秘本玉くしげ / 下 神社の荒廃
然るに今の世、大かた堂上の御方方をば厚く敬することなれ共、地下と申す官人衆をば、その祿うすく身分の輕きをあなどりて、物の數とも思はぬやうなるは、いとあるまじき事也。祿のうすきは、亂世にみな武士に奪ひ取られたる故也。されば心あらん人は、此所をよく思ひわきまへて、いよいよ大切に存ずべきこと也。天下の神社は、古へはほどほどに朝廷より祭らせ玉ふ御事にて、諸國の小社までもその國守のうけ玉はりて祭られし事なるに、今は天下の事大將軍家の執行はせ玉ふ御代にて、諸國の神社の御事、朝廷よりは御力及ばせ玉はねば、其國國を治め玉ふ御方方のねんごろに祭り玉ふべき御事也。然るに中比久しき兵亂によりて、天下の神社大荒廢し、祭典もすたれ、或は其社跡もなく絕はて、又存在せるもそれと分れずなど、惣じて神社はいみじき衰微なるを、治平の御世にかへりては御再興ありしもあれども、猶あまねくは御手の及ばざるにや、今に至るまですたれたるままなるが多きは、いともいとも歎かはしき事也。
新字:然るに今の世、大かた堂上の御方方をば厚く敬することなれ共、地下と申す官人衆をば、その禄うすく身分の軽きをあなどりて、物の数とも思はぬやうなるは、いとあるまじき事也。禄のうすきは、乱世にみな武士に奪ひ取られたる故也。されば心あらん人は、此所をよく思ひわきまへて、いよいよ大切に存ずべきこと也。天下の神社は、古へはほどほどに朝廷より祭らせ玉ふ御事にて、諸国の小社までもその国守のうけ玉はりて祭られし事なるに、今は天下の事大将軍家の執行はせ玉ふ御代にて、諸国の神社の御事、朝廷よりは御力及ばせ玉はねば、其国国を治め玉ふ御方方のねんごろに祭り玉ふべき御事也。然るに中比久しき兵乱によりて、天下の神社大荒廃し、祭典もすたれ、或は其社跡もなく絶はて、又存在せるもそれと分れずなど、惣じて神社はいみじき衰微なるを、治平の御世にかへりては御再興ありしもあれども、猶あまねくは御手の及ばざるにや、今に至るまですたれたるままなるが多きは、いともいとも嘆かはしき事也。
書き下し
然るに今の世、大かた堂上の御方々をば厚く敬することなれ共、地下と申す官人衆をば、その禄うすく身分の軽きをあなどりて、物の数とも思はぬやうなるは、いとあるまじき事也。禄のうすきは、乱世にみな武士に奪ひ取られたる故也。されば心あらん人は、此所をよく思ひわきまへて、いよいよ大切に存ずべきこと也。天下の神社は、古へはほどほどに朝廷より祭らせ玉ふ御事にて、諸国の小社までもその国守のうけ玉はりて祭られし事なるに、今は天下の事大将軍家の執行はせ玉ふ御代にて、諸国の神社の御事、朝廷よりは御力及ばせ玉はねば、其国々を治め玉ふ御方々のねんごろに祭り玉ふべき御事也。然るに中比久しき兵乱によりて、天下の神社大荒廃し、祭典もすたれ、或は其社跡もなく絶はて、又存在せるもそれと分れずなど、惣じて神社はいみじき衰微なるを、治平の御世にかへりては御再興ありしもあれども、猶あまねくは御手の及ばざるにや、今に至るまですたれたるままなるが多きは、いともいとも歎かはしき事也。
現代語訳
それなのに今の世は、おおかた堂上(昇殿を許された公家)の御方々は厚く敬うけれども、地下と申す官人衆を、その禄が薄く身分が軽いのを侮って、物の数とも思わないようであるのは、まことにあってはならない事である。禄が薄いのは、乱世にみな武士に奪い取られたためである。だから心ある人は、ここをよく思いわきまえて、いよいよ大切に存ずべきことである。天下の神社は、昔はそれぞれに朝廷からお祭らせになる御事で、諸国の小社までもその国守が承って祭られたことであるのに、今は天下の事は大将軍家が執り行われる御代で、諸国の神社の御事は朝廷からは御力が及ばれないので、その国々をお治めになる御方々が懇ろにお祭りになるべき御事である。それなのに中頃の久しい兵乱によって、天下の神社は大いに荒廃し、祭典もすたれ、あるいはその社の跡もなく絶え果て、また存在しているものもそれと分からないなど、総じて神社はひどく衰微しているのを、泰平の御世に返ってからは御再興のあったものもあるけれども、なおあまねくは御手が及ばないのであろうか、今に至るまですたれたままであるものが多いのは、まことにまことに嘆かわしい事である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 張耳陳余列伝貫高独り怒り罵りて曰く、「誰か公をして之を為さしめし。今王実に謀無くして、并せて王を捕ふ。