法華経 / 藥草喻品第五(4)
出於世間,猶如大雲、充潤一切,枯槁眾生,皆令離苦,得安隱樂、世間之樂、及涅槃樂。 諸天人眾,一心善聽,皆應到此、覲無上尊。我為世尊,無能及者,安隱眾生,故現於世, 為大眾說,甘露淨法。其法一味,解脫涅槃,以一妙音、演暢斯義,常為大乘,而作因緣。 我觀一切,普皆平等,無有彼此、愛憎之心。我無貪著,亦無限礙,恒為一切、平等說法, 如為一人,眾多亦然。常演說法,曾無他事,去來坐立、終不疲厭,充足世間,如雨普潤。 貴賤上下,持戒毀戒,威儀具足、及不具足,正見邪見,利根鈍根,等雨法雨,而無懈倦。 一切眾生、聞我法者,隨力所受,住於諸地。或處人天,轉輪聖王,釋梵諸王,是小藥草。 知無漏法,能得涅槃,起六神通,及得三明,獨處山林,常行禪定,得緣覺證,是中藥草。 求世尊處,我當作佛,行精進定,是上藥草。又諸佛子、專心佛道,常行慈悲,自知作佛,
新字:出於世間,猶如大雲、充潤一切,枯槁衆生,皆令離苦,得安隠楽、世間之楽、及涅槃楽。 諸天人衆,一心善聴,皆応到此、覲無上尊。我為世尊,無能及者,安隠衆生,故現於世, 為大衆説,甘露浄法。其法一味,解脱涅槃,以一妙音、演暢斯義,常為大乗,而作因縁。 我観一切,普皆平等,無有彼此、愛憎之心。我無貪著,亦無限礙,恒為一切、平等説法, 如為一人,衆多亦然。常演説法,曽無他事,去来坐立、終不疲厭,充足世間,如雨普潤。 貴賤上下,持戒毀戒,威儀具足、及不具足,正見邪見,利根鈍根,等雨法雨,而無懈倦。 一切衆生、聞我法者,随力所受,住於諸地。或処人天,転輪聖王,釈梵諸王,是小薬草。 知無漏法,能得涅槃,起六神通,及得三明,独処山林,常行禅定,得縁覚証,是中薬草。 求世尊処,我当作仏,行精進定,是上薬草。又諸仏子、専心仏道,常行慈悲,自知作仏,
書き下し
世間に出でて、猶お大雲の、一切を充潤するが如し、枯槁の衆生をば、皆苦を離れしめ、安穏の楽、世間の楽、及び涅槃の楽を得しむ。 諸の天人衆、一心に善く聴け、皆応に此に到りて、無上尊に覲うべし。我は世尊為り、能く及ぶ者無し、衆生を安穏にせんが故に、世に現ず、 大衆の為に、甘露の浄法を説く。其の法は一味にして、解脱涅槃なり、一妙音を以て、斯の義を演暢し、常に大乗の為に、因縁を作す。 我、一切を観るに、普く皆平等にして、彼此、愛憎の心有ること無し。我、貪著無く、亦た限礙無し、恒に一切の為に、平等に法を説く、 一人の為にするが如く、衆多にも亦然り。常に法を演説して、曾て他事無し、去来坐立、終に疲厭せず、世間に充足すること、雨の普く潤すが如し。 貴賤上下、持戒毀戒、威儀具足、及び具足せざる、正見邪見、利根鈍根にも、等しく法雨を雨ふらして、懈倦無し。 一切衆生の、我が法を聞く者は、力の受くる所に随いて、諸地に住す。或いは人天、転輪聖王、釈梵諸王に処するは、是れ小薬草なり。 無漏の法を知り、能く涅槃を得、六神通を起し、及び三明を得、独り山林に処して、常に禅定を行じ、縁覚の証を得るは、是れ中薬草なり。 世尊の処を求め、我当に作仏すべしとて、精進定を行ずるは、是れ上薬草なり。又、諸の仏子、専ら仏道に心を専らにし、常に慈悲を行じ、自ら作仏することを知り、
現代語訳
