法華経 / 譬喻品第三(11)
「舍利弗,如彼長者、雖復身手有力,而不用之,但以殷勤方便、勉濟諸子火宅之難,然後各與珍寶大車。如來亦復如是,雖有力、無所畏,而不用之,但以智慧方便,於三界火宅、拔濟眾生,為說三乘、聲聞、辟支佛、佛乘,而作是言:『汝等莫得樂住三界火宅,勿貪粗敝、色聲香味觸也。若貪著生愛,則為所燒。汝速出三界,當得三乘、聲聞、辟支佛、佛乘,我今為汝保任此事,終不虛也。汝等但當勤修精進。』如來以是方便、誘進眾生,復作是言:『汝等當知此三乘法,皆是聖所稱歎,自在無繫,無所依求。乘是三乘,以無漏根、力、覺、道、禪定、解脫、三昧、等,而自娛樂,便得無量安隱快樂。』」 「舍利弗,若有眾生,內有智性,從佛世尊聞法信受,殷勤精進,欲速出三界,自求涅槃,是名聲聞乘,如彼諸子為求羊車、出於火宅。若有眾生,從佛世尊聞法信受,殷勤精進,求自然慧,樂獨善寂,深知諸法因緣,是名辟支佛乘,如彼諸子為求鹿車、出於火宅。若有眾生,從佛世尊聞法信受,勤修精進,求一切智、佛智、自然智、無師智、如來知見、力無所畏,愍念、安樂無量眾生,利益天人,度脫一切,是名大乘,菩薩求此乘故,名為摩訶薩,如彼諸子為求牛車、出於火宅。」
新字:「舎利弗,如彼長者、雖復身手有力,而不用之,但以殷勤方便、勉済諸子火宅之難,然後各与珍宝大車。如来亦復如是,雖有力、無所畏,而不用之,但以智慧方便,於三界火宅、抜済衆生,為説三乗、声聞、辟支仏、仏乗,而作是言:『汝等莫得楽住三界火宅,勿貪粗敝、色声香味触也。若貪著生愛,則為所焼。汝速出三界,当得三乗、声聞、辟支仏、仏乗,我今為汝保任此事,終不虚也。汝等但当勤修精進。』如来以是方便、誘進衆生,復作是言:『汝等当知此三乗法,皆是聖所称嘆,自在無繋,無所依求。乗是三乗,以無漏根、力、覚、道、禅定、解脱、三昧、等,而自娯楽,便得無量安隠快楽。』」 「舎利弗,若有衆生,内有智性,従仏世尊聞法信受,殷勤精進,欲速出三界,自求涅槃,是名声聞乗,如彼諸子為求羊車、出於火宅。若有衆生,従仏世尊聞法信受,殷勤精進,求自然慧,楽独善寂,深知諸法因縁,是名辟支仏乗,如彼諸子為求鹿車、出於火宅。若有衆生,従仏世尊聞法信受,勤修精進,求一切智、仏智、自然智、無師智、如来知見、力無所畏,愍念、安楽無量衆生,利益天人,度脱一切,是名大乗,菩薩求此乗故,名為摩訶薩,如彼諸子為求牛車、出於火宅。」
書き下し
「舎利弗、彼の長者の、身手に力有りと雖も、而も之を用いず、但殷勤の方便を以て、諸子の火宅の難を勉済して、然して後に各珍宝の大車を与えしが如く、如来も亦復是の如し。力・無所畏有りと雖も、而も之を用いず、但智慧方便を以て、三界の火宅に於いて、衆生を抜済し、為に三乗、声聞・辟支仏・仏乗を説きて、是の言を作す、『汝等三界の火宅に楽住すること莫れ、粗敝の色・声・香・味・触を貪ること勿れ。若し貪著して愛を生ぜば、則ち焼かるる所と為らん。汝速やかに三界を出でよ、当に三乗、声聞・辟支仏・仏乗を得べし。我今汝が為に此の事を保任す、終に虚しからざるなり。汝等但当に勤修精進すべし』と。如来是の方便を以て、衆生を誘進し、復是の言を作す、『汝等当に知るべし、此の三乗の法は、皆是れ聖の称歎する所にして、自在無繋、依求する所無し。是の三乗に乗じ、無漏の根・力・覚・道・禅定・解脱・三昧等を以て、自ら娯楽し、便ち無量の安穏快楽を得ん』と。」 「舎利弗、若し衆生有りて、内に智性有り、仏世尊より法を聞きて信受し、殷勤精進して、速やかに三界を出でんと欲し、自ら涅槃を求むるは、是れを声聞乗と名づく、彼の諸子の羊車を求めんが為に火宅を出づるが如し。若し衆生有りて、仏世尊より法を聞きて信受し、殷勤精進して、自然慧を求め、独善寂を楽い、深く諸法の因縁を知るは、是れを辟支仏乗と名づく、彼の諸子の鹿車を求めんが為に火宅を出づるが如し。若し衆生有りて、仏世尊より法を聞きて信受し、勤修精進して、一切智・仏智・自然智・無師智・如来の知見・力・無所畏を求め、無量の衆生を愍念し安楽にし、天人を利益し、一切を度脱するは、是れを大乗と名づく、菩薩此の乗を求むるが故に、名づけて摩訶薩と為す、彼の諸子の牛車を求めんが為に火宅を出づるが如し。」
現代語訳
「舎利弗よ、あの長者が、身も手も力があるのに、それを用いず、ただ丁寧な方便によって、子どもたちを火の家の難から救い出し、その後でそれぞれに珍宝の大車を与えたように、如来もまた同じです。力と恐れなき自信がありながら、それを用いず、ただ智慧と方便によって、三界の火の家で衆生を救い出し、そのために三乗、すなわち声聞・辟支仏・仏乗を説き、こう言います。あなたたち、三界の火の家に好んで留まってはならない。粗末で壊れやすい、色・声・香・味・触を貪ってはならない。もし貪り執着して愛を生じれば、焼かれてしまう。あなたたちは速やかに三界を出なさい。そうすれば三乗、声聞・辟支仏・仏乗を得るでしょう。私は今あなたたちのためにこのことを保証します。決して偽りではない。あなたたちはただ励んで精進しなさい、と。如来はこの方便によって衆生を誘い導き、さらにこう言います。あなたたち、知りなさい。この三乗の法は、すべて聖者が称賛するもので、自在で束縛がなく、頼り求めるものがありません。この三乗に乗って、煩悩のない根・力・覚・道・禅定・解脱・三昧などによって、自ら楽しみ、無量の安らぎと快楽を得るでしょう、と。」 「舎利弗よ、もし衆生がいて、内に智性があり、仏世尊から法を聞いて信じ受け、丁寧に励み、速やかに三界を出ようとし、自ら涅槃を求めるなら、これを声聞乗と名づけます。あの子どもたちが羊車を求めて火の家を出たのと同じです。もし衆生がいて、仏世尊から法を聞いて信じ受け、丁寧に励み、自然の智慧を求め、独り静けさを好み、諸法の因縁を深く知るなら、これを辟支仏乗と名づけます。あの子どもたちが鹿車を求めて火の家を出たのと同じです。もし衆生がいて、仏世尊から法を聞いて信じ受け、努めて精進し、一切智、仏智、自然智、無師智、如来の知見、力、恐れなき自信を求め、無量の衆生を憐れみ安楽にし、天人を利益し、すべてを救うなら、これを大乗と名づけます。菩薩がこの乗を求めるので、摩訶薩と名づけます。あの子どもたちが牛車を求めて火の家を出たのと同じです。」
解説

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