法華経 / 藥草喻品第五(2)
「爾時無數千萬億種眾生,來至佛所、而聽法。如來於時,觀是眾生諸根利鈍,精進、懈怠,隨其所堪、而為說法,種種無量,皆令歡喜、快得善利。」 「是諸眾生、聞是法已,現世安隱,後生善處,以道受樂,亦得聞法。既聞法已,離諸障礙,於諸法中,任力所能,漸得入道。如彼大雲、雨於一切卉木叢林、及諸藥草,如其種性,具足蒙潤,各得生長。」 「如來說法,一相一味,所謂解脫相、離相、滅相,究竟至於一切種智。其有眾生、聞如來法,若持讀誦,如說修行,所得功德、不自覺知。所以者何。唯有如來、知此眾生種相體性,念何事,思何事,修何事,云何念,云何思,云何修,以何法念,以何法思,以何法修,以何法得何法,眾生住於種種之地,唯有如來、如實見之,明了無礙。如彼卉木叢林、諸藥草等,而不自知上中下性,如來知是一相一味之法,所謂解脫相、離相、滅相,究竟涅槃、常寂滅相,終歸於空。佛知是已,觀眾生心欲、而將護之,是故不即為說一切種智。汝等迦葉、甚為稀有,能知如來隨宜說法,能信能受。所以者何。諸佛世尊、隨宜說法,難解難知。」 爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:
新字:「爾時無数千万億種衆生,来至仏所、而聴法。如来於時,観是衆生諸根利鈍,精進、懈怠,随其所堪、而為説法,種種無量,皆令歓喜、快得善利。」 「是諸衆生、聞是法已,現世安隠,後生善処,以道受楽,亦得聞法。既聞法已,離諸障礙,於諸法中,任力所能,漸得入道。如彼大雲、雨於一切卉木叢林、及諸薬草,如其種性,具足蒙潤,各得生長。」 「如来説法,一相一味,所謂解脱相、離相、滅相,究竟至於一切種智。其有衆生、聞如来法,若持読誦,如説修行,所得功徳、不自覚知。所以者何。唯有如来、知此衆生種相体性,念何事,思何事,修何事,云何念,云何思,云何修,以何法念,以何法思,以何法修,以何法得何法,衆生住於種種之地,唯有如来、如実見之,明了無礙。如彼卉木叢林、諸薬草等,而不自知上中下性,如来知是一相一味之法,所謂解脱相、離相、滅相,究竟涅槃、常寂滅相,終帰於空。仏知是已,観衆生心欲、而将護之,是故不即為説一切種智。汝等迦葉、甚為稀有,能知如来随宜説法,能信能受。所以者何。諸仏世尊、随宜説法,難解難知。」 爾時世尊欲重宣此義,而説偈言:
書き下し
「爾の時、無数千万億種の衆生、仏の所に来至して、法を聴く。如来、時に於て、是の衆生の諸根の利鈍、精進、懈怠を観て、其の堪うる所に随いて、為に法を説きたもうこと、種種無量にして、皆歓喜せしめ、快く善利を得しむ。」 「是の諸の衆生、是の法を聞き已りて、現世は安穏に、後生は善処にして、道を以て楽を受け、亦た法を聞くことを得。既に法を聞き已りて、諸の障礙を離れ、諸法の中に於て、力の能う所に任せ、漸く道に入るを得。彼の大雲の、一切の卉木叢林、及び諸の薬草に雨ふらして、其の種性の如く、具足して蒙潤し、各生長することを得るが如し。」 「如来の説法は、一相一味なり、所謂、解脱相、離相、滅相にして、究竟して一切種智に至る。其れ衆生有りて、如来の法を聞き、若しくは持ち読誦し、説の如く修行せば、得る所の功徳、自ら覚知せず。所以は何ん。唯だ如来のみ、此の衆生の種相体性を知る、何の事を念い、何の事を思い、何の事を修し、云何に念い、云何に思い、云何に修し、何の法を以て念い、何の法を以て思い、何の法を以て修し、何の法を以て何の法を得るかを。衆生は種種の地に住す、唯だ如来のみ、如実に之を見て、明了にして礙げ無し。彼の卉木叢林、諸の薬草等の、自ら上中下の性を知らざるが如し。如来は是の一相一味の法を知る、所謂、解脱相、離相、滅相、究竟涅槃、常寂滅相にして、終に空に帰す。仏、是れを知り已りて、衆生の心欲を観て、之を将護す、是の故に即ちには、為に一切種智を説かず。汝等迦葉、甚だ稀有なりと為す、能く如来の宜しきに随いて説法したもうを知り、能く信じ能く受く。所以は何ん。諸仏世尊、宜しきに随いて説法したもうこと、解し難く知り難し。」 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言わく、
現代語訳
「そのとき、数え切れない千万億種の人々が、仏のもとに来て法を聴く。如来はそのとき、これらの人々の能力の鋭さと鈍さ、励む者と怠ける者を観察し、それぞれが耐えられるところに応じて、さまざまに量りなく法を説いて、みなを喜ばせ、快く善い利益を得させる」。 「これらの人々は、この法を聞き終えて、現世では安らかに、来世では善い所に生まれ、道によって楽を受け、また法を聞くことができる。法を聞いた後は、さまざまな障りを離れ、諸法の中で自分の力の及ぶ範囲に従い、少しずつ道に入っていく。あたかも、あの大雲が、あらゆる草木や林、薬草に雨を降らし、それぞれの種類のとおりに潤いを受けて、各々が育つようなものである」。 「如来の説法は、一つの相、一つの味である。いわゆる、解脱の相、離れる相、滅する相であって、最後にはすべての種類の智慧、一切種智に至る。ある人々が如来の法を聞き、それを保ち読誦し、説かれたとおりに修行すれば、得る功徳を自分では気づかない。なぜか。ただ如来だけが、これらの人々の種類、姿、性質を知っているからである。何を念じ、何を思い、何を修め、どのように念じ、どのように思い、どのように修め、どの法で念じ、どの法で思い、どの法で修め、どの法でどの法を得るのかを知っている。人々はさまざまな境地にいるが、ただ如来だけが、ありのままにこれを見て、明らかで妨げがない。あの草木や林、薬草たちが、自分の上中下の性質を知らないのと同じである。如来は、この一相一味の法、すなわち解脱の相、離れる相、滅する相、究極の涅槃、いつも静まりきった相、最後は空に帰ることを知っている。仏はこれを知ったうえで、人々の心の願いを見て、それを守り育てる。だからすぐにはすべての智慧を説かない。迦葉たちよ、あなたたちはとても稀有である。如来が状況に応じて説法されるのをよく知り、よく信じ、よく受けている。なぜなら、諸仏世尊が状況に応じて説法されることは、理解しがたく、知りがたいからである」。 そのとき世尊は、この意味をもう一度述べようとして、偈を説いて言われました。
解説

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