秘本玉くしげ / 下 役替えで消える善政
又それぞれうけとりたる役義をば、自分の身のうへの事にして、隨分身を入て働くべき事なるに、左樣の人は少なくて、ただ不調法さへなければよしとし、又吾役の內不調法なくてさへすめば、跡はいかやうになりてもかまはずして、身分のための用心をのみ第一にして、役義のための事は思はず。又さまざま心ある人の、役の內にあしき事を直し、よき事を始めおきなどしても、其人役替有てのけば、其跡役の人は身に入て世話もせぬ故、たちまちきえうせて、よき事を始めおきたるが益なく、又本のくくり所にしまりなければ、下は心心別別のやうになりて、たとへば先役人の時に堅く約束したる事も、其人かはれば跡役の人はそれを用ひず、その約束の事も云がたきやうになる。これら大にあるまじき事也。何國にても役人は下下のためには殿樣も同前なれば、たとひ其人はいくたり替るとも、前に一度約しおかれたる事は決して變ずまじきはづ也。
新字:又それぞれうけとりたる役義をば、自分の身のうへの事にして、随分身を入て働くべき事なるに、左様の人は少なくて、ただ不調法さへなければよしとし、又吾役の内不調法なくてさへすめば、跡はいかやうになりてもかまはずして、身分のための用心をのみ第一にして、役義のための事は思はず。又さまざま心ある人の、役の内にあしき事を直し、よき事を始めおきなどしても、其人役替有てのけば、其跡役の人は身に入て世話もせぬ故、たちまちきえうせて、よき事を始めおきたるが益なく、又本のくくり所にしまりなければ、下は心心別別のやうになりて、たとへば先役人の時に堅く約束したる事も、其人かはれば跡役の人はそれを用ひず、その約束の事も云がたきやうになる。これら大にあるまじき事也。何国にても役人は下下のためには殿様も同前なれば、たとひ其人はいくたり替るとも、前に一度約しおかれたる事は決して変ずまじきはづ也。
書き下し
又それぞれうけとりたる役義をば、自分の身のうへの事にして、随分身を入て働くべき事なるに、左様の人は少なくて、ただ不調法さへなければよしとし、又吾役の内不調法なくてさへすめば、跡はいかやうになりてもかまはずして、身分のための用心をのみ第一にして、役義のための事は思はず。又さまざま心ある人の、役の内にあしき事を直し、よき事を始めおきなどしても、其人役替有てのけば、其跡役の人は身に入て世話もせぬ故、たちまちきえうせて、よき事を始めおきたるが益なく、又本のくくり所にしまりなければ、下は心々別々のやうになりて、たとへば先役人の時に堅く約束したる事も、其人かはれば跡役の人はそれを用ひず、その約束の事も云がたきやうになる。これら大にあるまじき事也。何国にても役人は下々のためには殿様も同前なれば、たとひ其人はいくたり替るとも、前に一度約しおかれたる事は決して変ずまじきはづ也。
現代語訳
また、それぞれ受け持った役目を自分の身の上の事として、十分に身を入れて働くべきであるのに、そのような人は少なく、ただ不調法さえなければよいとし、また自分の役の間に不調法がなく済みさえすれば、後はどうなってもかまわず、身分を保つための用心ばかりを第一にして、役目のための事は考えない。また、さまざまに心ある人が、在任中に悪い事を直し、よい事を始めておいたりしても、その人が役替えで退けば、その後任の人は身を入れて世話もしないので、たちまち消えうせて、よい事を始めておいたのが無益になる。また大元の締めくくりに締まりがなければ、下は心々別々のようになって、たとえば前任の役人の時に堅く約束した事も、その人が替われば後任の人はそれを用いず、その約束の事も言い出しにくいようになる。これらは大いにあってはならない事である。どの国でも役人は下々にとっては殿様も同然であるから、たとえその人が何人替わろうとも、前に一度約束しておかれた事は決して変えてはならないはずである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 李斯列伝彼の賢人の天下を有つや、専ら天下を用ひて己に適するのみ。