世に出て、大雲があらゆるものを潤すように、枯れ果てた人々をみな苦しみから離れさせ、安らかな楽しみ、世間の楽しみ、そして涅槃の楽しみを得させます。 もろもろの天や人々よ、心を一つにしてよく聴きなさい。みなここに来て、この上なく尊い者にお会いしなさい。私は世尊であり、並ぶ者はなく、人々を安らかにするために世に現れました。大衆のために、甘露のような清らかな法を説きます。その法は一つの味で、解脱であり涅槃です。ひとつの妙なる声でこの意味を述べ、常に大乗のために縁を結びます。私はあらゆるものを見るのに、あまねくみな平等で、あれこれの区別や愛憎の心がありません。私には貪りも執着もなく、また障りもなく、常にすべての人のために、平等に法を説きます。一人のために説くように、多くの人にも同様に説きます。常に法を述べ、ほかのことは決してせず、行くのも来るのも座るのも立つのも、疲れたり厭いたりすることがありません。世間を満たすことは、雨があまねく潤すようなものです。 身分の貴い者も賤しい者も、上の者も下の者も、戒を守る者も破る者も、立ち居振る舞いの整った者もそうでない者も、正しい見方の者も誤った見方の者も、鋭い素質の者も鈍い素質の者も、等しく法の雨を降らして、怠ることも飽きることもありません。 私の法を聞くすべての人々は、自分の力が受けられる分に応じて、さまざまな境地に住みます。人間界や天界に生まれたり、転輪聖王になったり、帝釈天や梵天などの王となるのは、小薬草です。煩悩のない法を知って涅槃を得、六つの神通を起こし、三明を得て、独りで山林に住み、いつも禅定を行い、縁覚の悟りを得るのは、中薬草です。世尊の境地を求め、私は仏になろうと考えて精進と禅定を行うのは、上薬草です。さらに、仏の子たちが専ら仏道に心を向け、常に慈悲を行い、自ら仏になることを知り、
解説

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法華経・藥草喻品第五(2)「爾の時、無数千万億種の衆生、仏の所に来至して、法を聴く。如来、時に於て、是の衆生の諸根の利鈍、精進、懈怠を観て、其の堪うる所に随いて、為に法を説きたもうこと、種種無量にして、皆歓喜せしめ、快く善利を得しむ。」 「是の諸の衆生、是の法を聞き已りて、現世は安穏に、後生は善処にして、道を以て楽を受け、亦た法を聞くことを得。既に法を聞き已りて、諸の障礙を離れ、諸法の中に於て、力の能う所に任せ、漸く道に入るを得。彼の大雲の、一切の卉木叢林、及び諸の薬草に雨ふらして、其の種性の如く、具足して蒙潤し、各生長することを得るが如し。」 「如来の説法は、一相一味なり、所謂、解脱相、離相、滅相にして、究竟して一切種智に至る。其れ衆生有りて、如来の法を聞き、若しくは持ち読誦し、説の如く修行せば、得る所の功徳、自ら覚知せず。所以は何ん。唯だ如来のみ、此の衆生の種相体性を知る、何の事を念い、何の事を思い、何の事を修し、云何に念い、云何に思い、云何に修し、何の法を以て念い、何の法を以て思い、何の法を以て修し、何の法を以て何の法を得るかを。衆生は種種の地に住す、唯だ如来のみ、如実に之を見て、明了にして礙げ無し。彼の卉木叢林、諸の薬草等の、自ら上中下の性を知らざるが如し。如来は是の一相一味の法を知る、所謂、解脱相、離相、滅相、究竟涅槃、常寂滅相にして、終に空に帰す。仏、是れを知り已りて、衆生の心欲を観て、之を将護す、是の故に即ちには、為に一切種智を説かず。汝等迦葉、甚だ稀有なりと為す、能く如来の宜しきに随いて説法したもうを知り、能く信じ能く受く。所以は何ん。諸仏世尊、宜しきに随いて説法したもうこと、解し難く知り難し。」 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言わく、
