抱朴子外篇 / 譏惑
余謂廢已習之法,更勤苦以學中國之書,尚可不須也,況於乃有轉易其聲音,以效北語,既不能便良,似可恥可笑,所謂不得邯鄲之步,而有匍匐之嗤者。此猶其小者耳,乃有遭喪者,而學中國哭者,令忽然無復念之情。昔鍾儀莊舃,不忘本聲,古人韙之。孔子雲:喪親者,若嬰兒之失母。其號豈常聲之有!寧令哀有余而禮不足,哭以泄哀,妍拙何在?而乃治飾其音,非痛切之謂也。又聞貴人在大哀,或有疾病,服石散以數食宣藥勢,以飲酒為性命,疾患危篤,不堪風冷,幃帳茵褥,任其所安,於是凡瑣小人之有財力者,了不復居於喪位,常在別房,高床重褥,美食大飲,或與密客,引滿投空,至於沈醉。曰:『此京洛之法也。」不亦惜哉!
新字:余謂廃已習之法,更勤苦以学中国之書,尚可不須也,況於乃有転易其声音,以効北語,既不能便良,似可恥可笑,所謂不得邯鄲之歩,而有匍匐之嗤者。此猶其小者耳,乃有遭喪者,而学中国哭者,令忽然無復念之情。昔鍾儀荘舃,不忘本声,古人韙之。孔子雲:喪親者,若嬰児之失母。其号豈常声之有!寧令哀有余而礼不足,哭以泄哀,妍拙何在?而乃治飾其音,非痛切之謂也。又聞貴人在大哀,或有疾病,服石散以数食宣薬勢,以飲酒為性命,疾患危篤,不堪風冷,幃帳茵褥,任其所安,於是凡瑣小人之有財力者,了不復居於喪位,常在別房,高床重褥,美食大飲,或与密客,引満投空,至於沈酔。曰:『此京洛之法也。」不亦惜哉!
書き下し
余は謂う、已に習うの法を廃し、更に勤苦して以て中国の書を学ぶは、尚お須いざる可し。況んや乃ち其の声音を転易し、以て北語に効う有るをや。既に便良なる能わず、似て恥ず可く笑う可し。所謂邯鄲の歩を得ずして、匍匐の嗤い有る者なり。此れは猶お其の小なる者のみ。乃ち喪に遭う者有りて、中国の哭を学ぶ。忽然として復た念の情無からしむ。昔、鍾儀・荘舃は本声を忘れず、古人は之を韙とす。孔子曰く、親を喪う者は、嬰児の母を失うが若し。其の号びは豈に常声なる有らんや。寧ろ哀に余り有りて礼に足らざらしむも、哭は以て哀を泄らす。妍拙は何くにか在る。而るに乃ち其の音を治飾するは、痛切の謂に非ざるなり。又聞く、貴人は大哀に在りて、或いは疾病有り、石散を服して以て数ば食し薬勢を宣べ、飲酒を以て性命と為す。疾患危篤にして、風冷に堪えず、帷帳・茵褥、其の安んずる所に任す。是に於いて凡瑣の小人の財力有る者は、了に復た喪位に居らず、常に別房に在り、高床重褥、美食大飲し、或いは密客と、満を引き空に投じ、沈酔に至る。曰く、此れ京洛の法なり、と。亦た惜しからずや。
現代語訳
私は思う。すでに習い覚えた法をやめ、さらに苦労して中国の書を学ぶことは、不要なことでさえある。まして声や発音を変えて北方の言葉を真似ることなど、なおさらだ。うまく真似ることもできず、恥ずかしく笑われるばかりである。いわゆる邯鄲の歩き方を学び損ねて、這って帰る笑いものになった者である。これはまだ小さなことだ。喪に遭った者の中には、中国風の哭き方を学ぶ者がいる。たちまち哀悼の情を失わせてしまう。昔、鍾儀と荘舃は故国の言葉を忘れず、古人はこれを善しとした。孔子は言った。親を喪った者は、乳飲み子が母を失ったようなものである、と。その叫びがどうして普段の声であろうか。むしろ哀しみが余り礼が足りないほうがましだ。哭は哀しみを吐き出すためのもので、上手か下手かは問題ではない。それなのにその声を飾るのは、痛切の意味に外れている。また聞くところでは、貴人は大きな服喪の最中に、病があるといって、石散(寒食散)を服用して頻繁に食べ薬勢を発散させ、飲酒を命の糧とする。病が重くなって風や冷えに堪えられず、帳や布団を好みに任せて整える。そこで凡庸で卑小な財力のある者たちは、まったく喪の席に居ず、常に別室にいて、高い寝台に重ねた布団で、うまい物を食べ大酒を飲み、親しい客と杯を満たして空にし、泥酔に至る。これが都の作法だと言う。惜しいことではないか。
