秘本玉くしげ / 下 明の援軍十万
これみな世世の書にのせたる、かの國中の戶口の數、軍賦の數などを見てもよくしらるること也。すでに豐臣太閤朝鮮御征伐の時、唐土よりの加勢の軍などをも、此方の人は或は五十万百万などと聞て、おびただしきことのやうにいひふらしつれども、大なる相違にて、其時の軍兵始終十万にも過たることはなし。それほどの軍兵も、大抵の事にてはかり催しがたくて、いろいろと世話をやきてやうやうに催し立たるところ、右のごとくなりし。これみなかの國の書共に見えたる事也。さてかの時の戰ひは、此方にも小西の如き臆病神のつきたりし衆もありつればこそ、まれまれには負軍もありつれ、左樣のききおぢだにせずば、始終每度十分の勝たるべし。
新字:これみな世世の書にのせたる、かの国中の戸口の数、軍賦の数などを見てもよくしらるること也。すでに豊臣太閤朝鮮御征伐の時、唐土よりの加勢の軍などをも、此方の人は或は五十万百万などと聞て、おびただしきことのやうにいひふらしつれども、大なる相違にて、其時の軍兵始終十万にも過たることはなし。それほどの軍兵も、大抵の事にてはかり催しがたくて、いろいろと世話をやきてやうやうに催し立たるところ、右のごとくなりし。これみなかの国の書共に見えたる事也。さてかの時の戦ひは、此方にも小西の如き臆病神のつきたりし衆もありつればこそ、まれまれには負軍もありつれ、左様のききおぢだにせずば、始終毎度十分の勝たるべし。
書き下し
これみな世々の書にのせたる、かの国中の戸口の数、軍賦の数などを見てもよくしらるること也。すでに豊臣太閤朝鮮御征伐の時、唐土よりの加勢の軍などをも、此方の人は或は五十万百万などと聞て、おびただしきことのやうにいひふらしつれども、大なる相違にて、其時の軍兵始終十万にも過たることはなし。それほどの軍兵も、大抵の事にてはかり催しがたくて、いろいろと世話をやきてやうやうに催し立たるところ、右のごとくなりし。これみなかの国の書共に見えたる事也。さてかの時の戦ひは、此方にも小西の如き臆病神のつきたりし衆もありつればこそ、まれまれには負軍もありつれ、左様のききおぢだにせずば、始終毎度十分の勝たるべし。
現代語訳
これはみな、代々の書に載せてある、あの国中の戸口の数や軍賦(兵員の割り当て)の数などを見てもよく分かることである。現に豊臣太閤(豊臣秀吉)の朝鮮御征伐の時、唐土からの加勢の軍などをも、こちらの人はあるいは五十万、百万などと聞いて、おびただしいことのように言いふらしたけれども、大きな間違いで、その時の軍兵は始終十万にも過ぎたことはない。それほどの軍兵も、たいていの事では駆り集めにくくて、いろいろと世話を焼いてようやく集め立てたところが、右のようであった。これはみなあの国の書物に見えている事である。さてあの時の戦いは、こちらにも小西(小西行長)のような臆病神の取り憑いた衆もいたからこそ、まれには負け戦もあったのであって、そのような聞き怖じさえしなければ、始終毎回十分の勝ちであったろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『秘本玉くしげ』下 蔚山の籠城さて加藤主計頭殿の蔚山に籠城せられしときに、明の寄手楊鎬が軍だち軍法は、古今に比類なしといふほど厳重なりし事にて、朝鮮の諸人おどろき感じて、たのもしく思ひ悦びしか共、久しく攻てつひにかの城を落すことあたはず、あまつさへはてには行長が後詰に切立られて、蜘の子をちらすが如く、とるものもとりあへず我先にと逃去りしは、あさましかりける有様なりき。すべて唐土は何事もみなかくのごとくにて、議論法術はいと巧に聞ゆれ共、実用に至てはさもあらざる事、此一事を以てもおしはかるべし。殊にかの蔚山の城を攻し時の軍には、唐土朝鮮の全力をつくしたりしよし、かの国の書に見えたるを、それさへ右の如くあさましき敗軍に及びたりしを思ふべし。又此方戦国のころ、西国辺のあぶれ者ども唐土へ渡りて濫放狼藉せし事、明の代の書共に多く見えて、倭寇と称して殊の外に恐れ、毎度大に手にあまりて静めかね、国中の大騒動なりし事也。
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『秘本玉くしげ』下 唐土は大国ならずさて唐土の通俗の軍書共は、見て益すくなし。国の模様も大にかはり、時代も遠ければ、間にあはぬ事のみ多し。かの国の古への名将共の大利を得たる計策など、今の人に用ひて心やすく欺かるるものにあらず。其外すべて唐土は、軍談議論などは道理をつくして尤に聞え、甚功者なるやうに見ゆれ共、実用に至てはさやうにもあらず。軍の仕方は此方の近代にくらぶれば大きにつたなし。然るを世人の心に、唐土といへば軍の仕方は格別に妙なるべきもののやうに思ひ、又殊の外大国と心得、それに応じて軍勢も甚大軍なるべきやうに心得て、おぢ恐るるは、みな大なるひがこと也。まづかの国をひたすら大国とのみ心得るも料簡違ひあり。其故は、国の広さはいかにも甚広き事にて、日本の十倍などよりも過たれども、然れ共日本にくらぶれば、いづくもいづくも空虛の地多くして、ひろさ相応には田地も人民もすくなく、物成もいとすくなければ、軍もさのみ格別の大軍なることもなし。