公等皆死せば、誰か王の反せざるを白さん」と。乃ち轞車に膠致せられ、王と長安に詣る。張敖の罪を治む。上乃ち趙の群臣賓客に詔すらく、敢て王に従ふ有らば皆族せんと。貫高と客孟舒等十余人と、皆自ら髡鉗し、王の家奴と為りて従ひ来たる。貫高至り、獄に対へて曰く、「独り吾が属之を為す。王実に知らず」と。吏治めて榜笞すること数千、刺剟して、身に撃つべき者無きも、終に復た言はず。呂后数々言ふ、張王は魯元公主の故を以て、宜しく此れ有るべからずと。上怒りて曰く、「張敖をして天下に拠らしめば、豈に而が女を少しとせんや」と。聴かず。廷尉貫高の事の辞を以て聞す。上曰く、「壮士なり。誰か知る者ぞ。私を以て之に問へ」と。中大夫泄公曰く、「臣の邑子にして、素より之を知る。此れ固より趙国の名義を立てて侵されず、然諾を為す者なり」と。上泄公をして節を持して之に箯輿の前に問はしむ。仰ぎ視て曰く、「泄公か」と。泄公労苦すること生平の驩の如く、与に語り、張王果して計謀有りや不やを問ふ。高曰く、「人情寧ぞ各々其の父母妻子を愛せざらんや。今吾が三族皆以て死に論ぜらる。豈に王を以て吾が親に易へんや。顧ふに王実に反せず、独り吾等之を為せり」と。具に本指の為す所以と王の知らざる状とを道ふ。是に於て泄公入り、具に以て報ず。上乃ち趙王を赦す。上貫高の人と為り能く然諾を立つるを賢とし、泄公をして具に之に告げしめて曰く、「張王已に出でたり」と。因りて貫高を赦す。貫高喜びて曰く、「吾が王審らかに出でたるか」と。泄公曰く、「然り」と。泄公曰く、「上足下を多とす。故に足下を赦す」と。貫高曰く、「死せずして一身に余無き所以の者は、張王の反せざるを白さんとすればなり。今王已に出づ。吾が責已に塞がる。死すとも恨みず。且つ人臣として篡殺の名有り、何の面目ありて復た上に事へんや。縦ひ上我を殺さずとも、我心に愧ぢざらんや」と。乃ち仰ぎて骯を絶ち、
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論語・衛霊公篇子曰わく、君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む。
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論語・季氏篇孔子曰く、禄の公室を去ること、五世なり。政の大夫に逮ぶこと、四世なり。故に夫の三桓の子孫、微なり。
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論語・憲問篇子曰く、「我を知ること莫きかな。」子貢曰く、「何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。」子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は、其れ天か。」
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論語・里仁篇子曰わく、父母在すれば、遠く遊ばず。遊ぶに必ず方有り。
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史記 李将軍列伝広大将軍に謝せずして起ちて行き、意甚だ慍怒して部に就き、兵を引きて右将軍食其と軍を合はせて東道より出づ。軍に導亡く、或いは道を失ひ、大将軍に後る。大将軍単于と接戦し、単于遁走し、得る能はずして還る。南のかた幕を絶りて、前将軍・右将軍に遇ふ。広已に大将軍に見え、還りて軍に入る。大将軍長史をして糒醪を持ちて広に遺らしめ、因りて広・食其の道を失ひし状を問ふ。青書を上りて天子に軍の曲折を報ぜんと欲す。広未だ対へず。大将軍長史をして急に広を責めて幕府に之きて簿に対へしむ。広曰く、「諸校尉は罪無し。乃ち我自ら道を失へり。吾今自ら簿に上らん」と。莫府に至り、広其の麾下に謂ひて曰く、「広結髪より匈奴と大小七十余戦す。今幸ひに大将軍に従ひて出でて単于の兵に接す。而るに大将軍又広の部を徙して行くこと回遠にし、而して又迷ひて道を失ふ。豈に天に非ずや。且つ広は年六十余なり。終に復た刀筆の吏に対する能はず」と。遂に刀を引きて自剄す。広の軍の士大夫一軍皆哭す。百姓之を聞き、知ると知らざると、老壮と無く皆為に涕を垂る。
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