解説
この章句が説くこと
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抱朴子外篇・譏惑余の郷里の先徳の君子は、其の居る所重難にして、或いは並びに衰老に在り。礼に於いては唯だ衰麻を身に在らしむべく、喪を成して毀を致さざる者も、皆な過ぎて哀しみ粥を啜り、口に甘きを経ず。時人の不肖の者と雖も、企て及び自ら勉めざる莫し。而るに今の人乃ち自ら取ること此の如し。何ぞ其の相去ることの遼緬たるや。又凡人は解せず、中国の人の喪に居る者を呼びて、多く皆な奢溢なりと謂う。殊に然らざるなり。吾聞く、晋の宣・景・文・武の四帝は、親の喪に居りて皆な毀瘠して制を逾え、又王氏の二十五月の礼を用いず、皆な七月の服を行う。時に天下の重哀に在る者は、咸な四帝を以て法と為す。世人は何ぞ独り此れを聞かずして、虚しく高人を誣う。亦た惑いならずや。
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抱朴子外篇・譏惑喪乱より以来、事物屢々変じ、冠履衣服、袖袂の財制は、日月に改易して、復た一定無し。乍ち長く乍ち短く、一は広く一は狭く、忽ち高く忽ち卑く、或いは粗く或いは細く、飾る所常無く、同じきを以て快しと為す。其の好事の者は、朝夕に放効す。所謂「京輦は大眉を貴び、遠方は皆な半額」なり。余は実に凡夫にして、俗に随うに拙し。其の服物の変は勝えず。故に変ぜず、損なう所無き者は、余は未だ曾て易えざるなり。指さし笑わると雖も、余も亦た理せず。豈に茍も衆に違わんと欲せんや。誠に以て急ならずと為すのみ。上国の衆事は、江表に勝る所以の者多し。然れども亦た可否ある者有り。君子の礼を行うや、俗を変ずるを求めず。本邦に違う他国を謂うも、其の桑梓の法を改めざるなり。況んや其の父母の郷に在りては、亦た何為れぞ事に当たりて旧を棄て強いて更め学ばん。呉の書を善くするは、則ち皇象・劉纂・岑伯然・朱季平有り、皆な一代の絶手なり。中州に鍾元常・胡孔明・張芝・索靖有るが如く、各々一邦の妙にして、並びに古体を用い、倶に事に周るに足る。
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抱朴子外篇・疾謬其の相見ゆるや、復た離闊を叙し、安否を問わず。賓は則ち門に入りて奴を呼び、主は則ち客を望みて狗を喚ぶ。其れ或いは爾らざれば、親至を成さずとして、之を棄てて与に党と為さず。好会に及びては、則ち狐蹲牛飲し、食を争い割を競う。掣撥渺摺して、復た廉恥無く、此れに同じき者を以て泰と為し、爾らざる者を以て劣と為す。終日義に及ぶの言無く、徹夜箴規の益無し。老荘を誣引し、率任を貴び、大行は細礼を顧みず、至人は檢括に拘わらずと謂い、嘯傲縦逸して、之を体道と謂う。嗚呼、惜しいかな、豈に哀しからずや。是に於いて族を嘲りて以て歓交を叙べ、黷を極めて以て情款を結ぶ。傾倚申脚を以て妖妍標秀と為し、風格端厳なるを以て田舎の樸馬と為す。凡そ彼の軽薄の徒は、便辟して俗に偶し、広く伴流を結び、更相推揚して、達を取ること速く易しと雖も、率ね皆な皮膚狡澤にして、空しきを懐き虚しきを抱く。蜀人の瓠壺の喩えの有るに似て、胸中に一紙の誦無く、識る所は酒炙の事に過ぎず。所謂明徳に傲很し、聾に即き昧に従い、貨財を冒し、飲食に貪る者、左生の載する所の不才の子なり。