此れ天下を有つを貴ぶ所なり。夫れ所謂賢人なる者は、必ず能く天下を安んじて万民を治む。今身すら且つ利する能はず、将た悪くんぞ能く天下を治めんや。故に吾志を賜にし欲を広くし、長く天下を享けて害無からんと願ふ。之を為すこと奈何」と。李斯の子由は三川の守為り。群盗呉広等西のかた地を略し、過ぎ去るも禁ずる能はず。章邯以て広等の兵を破逐す。使者三川を覆案すること相属ぎ、斯の三公の位に居りて、如何ぞ盗をして此の如くならしむると誚譲す。李斯恐懼し、爵禄を重んじ、出だす所を知らず、乃ち二世の意に阿り、容れられんことを求めんと欲し、書を以て対へて曰く、夫れ賢主なる者は、必ず且に能く道を全うして督責の術を行ふ者なり。之を督責すれば、則ち臣敢て能を竭くして以て其の主に徇はずんばあらず。此れ臣主の分定まり、上下の義明らかなれば、則ち天下の賢不肖、敢て力を尽くし任を竭くして以て其の君に徇はざる莫し。是の故に主は独り天下を制して制せらるる所無きなり。能く楽しみの極みを窮む。賢明の主なり。察せざるべけんや。故に申子曰く「天下を有ちて恣睢せざる、之を命けて天下を以て桎梏と為すと曰ふ」とは、他無し、督責する能はずして、顧って其の身を以て天下の民に労すること、堯・禹の然るが若し。故に之を「桎梏」と謂ふなり。夫れ申・韓の明術を修め、督責の道を行ひ、専ら天下を以て自ら適する能はずして、徒らに形を苦しめ神を労するを務め、身を以て百姓に徇ふは、則ち是れ黔首の役にして、天下を畜ふ者に非ざるなり。何ぞ貴ぶに足らんや。夫れ人を以て己に徇はしむれば、則ち己は貴くして人は賤し。己を以て人に徇へば、則ち己は賤しくして人は貴し。故に人に徇ふ者は賤しく、而して人の徇ふ所の者は貴し。古より今に及ぶまで、未だ然らざる者有らざるなり。凡そ古の賢を尊ぶ所為の者は、其の貴きが為なり。而して不肖を悪む所為の者は、其の賤しきが為なり。
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史記 韓信盧綰列伝漢の五年の冬、項籍を破るを以て、乃ち盧綰をして別将たらしめ、劉賈と臨江王共尉を撃たしめ、之を破る。七月還り、従ひて燕王臧荼(ぞうと)を撃ち、臧荼降る。高祖已に天下を定むるに、諸侯の劉氏に非ずして王たる者七人。盧綰を王とせんと欲するも、群臣の觖望(けつぼう)を為す。臧荼を虜にするに及び、乃ち詔を諸将相・列侯に下し、群臣の功有る者を択びて以て燕王と為さしむ。群臣上の盧綰を王とせんと欲するを知り、皆言ひて曰く、「太尉長安侯盧綰は常に従ひて天下を平定し、功最も多し。燕に王たるべし」と。詔して之を許す。漢の五年八月、乃ち虜綰を立てて燕王と為す。諸侯王の幸を得ること燕王に如くは莫し。漢の十一年の秋、陳豨代の地に反す。高祖邯鄲に如きて豨の兵を撃ち、燕王綰も亦其の東北を撃つ。是の時に当たり、陳豨王黄をして救ひを匈奴に求めしむ。燕王綰も亦其の臣張勝を匈奴に使はし、豨等の軍破れたりと言はしむ。張勝胡に至るに、故の燕王臧茶の子衍出亡して胡に在り、張勝に見えて曰く、「公の燕に重んぜらるる所以の者は、胡の事に習ふを以てなり。燕の久しく存する所以の者は、諸侯数反し、兵連なりて決せざるを以てなり。今公燕の為に急に豨等を滅ぼさんと欲するも、豨等已に尽くれば、次は亦燕に至り、公等も亦且に虜と為らんとす。公何ぞ燕をして且く陳豨を緩めて胡と和せしめざる。事寛なれば、長く燕に王たるを得。即し漢の急有らば、以て国を安んずべし」と。張勝以て然りと為し、豨私かに匈奴をして豨等を助けて燕を撃たしむ。燕王綰張勝の胡と反するを疑ひ、上書して張勝を族せんことを請ふ。勝還り、具に為す所以の者を道ふ。燕王寤り、乃ち詐りて它人を論じ、勝の家属を脱し、匈奴の間と為るを得しめ、而して陰かに范斉をして陳豨の所に之かしめ、久しく亡げしめ、兵を連ねて決すること勿からしめんと欲す。漢の十二年、東のかた黥布を撃つ。豨常に兵を将ゐて代に居り、
