惟願如来以神通力,令我等輩、倶処虚空。」即時釈迦牟尼仏、以神通力,接諸大衆、皆在虚空。以大音声、普告四衆:「誰能於此娑婆国土、広説妙法華経,今正是時。如来不久当入涅槃,仏欲以此妙法華経、付囑有在。」 爾時世尊欲重宣此義,而説偈言:
書き下し
爾の時、多宝仏、宝塔の中に於いて、半座を分かちて釈迦牟尼仏に与え、是の言を作したまわく、「釈迦牟尼仏よ、此の座に就くべし。」即時に釈迦牟尼仏、其の塔の中に入り、其の半座に坐して、結跏趺坐したまえり。爾の時、大衆、二の如来の七宝塔の中の師子座の上に結跏趺坐したまえるを見て、各おの是の念を作さく、「仏の座は高遠なり。惟願わくは如来、神通力をもて、我等が輩をして、俱に虚空に処らしめたまえ。」即時に釈迦牟尼仏、神通力をもて、諸の大衆を接して、皆、虚空に在らしめたもう。大音声をもて、普く四衆に告げたまわく、「誰か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来は久しからずして当に涅槃に入るべし。仏は此の妙法華経を以て、付嘱して有在せしめんと欲す。」 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
現代語訳
そのとき、多宝仏は宝塔の中で座の半分を分けて釈迦牟尼仏に与え、こう言われました。「釈迦牟尼仏よ、この座にお着きください。」すぐに釈迦牟尼仏はその塔の中に入り、半分の座に足を組んで坐られました。そのとき大衆は、二人の如来が七宝の塔の中の獅子座の上に坐っておられるのを見て、それぞれ思いました。「仏の座は高く遠い。どうか如来が神通力で、私たちもともに虚空にいられるようにしてください。」すぐに釈迦牟尼仏は神通力で大衆を引き上げ、みなを虚空に置かれました。そして大きな声であまねく四衆に告げられました。「誰かこの娑婆の国土で、広く妙法華経を説く人はいませんか。今こそその時です。如来は遠からず涅槃に入ります。仏はこの妙法華経を託して、この世にとどめておこうと思います。」 そのとき世尊は、この意味を重ねて述べようとして、偈を説かれました。
解説

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法華経・見寶塔品第十一(5)爾の時、東方の釈迦牟尼仏の分身したまう所の、百千万億那由他恒河沙等の国土の中の諸仏、各各、法を説き、来たって此に集まりたもう。是の如く次第に十方の諸仏、皆悉く来集して、八方に坐したもう。爾の時、一一の方に、四百万億那由他の国土の諸仏如来、其の中に遍満したまえり。是の時、諸仏、各おの宝樹の下に在りて師子座に坐し、皆、侍者を遣わして釈迦牟尼仏に問訊せしめ、各おの宝華を斎すること掬に満てて、之に告げて言わく、 「善男子、汝、耆闍崛山の釈迦牟尼仏の所に往詣して、我が辞の如く曰え、『少病少悩にして、気力安楽に、及び菩薩・声聞衆、悉く安穏なりや。』と。此の宝華をもて、仏に散じて供養し、而も是の言を作せ、『彼の某甲仏、此の宝塔を開かんと欲するに与したもう。』と。諸仏の使いを遣わしたもうこと、亦復た是の如し。」 爾の時、釈迦牟尼仏、分身の仏の悉く已に来集して、各おの師子の座に坐したもうを見、皆、諸仏の与に同じく宝塔を開かんと欲したもうを聞きたもう。即ち座より起って、虚空の中に住したもう。一切の四衆、起立し合掌して、一心に仏を観たてまつる。是に於いて釈迦牟尼仏、右の指をもて七宝塔の戸を開きたもうに、大音声を出ずること、関鑰を卻けて、大城の門を開くが如し。即時に一切の衆会、皆、多宝如来の、宝塔の中に於いて師子座に坐し、全身散ぜず、禅定に入るが如くなるを見る。又、其の言を聞く、「善き哉、善き哉、釈迦牟尼仏、快く是の法華経を説きたもう。我、是の経を聴かんが為の故に、而も此に来至せり。」爾の時、四衆等、過去無量千万億劫に滅度したまえる仏の、是の如き言を説きたもうを見て、未曽有なりと歎じ、天の宝華聚をもて、多宝仏及び釈迦牟尼仏の上に散ず。