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抱朴子外篇・疾謬抱樸子曰く、世故継いで有り、礼教漸く頽る。敬譲崇ぶ莫く、傲慢俗と成る。儔類の飲会、或いは蹲り或いは踞す。暑夏の月、首を露わにし体を袒にす。盛務は唯だ摴草捕弾棋に在り、論ずる所は声色の間に極まり、足を挙げて綺繻紈袴の側を離れず、遊歩して勢利酒客の門を去らず。清談講道の言を聞かず、専ら醜辞嘲弄を以て先と為す。此くの如き者を以て高遠と為し、爾らざる者を以て騃野と為す。是に於いて馳逐の庸民、偶俗の近人、之を慕う者は猶お宵虫の明燭に赴くがごとく、之を学ぶ者は猶お軽毛の飈風に応ずるがごとし。嘲戯の談、或いは上は祖考に及び、或いは下は婦女に逮ぶ。往く者は其の必ず深からんことを務め、報ずる者は其の重からざらんことを恐る。倡うる者は答えらるる後の患を慮らず、和する者は軽きを言いて塞がざるを恥ず。周禾の芟、温麦の刈は、実に報恨に由りて、已む能わざるなり。利口の者は強を扶けて勢に党し、弁給の者は鍒を借りて瞂を刺す。応えざる者を以て拙劣と為し、先に止む者を以て負敗と為す。此くの如くんば、交悪の辞、焉んぞ黙す能わんや。
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抱朴子外篇・疾謬或いは変故に因りて、栄貴を佻竊し、或いは高援に頼りて、翻飛して抜萃す。是に於いて便ち驕矜誇驁し、気は雲物を淩ぎ、歩は高く視は遠く、眇然として自ら足れりとす。否滞失群の士を顧瞻するに、実に英異なりと雖も、忽焉として草の若し。或いは枕を傾けて賓を延き、或いは疾と称して客を距む。人士をして門に立ちて林を成さしめ、軍騎をして閭巷に填噎せしめんと欲し、呼びて尊貴と謂い、爾らざる可からずと謂う。夫れ勢位を以て之を言えば、則ち周公は吐握に勤む。聞望を以て之を校ぶれば、則ち仲尼は恂恂として善く誘う。咸な労謙を務めと為し、驕慢を以て高しと為さず。漢の末世は、則ち茲に異なる。蓬髪乱鬢、横挾して帯びず。或いは褻衣して以て接し、或いは裸袒して箕踞す。朋友の集い、類味の遊は、切切として徳に進み、業を修め、過ちを攻め違いを弼け、道を講じ義を精しくする莫し。
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抱朴子外篇・疾謬余は每に之を折りて曰く、夫れ中州は、礼の自りて出ずる所なり。礼は豈に然らんや。蓋し衰乱の興る所にして、治世の旧風に非ざるなり。夫れ老聃は、清虚の至りなる者なるも、猶お敢えて欲する所を見ず、以て心の乱るるを防ぐ。若し柳下恵をして高行を潔くし、屡々褻宴に接せしめば、将に情を中に生じ、色を表に形さざる能わざらんとす。況んや情淡き者は万に未だ一ならず、而して情を抑うる者は多きを得難し。斯くの如きの事、何ぞ長ずるに足らん。窮士は此の風俗の引進するに足らざるを知ると雖も、名勢並びに乏しければ、何を以て之を整えん。每に以て慨を為す。故に常に斯の党に憎まれ、野樸の人にして、時の宜しきに随う能わずと謂わる。余は己を信ずるに期するのみ。亦た安んぞ我の不可を以て、人の可に従わんや。嘆く可きは一に非ず、率ね此の如し。已んぬるかな、吾未だ之を如何ともする無し。彼の邪俗に染入し、淪胥して以て敗るる者は、曷ぞ肯えて逆耳の讜言を納れ、反って其の東走の遠き跡を返さんや。
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