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『秘本玉くしげ』下 唐びいきの儒者これ此方にては世の人も一向しらざりしほどの事にて、ただわづかのあぶれ者のしわざにて有しすら、かの国にては右のごとく毎度大きなる騒ぎなりし。これを以ても唐国の軍法の拙く弱き事をしるべし。然るを例の唐びゐきの儒者などの、ひたすらかの国の軍法などをほめあげ高ぶりて武士をおどすは、いとをかしくかたはらいたき事也。吾日本は、ありがたき神威の護の厳重なる事は申すに及ばず、国の殷富、田地人民の甚多きこと、外国のかけても及ぶところにあらず。殊更御当代、天下諸国の蕃鎮の盛大なる、今たとひ武備は少々おこたり有といふとも、なほ甚堅固なれば、たとひ他のいかやうの大国より寇賊来るといへども、さのみ畏るるにはたらず、ゆめゆめ聞おぢなどすべきにあらず。これ又武士の常に心得居るべきことにて、西国方は申すに及ばず、何方にても海面を受たる国々は猶更也。凡て天下の大名たちの、朝廷を深く畏れ厚く崇敬し奉り玉ふべきすぢは、公儀の御定めの通りを守り玉ふ御事勿論也。
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『秘本玉くしげ』上 厳しくすればまづ下は、高が百姓町人の事にて、その願ふ所を聞とどけだにすれば宜しく、又たとひ真坂に及びても、武具などもそろはず、戦の法などもしらぬ者なれば、畢竟は恐るるにはたらぬ事のやうなれども、もし上より用捨なくきびしくこれをふせがば、下よりもまたいよいよ用捨なく、身命をすててかかる事もあらん。其時、たとひ武士一人は百姓町人の三人五人づつに当るほどの働きありとも、つひに多勢に及びがたからん事もはかりがたく、又たとひいかやうの計略をめぐらして十分勝をとる共、敵とするところみな自分の民なれば、一人にてもそこなふときは、畢竟は自分の損也。又、手にあまれるとき、近国などより加勢ありて人数を出されては、たとひ早速静まりても、いよいよ耻辱の至り也。但しさしあたりては、手ごはきときはやむ事を得ず、少少人を損じてなりとも、まづ早く静むるやうにはからはん事、もとより然るべき事也。又、後来を恐れしめんためにも、一旦は武威を以てきびしく押へ静むるも権道也。然れども、始終は武威ばかりにては押へがたし。此方よりきびしくあしらふは、以後又かの方よりも、いよいよきびしくかかれと教ふるやうの道理なれば也。然れば此事は、とにかくにその因て起る本をつつしむ事肝要たるべし。
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『秘本玉くしげ』上 戦国のままの年貢大がた此戦国の時のもやうは、田畑の物成の内わづかに農民の命をつづけて飢に及ばぬほどを百姓の手にのこして、其余は皆年貢に取れるくらゐの事なりしは、甚しき事ならずや。さて豊臣關白の御世に天下一統に治まりて、何事も法制定まりてみだりなる事は止めぬれ共、年貢の分量は大抵もとの戦国の時のままにて、旧にかへり減じたる事もなかりき。次に東照神御祖命の御時も同じ事なり。此時世中治平に帰して軍事は止むといへども、かの戦国の時のもやう年代を経て久しく其ならひに成ぬることなれしば、俄に天下の武士を減少し玉ふべきやうもなければ、たとひいかほど御志はましましても、年貢も俄に減じ玉ふことはなりがたき自然の勢なれば、其分にて今に至れる也。されば今の世の年貢は、かの戦国のころのままなれば至て多きと也。
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『秘本玉くしげ』上 収納十倍でも足らずすべてつねづね右の事共の手当をも丈夫にして、其余のところをはかりて年年の御用脚をまかなひ玉はんには、格別の御逼迫はあるまじき道理なるに、右の御手当ども行とどきがたきのみならず、あまつさへ年年定まれる御まかなひさへ出来がたき家家の多きはいかなる事ぞや。古へは下民より上る物、今の年貢にくらぶれば甚いささかなることにて有し時代すら、今の如く上の逼迫し玉ふ事はなくして、民を救ひ玉ふ筋も随分ゆきとどきて、凶年なれば年貢をも或は半分も減ぜられ、時によりては皆ながらも免し玉へる事も有て、またそれぞれの御手当などもよく出来てとほりし也。然るに今は、臨時に年貢を過分に免し玉ふこともなく、惣体の御収納も古へには十倍せるに、なほ用脚の足らざるは、惣体の事の取扱ひあまりにおもおもしく、無益の事繁多にして、御物入の過分に多きが故ならずや。さて中下の武家の多く内證困窮するも、又同じく分限不相応に身分重重しく、諸事花美になりて物入多き故也。
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