抱朴子外篇 / 清鑒
駮子有吞牛之容,鶚鷧有淩鷙之貌。卉茂者土必沃,魚大者水必廣。虎尾不附貍身,象牙不出鼠口。叔魚無饜之心,見於初生之狀;食我滅宗之徵,著乎開胞之始。申童覺竊妻之巫臣,張負知將貴之陳平。範子所以絕跡於五湖者,以句踐蜂目而鳥喙也。趙人所以息意於爭鋒者,以白起首銳而視直也。文王之接呂尚,桑陰未移,而知其足師矣。玄德之見孔明,晷景未改,而腹心已委矣。
新字:駮子有呑牛之容,鶚鷧有淩鷙之貌。卉茂者土必沃,魚大者水必広。虎尾不附貍身,象牙不出鼠口。叔魚無饜之心,見於初生之状;食我滅宗之徴,著乎開胞之始。申童覚窃妻之巫臣,張負知将貴之陳平。範子所以絶跡於五湖者,以句践蜂目而鳥喙也。趙人所以息意於争鋒者,以白起首鋭而視直也。文王之接呂尚,桑陰未移,而知其足師矣。玄徳之見孔明,晷景未改,而腹心已委矣。
書き下し
駮子は牛を吞むの容有り、鶚鷧は鷙を淩ぐの貌有り。卉の茂る者は土必ず沃え、魚の大なる者は水必ず広し。虎の尾は貍の身に附かず、象の牙は鼠の口より出でず。叔魚の饜く無きの心は、初生の状に見れ、食我の宗を滅ぼすの徴は、胞を開く始めに著る。申童は巫臣の妻を窃まんとするを覚り、張負は陳平の将に貴からんとするを知る。范子の跡を五湖に絶ちし所以の者は、句践の蜂目にして鳥喙なるを以てなり。趙人の鋒を争うに意を息めし所以の者は、白起の首鋭にして視直きを以てなり。文王の呂尚に接するや、桑陰未だ移らずして、其の師とするに足るを知る。玄徳の孔明に見ゆるや、晷景未だ改まらずして、腹心已に委ぬ。
現代語訳
駮子(獣)には牛を呑む風格があり、鶚鷧(鳥)には猛禽を凌ぐ容貌がある。草花が茂るところは土が必ず肥えており、魚が大きいところは水が必ず広い。虎の尾が狸の体にくっつくことはなく、象の牙がネズミの口から出ることはない。叔魚の飽くことのない心は生まれたときの様子に現れ、食我が一族を滅ぼす兆しは、産み落とされた最初に表れていた。申童は巫臣が人の妻を盗もうとするのを見抜き、張負は陳平がやがて貴くなることを見抜いた。范蠡が五湖に身を隠した理由は、句践が蜂のような目と鳥のような嘴をしていたからである。趙の人々が争いに意を収めた理由は、白起の頭が尖り眼差しがまっすぐだったからである。文王が呂尚に会ったときは、桑の木陰がまだ動かないうちに、師とするに足ると知った。劉備が孔明に会ったときは、日影がまだ移らないうちに、腹心として心を預けた。
解説
この章句が説くこと
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抱朴子外篇・清鑒臧否を区別し、形を瞻て神を得るは、其の人に存し、力めて為す可からず。明の日月を並べ、聴きて音無きを聞く者に非ざるより、願わくは清澄を加え、漸を以て進用し、頓に任ずる可からず。軽々しく利器を仮せば、之を収還すること既に甚だ難く、損なう所の者も亦已に多し。一事を以て暗に其の余を保つこと無かれ。己に同ずる者は、未だ必ずしも用う可からず、我に異なる者は、未だ必ずしも忽せにす可からざるなり。或ひと難じて曰く、「夫れ天に在る者は象を垂れ、地に在る者は形有り、故に山を望み水を度れば、高深推す可し。風起こり雲飛べば、吉凶歩む可し。智者は木の瘁れざるを睹て、則ち美玉の山に在るを悟り、岸の枯れざるを覿て、則ち明珠の淵に沈むを覚る。彗星出ずれば、則ち鳣魚の方に死せんとするを知り、日月蝕すれば、則ち騏驎の共に闘うを識る。華・霍は称するを須たずして、無限の重きを知る可し。江・河は量るを待たずして、不測の数已に定まる。鴻鵠の翼、騄騏の足は、未だ飛び走らずと雖も、軽迅必す可し。豪曹の剣、徐氏の匕首は、未だ奮い撃たずと雖も、其の立ちどころに断つこと疑い無し。
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抱朴子外篇・清鑒抱朴子答えて曰く、「余は人物の了に知る可からざるを謂うに非ず、人を知ること挺に形理無きにも非ざるなり。徒だ斯の術は大明に存し、当人の自ら許すに非ざるを以てなり。然れども世の士は各おの之を能くすと謂う、是を以て云う有り、以て任を付するを警むるのみ。夫れ貌望豊偉なる者は必ずしも賢ならず、形器尪瘁なる者は必ずしも愚ならず、咆哮する者は必ずしも勇ならず、淳淡なる者は必ずしも怯ならず。或いは外候同じくして用意異なり、或いは気性殊なれども務むる所合う。天地に常候有り、山川に定止有るが若きに非ず。物も亦故より遠くして知り易く、近くして料り難き有り。譬えば猶お眼の能く天衢を察して、項領の間を周くする能わず、耳の能く雷霆を聞きて、虫虱の音を識る能わざるがごとし。唐・呂・樊・許は人の状を相るに善く、唯だ寿夭・貧富・官秩・尊卑を知るのみにして、情性の寛克、志行の洿隆を審らかにする能わず。惟れ帝すら之を難しとす、況んや庸人をや。而るに吾子は形を論ずるの例を挙げ、精神の談を詰る、未だ其の本を修めず、殆ど指を失えり。
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抱朴子外篇・清鑒「夫れ射る亡きの箭は、皆秋毫を破る。然れども準的は恒に工と為すを得ず。叔向の母、申氏の子は、一得無きに非ざるも、然れども常には能わざるなり。陶唐は古を稽えて任を失い、姫公は欽明にして授くるを謬る。尼父は遠くは崇替を未兆に得れども、近くは澹台を形骸に失う。延州は清濁を千載の外に審らかにして、奇士を咫尺の内に蔽う。人を知るの難きこと、此くの如く其れ甚だし。郭泰の論ずる所、皆為に此の人は上聖に過ぐるか。但だ其の得る所の者は、顕にして識り易く、其の失う所の者は、人紀す能わず。「且つ夫れ貴ぶ所は、俊才を無名の中に見、逸足を呉阪の間に料り、懐珠の蚌を九淵の底に掇り、含光の珍を積石の中に指すを貴ぶ。伯喈の絶音の器を煙燼の余に識り、平子の逸響の竹を未だ用いざるの前に剔るが若き、六軍の聚、市人の会に、暫く観て一たび睹、眩惑する所無く、其の潜生の心計を探り、其の始終の事行を定むるは、乃ち独見不伝の妙たるのみ。末論の如きは、必ず其の操蹈の全毀を考え、其の雲為の好醜を観るを俟つ。此れ絲線既に銓衡し、布帛已に丈尺を歴て、徐ろに乃ち其の斤両の軽重、端匹の修短を説くがごとし。人皆之を能くす、何ぞ明哲を煩わさん」と。
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