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法華経・藥草喻品第五(1)爾の時、世尊、摩訶迦葉、及び諸の大弟子に告げたまわく、「善いかな、善いかな、迦葉は善く如来の真実の功徳を説けり。誠に言う所の如し、如来には復た無量無辺阿僧祇の功徳有り、汝等、若し無量億劫に於て説くとも、尽くすこと能わず。迦葉、当に知るべし、如来は是れ諸法の王なり、若し説く所有らば、皆虚しからざるなり。一切の法に於て、智方便を以て之を演説し、其の説く所の法は、皆悉く一切智地に到る。如来は一切の諸法の帰趣する所を観知し、亦た一切衆生の深心の行ずる所を知りて、通達して礙げ無く、又、諸法に於て究め尽くして明了にして、諸の衆生に一切の智慧を示したもう。」 「迦葉、譬えば三千大千世界の、山川渓谷の土地に生ずる所の、卉木叢林、及び諸の薬草の、種類若干にして、名色各異なるが如し。密雲彌く布き、遍く三千大千世界を覆い、一時に等しく澍ぎ、其の沢普く洽う。卉木叢林、及び諸の薬草、小根小茎、小枝小葉、中根中茎、中枝中葉、大根大茎、大枝大葉、諸樹の大小、上中下に随いて、各受くる所有り、一雲の雨る所、其の種性に称いて生長することを得、華果敷き実る。一地の生ずる所、一雨の潤す所なりと雖も、而も諸の草木、各差別有り。」 「迦葉、当に知るべし、如来も亦復是くの如し、世に出現すること、大雲の起るが如く、大音声を以て、普く世界の天、人、阿修羅に遍し、彼の大雲の遍く三千大千の国土を覆うが如し。大衆の中に於て、是の言を唱う、『我は是れ如来、応供、正遍知、明行足、善逝世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊なり、未だ度せざる者をば度せしめ、未だ解せざる者をば解せしめ、未だ安んぜざる者をば安んぜしめ、未だ涅槃せざる者をば涅槃を得しむ、今世後世、如実に之を知る。我は是れ一切知者、一切見者、知道者、開道者、説道者なり、汝等天、人、阿修羅衆は、皆応に此に到るべし、法を聴かんが為の故に』と。」
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法華経・藥草喻品第五(3)有を破る法王、世間に出現して、衆生の欲に随い、種種に法を説く。如来は尊重にして、智慧深遠なり、久しく斯の要を黙して、速やかに説くことを務めず。 智有らば若し聞かば、則ち能く信解し、智無きは疑悔して、則ち為れ永く失う。是の故に迦葉、力に随いて為に説き、種種の縁を以て、正見を得しむ。 迦葉、当に知るべし、譬えば大雲の、世間に起り、遍く一切を覆うが如し、慧雲は潤いを含み、電光は晃曜し、雷声は遠く震い、衆をして悦豫せしむ。 日光は掩蔽せられ、地上は清涼にして、靉靆と垂れ布き、承け攬るべきが如し。其の雨は普く等しく、四方に俱に下り、流れ澍ぐこと無量にして、率土充ち洽う。 山川険谷の、幽邃に生ずる所の、卉木薬草、大小の諸樹、百穀の苗稼、甘蔗葡萄、雨の潤す所、豊足せざる無し、 乾ける地は普く洽い、薬木並びに茂る。其の雲の出す所の、一味の水を、草木叢林、分に随いて潤いを受く。一切の諸樹、上中下等、 其の大小に称いて、各生長することを得、根茎枝葉、華果の光色、一雨の及ぶ所、皆鮮沢を得。其の体相、性分の大小の如く、 潤う所は是れ一なれども、而も各滋茂す。仏も亦是くの如し、世に出現すること、譬えば大雲の、普く一切を覆うが如し。既に世に出でて、諸の衆生の為に、 諸法の実を分別し演説す。大聖世尊、諸の天人、一切衆の中に於て、是の言を宣ぶ、我は如来、両足の尊為り、
