抱朴子外篇 / 自敘
年十六,始讀《教經》、《論語》、《詩》、《易》。貧乏無以遠尋師友,孤陋寡聞,明淺思短,大義多所不能通,但貪廣覽,於衆書乃無不暗誦精持。曾所披涉,自正經、諸史、百家之言,下至短雜文章,近萬卷。既性暗善忘,又少文,意志不專,所識者甚薄,亦不免惑,而著述時猶得有所引用,竟不成純儒,不中為傳授之師。其河洛圖緯,一視便止,不得留意也。不喜星書及算術九宮三棋太一飛符之屬,了不從焉。由其苦人而少氣味也。
新字:年十六,始読《教経》、《論語》、《詩》、《易》。貧乏無以遠尋師友,孤陋寡聞,明浅思短,大義多所不能通,但貪広覧,於衆書乃無不暗誦精持。曽所披渉,自正経、諸史、百家之言,下至短雑文章,近万巻。既性暗善忘,又少文,意志不専,所識者甚薄,亦不免惑,而著述時猶得有所引用,竟不成純儒,不中為伝授之師。其河洛図緯,一視便止,不得留意也。不喜星書及算術九宮三棋太一飛符之属,了不従焉。由其苦人而少気味也。
書き下し
年十六にして、始めて孝経・論語・詩・易を読む。貧乏にして以て遠く師友を尋ぬる無く、孤陋にして寡聞、明は浅く思いは短く、大義は多く通ずる能わざる所なるも、但だ広く覧るを貪り、衆書に於いて乃ち暗誦し精持せざる無し。曾て披き涉りし所は、正経・諸史・百家の言より、下は短雑の文章に至るまで、万巻に近し。既に性は暗くして忘れ善く、又た文少なく、意志は専らならず、識る所は甚だ薄く、亦た惑いを免れず、而れども著述の時には猶お引用する有るを得、竟に純儒と成らず、伝授の師と為るに中らず。其の河洛・図緯は、一たび視て便ち止め、意を留むるを得ず。星書及び算術・九宮・三棋・太一・飛符の属を喜ばず、了に従わず。其の人を苦しめて気味少なきに由る。
現代語訳
十六歳のとき、はじめて『孝経』『論語』『詩経』『易経』を読んだ。貧しくて遠くへ師や友を尋ねることができず、見識が狭く聞くことが少なく、理解は浅く思いは短く、大義の多くには通じなかったが、ただ広く見ることを貪り、多くの書をそらんじて保持しないものはなかった。目を通した範囲は、正経・諸史・諸子百家の言から、下は短い雑文に至るまで、万巻に近い。もともと性質が暗く物忘れしやすく、文才も乏しく、意志も専一でなく、知るところは甚だ浅く、迷いも免れないが、著述の際にはなお引用することができ、ついに純粋な儒者にはならず、人に伝え授ける師にもなれなかった。河図洛書や図讖・緯書の類は、一目見て止め、心を留められなかった。星の書や算術、九宮・三棋・太一・飛符などの類は好まず、まったく従わなかった。人を苦しめて味わいが少ないためである。
解説
この章句が説くこと
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抱朴子外篇・自敘洪は、君の第三子なり。生まれ晩く、二親に嬌饒せられ、早くは督して書史に見えず。年十有三にして、慈父背かる。夙に庭訓を失い、飢寒困瘁し、躬ら耕穡を執り、星を承け草を履み、密勿として疇襲す。又た累しば兵火に遭い、先人の典籍は蕩尽す。農隙の暇に読む所無く、乃ち笈を負い徒歩して行き借る。又た一家に卒き、少しく全部の書を得れば、益ます功日を破り薪を伐りて以て紙筆に給し、田園を営む処に就きて、柴火を以て書を写す。此の故に坐して、早くは芸文に涉るを得ず。常に紙乏しく、写す所毎に、反覆して字有り、人は能く読むこと鮮し。
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