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法華経・見寶塔品第十一(2)爾の時、菩薩摩訶薩有り、名を大楽説といい、一切世間の天・人・阿修羅等の心の疑う所を知って、仏に白して言さく、世尊、「何の因縁を以て、此の宝塔の地より湧出し、又、其の中より是の音声を発すること有る。」爾の時、仏、大楽説菩薩に告げたまわく、「此の宝塔の中には、如来の全身有します。乃往過去、東方無量千万億阿僧祇の世界に、国を宝浄と名づく。彼の中に仏有し、号を多宝と曰う。其の仏、菩薩道を行ぜし時、大誓願を作したまわく、『若し我成仏して滅度の後、十方の国土に、法華経を説く処有らば、我が塔廟は、是の経を聴かんが為の故に、其の前に湧現して、為に証明と作り、讃めて、善き哉と言わん。』と。」 「彼の仏、成道し已って、滅度に臨む時、天人大衆の中に於いて、諸の比丘に告げたまわく、『我が滅度の後、我が全身を供養せんと欲せば、応に一の大塔を起つべし。』と。其の仏、神通願力をもて、十方世界の、在在処処に、若し法華経を説く者有らば、彼の宝塔、皆、其の前に湧出し、全身、塔中に在して、讃めて、『善き哉、善き哉。』と言う。」 「大楽説よ、今、多宝如来の塔は、法華経を説くを聞くが故に、地より湧出して、讃めて、『善き哉、善き哉。』と言う。」 是の時、大楽説菩薩、如来の神力を以ての故に、仏に白して言さく、「世尊、我等、願わくは此の仏身を見たてまつらんと欲す。」仏、大楽説菩薩摩訶薩に告げたまわく、「是の多宝仏には、深重の願有り。若し我が宝塔、法華経を聴かんが為の故に、諸仏の前に出ずる時、其れ我が身を以て四衆に示さんと欲すること有らば、彼の仏の分身の諸仏の、十方世界に在りて法を説きたもうを、尽く還して一処に集めて、然して後に我が身乃ち出現せんのみ、と。」 「大楽説よ、我が分身の諸仏の、十方世界に在りて法を説く者を、今、応当に集むべし。」
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法華経・見寶塔品第十一(3)大楽説、仏に白して言さく、「世尊、我等も亦た、世尊の分身の諸仏を見たてまつり、礼拝し供養せんと願欲す。」爾の時、仏、白毫の一光を放ちたまうに、即ち東方五百万億那由他恒河沙等の国土の諸仏を見る。彼の諸の国土は、皆、玻璃をもて地と為し、宝樹・宝衣をもて荘厳とし、無数千万億の菩薩、其の中に充満し、遍く宝幔を張り、宝網、上に羅なれり。彼の国の諸仏は、大妙音をもて諸法を説きたもう。及び無量千万億の菩薩の、遍く諸国に満ちて、衆の為に法を説くを見る。南・西・北方、四維・上下、白毫相の光の照らす所の処も、亦復た是の如し。 爾の時、十方の諸仏、各おの衆の菩薩に告げて言わく、「善男子、我、今、応に娑婆世界の釈迦牟尼仏の所に往き、並びに多宝如来の宝塔を供養すべし。」時に娑婆世界、即ち変じて清浄となり、瑠璃を地とし、宝樹をもて荘厳し、黄金を縄として以て八道を界い、諸の聚落・村営・城邑・大海・江河・山川・林藪無し。大宝香を焼き、曼陀羅華、遍く其の地に布き、宝の網幔をもて、羅ねて其の上を覆い、諸の宝鈴を懸けたり。惟だ此の会の衆を留め、諸の天人を移して、他土に置く。是の時、諸仏、各おの一の大菩薩を将いて、以て侍者と為し、娑婆世界に至り、各おの宝樹の下に到りたもう。一一の宝樹は、高さ五百由旬、枝・葉・華・果、次第に荘厳し、諸の宝樹の下に、皆、師子の座有り、高さ五由旬、亦た大宝をもて之を校飾せり。爾の時、諸仏、各おの此の座に於いて結跏趺坐したもう。是の如く展転して三千大千世界に遍満す。而も釈迦牟尼仏の、一方に分かちたまう所の身すら、猶お故お未だ尽きず。
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