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法華経・藥草喻品第五(5)決定して疑い無きは、是れを小樹と名づく。神通に安住し、不退の輪を転じ、無量億、百千の衆生を度するは、是くの如き菩薩を、名づけて大樹と為す。 仏の平等に説きたもうこと、一味の雨の如し、衆生の性に随いて、受くる所不同なること、彼の草木の、稟くる所各異なるが如し、仏は此の喩を以て、方便して開示したもう、 種種の言辞をもて、一法を演説したもうも、仏の智慧に於ては、海の一滴の如し。我、法雨を雨ふらして、世間に充満し、一味の法を、力に随いて修行すること、 彼の叢林、薬草諸樹の、其の大小に随いて、漸く増して茂り好きが如し。諸仏の法は、常に一味を以て、諸の世間をして、普く具足を得しめ、 漸次に修行して、皆道果を得しむ。声聞縁覚の、山林に処し、最後身に住して、法を聞きて果を得るは、是れを薬草と名づけ、各増長することを得。 若し諸の菩薩の、智慧堅固にして、三界を了達し、最上乗を求むるは、是れを小樹と名づけて、増長することを得。復た禅に住して、神通力を得、 諸法の空なるを聞きて、心大いに歓喜し、無数の光を放ちて、諸の衆生を度するは、是れを大樹と名づけて、増長することを得。是くの如く迦葉、仏の説く所の法は、 譬えば大雲の、一味の雨を以て、人華を潤し、各実を成ずることを得しむるが如し。迦葉、当に知るべし、諸の因縁、種種の譬喩を以て、仏道を開示するは、 是れ我が方便なり、諸仏も亦然り。今、汝等の為に、最も実なる事を説く、諸の声聞衆は、皆滅度に非ず、汝等が行ずる所は、是れ菩薩道なり、 漸漸に修学して、悉く当に成仏すべし。
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法華経・方便品第二(14)久遠劫より来、是の涅槃の法を讃え、生死の苦永く尽くと、我常に是の如く説けり。 舎利弗当に知るべし、我仏子等の、志して仏道を求むる者、無量千万億なるを見る。 咸く恭敬の心を以て、皆仏所に来至し、曾て諸仏に従いて、方便所説の法を聞けり。 我即ち是の念を作す、如来の出づる所以は、仏慧を説かんが為の故なり、今正に是れ其の時なり、と。 舎利弗当に知るべし、鈍根小智の人、相に著し憍慢なる者は、是の法を信ずること能わず。 今我は喜びて畏るる無く、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但無上道を説く。 菩薩是の法を聞かば、疑網皆已に除かれん。千二百の羅漢も、悉く亦当に仏と作るべし。 三世の諸仏の、説法の儀式の如く、我今も亦是の如く、無分別の法を説く。 諸仏の世に興出したまうこと、懸遠にして値遇すること難く、正使世に出でたまうとも、是の法を説きたまうこと復難し。 無量無数劫にも、是の法を聞くこと亦難く、能く是の法を聴く者も、斯の人亦復難し。 譬えば優曇華の、一切皆愛楽し、天人の稀有とする所にして、時時に乃ち一たび出づるが如し。 法を聞きて歓喜し讃え、乃至一言を発せば、則ち已に、一切三世の仏を供養すと為す。 是の人は甚だ稀有にして、優曇華に過ぎたり。汝等疑い有ること勿れ、我は諸法の王たり、 普く諸の大衆に告ぐ、但一乗の道を以て、諸の菩薩を教化し、声聞の弟子無し、と。 汝等舎利弗、声聞及び菩薩よ、当に知るべし、是の妙法は、諸仏の秘要なり。 五濁悪世を以て、但諸欲に楽著す。是の如き等の衆生は、終に仏道を求めず。 当来世の悪人は、仏の一乗を説きたまうを聞きて、迷惑して信受せず、法を破して悪道に堕せん。 慚愧有り清浄にして、志して仏道を求むる者には、当に是の如き等の為に、広く一乗の道を讃むべし。 舎利弗当に知るべし、諸仏の法は是の如く、万億の方便を以て、宜しきに随いて法を説きたまう。 其の習学せざる者は、此れを暁了すること能わず。汝等既に已に知れり、諸仏は世の師にして、 宜しきに随う方便の事なりと。復諸の疑惑無く、心に大歓喜を生じ、自ら当に仏と作るべきを知れ。
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