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『呻吟語』外篇・品藻・國家奚ぞ賴らんや此の身操執の常を棄てて圓軟を以て俗譽を沽り、國家遠大の患ひを忘れて寬厚を以て私恩を巿り、巧みに人の未だ見ざる所の利に趨き、善く人の未だ識らざる所の害を避け、身を百禍侵さざるの地に立て、事成れば我に功有り、事敗るれば我に咎無し。此れ智巧の士なり。國家奚ぞ賴らんや。
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史記 呂不韋列伝始皇帝益々壮なり。太后の淫止まず。呂不韋、覚られて禍の己に及ばんことを恐れ、乃ち私かに大陰人嫪毐を求めて以て舎人と為す。時に倡楽を縦にし、毐をして其の陰を以て桐輪を闕けて行かしめ、太后をして之を聞かしめ、以て太后を啗はしむ。太后聞き、果して私かに之を得んと欲す。呂不韋乃ち嫪毐を進め、詐りて人をして腐罪を以て之を告げしむ。不韋又陰かに太后に謂ひて曰く、「詐りて腐を事とせしむべし。則ち給事中を得ん」と。太后乃ち陰かに厚く主腐者の吏に賜ひ、詐りて之を論じ、其の須眉を抜きて宦者と為し、遂に太后に侍するを得たり。太后私かに与に通じ、絶だ之を愛す。身有り。太后人の之を知らんことを恐れ、詐りて卜ふに時を避くべしとし、宮を徙して雍に居る。嫪毐常に従ひ、賞賜甚だ厚く、事皆嫪毐に決す。嫪毐の家僮数千人、諸客の宦を求めて嫪毐の舎人と為る者千余人。始皇の七年、荘襄王の母夏太后薨ず。孝文王の后を華陽太后と曰ひ、孝文王と寿陵に会葬す。夏太后の子荘襄王は芷陽に葬らる。故に夏太后独り別に杜の東に葬られ、曰く「東のかた吾が子を望み、西のかた吾が夫を望む。後百年、旁らに当に万家の邑有るべし」と。
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史記 李斯列伝高乃ち丞相斯に謂ひて曰く、「上崩じ、長子に書を賜ひ、喪と咸陽に会して立ちて嗣と為らしむ。書未だ行らず。今上崩じ、未だ知る者有らざるなり。長子に賜ふ所の書及び符璽は皆胡亥の所に在り。太子を定むるは君侯と高との口に在るのみ。事将に何如せん」と。斯曰く、「安くんぞ亡国の言を得たる。此れ人臣の当に議すべき所に非ざるなり」と。高曰く、「君侯自ら料るに、能は蒙恬と孰れぞ。功の高きは蒙恬と孰れぞ。謀遠くして失はざるは蒙恬と孰れぞ。怨み天下に無きは蒙恬と孰れぞ。長子の旧くして之を信ずるは蒙恬と孰れぞ」と。斯曰く、「此の五者は皆蒙恬に及ばず。而るに君之を責むること何ぞ深きや」と。高曰く、「高は固より内官の廝役なり。幸ひに刀筆の文を以て秦宮に進み入るを得、事を管すること二十余年、未だ嘗て秦の丞相功臣を免罷して封の二世に及ぶ者有るを見ざるなり。卒に皆誅を以て亡ぶ。皇帝の二十余子は、皆君の知る所なり。長子は剛毅にして武勇、人を信じて士を奮はす。即位せば必ず蒙恬を用ひて丞相と為さん。君侯終に通侯の印を懐きて郷里に帰らざること、
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史記 伍子胥列伝伍子胥は、楚人なり、名は員。員の父は伍奢と曰ふ。員の兄は伍尚と曰ふ。其の先は伍挙と曰ひ、直諫を以て楚の荘王に事へて、顕るる有り、故に其の後世は楚に名有り。楚の平王に太子有り、名を建と曰ふ。伍奢をして太傅と為し、費無忌をして少傅と為さしむ。無忌、太子建に忠ならず。平王、無忌をして太子の為に婦を秦より取らしむ。秦の女好し、無忌馳せて帰り、平王に報じて曰く、「秦の女は絶だ美なり、王自ら取る可し、而して更に太子の為に婦を取れ」と。平王遂に自ら秦の女を取りて絶だ之を愛幸し、子の軫を生む。更に太子の為に婦を取る。
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