秘本玉くしげ / 上 少しづつ質素へ
然れ共、ものはかぎり有て、のぼりきはまる時は又おのづから降るとなれば、いつぞは又本へかへる時節も有べきに、されど此世上の奢りなどの、左樣に自然と質素の方へかへるといふことは、まづは何ぞ變なる事などのなくてはかへりがたきことなれば、その變の有て自然とかへるを、安閑として待居るべきにもあらず。されば上にたつ人は、隨分なるべきだけは工夫をめぐらして、自他奢の長ぜざるやうに、少しづつにても質素の方へかへるやうにはからひ玉ふべき也。すこしづつにても質素の方にかへりて長ずることなければ、起るべき變事もおこらずして、長久に無事なるべし。さてそのはからひはいかにといふに、右に申せる如く、此事は嚴しき命令ばかりにてはとても直りがたきことにて、ただ面面自然とたしなむ心になりて、おのづからにするやうにはからふべき事也。
新字:然れ共、ものはかぎり有て、のぼりきはまる時は又おのづから降るとなれば、いつぞは又本へかへる時節も有べきに、されど此世上の奢りなどの、左様に自然と質素の方へかへるといふことは、まづは何ぞ変なる事などのなくてはかへりがたきことなれば、その変の有て自然とかへるを、安閑として待居るべきにもあらず。されば上にたつ人は、随分なるべきだけは工夫をめぐらして、自他奢の長ぜざるやうに、少しづつにても質素の方へかへるやうにはからひ玉ふべき也。すこしづつにても質素の方にかへりて長ずることなければ、起るべき変事もおこらずして、長久に無事なるべし。さてそのはからひはいかにといふに、右に申せる如く、此事は厳しき命令ばかりにてはとても直りがたきことにて、ただ面面自然とたしなむ心になりて、おのづからにするやうにはからふべき事也。
書き下し
然れ共、ものはかぎり有て、のぼりきはまる時は又おのづから降るとなれば、いつぞは又本へかへる時節も有べきに、されど此世上の奢りなどの、左様に自然と質素の方へかへるといふことは、まづは何ぞ変なる事などのなくてはかへりがたきことなれば、その変の有て自然とかへるを、安閑として待居るべきにもあらず。されば上にたつ人は、随分なるべきだけは工夫をめぐらして、自他奢の長ぜざるやうに、少しづつにても質素の方へかへるやうにはからひ玉ふべき也。すこしづつにても質素の方にかへりて長ずることなければ、起るべき変事もおこらずして、長久に無事なるべし。さてそのはからひはいかにといふに、右に申せる如く、此事は厳しき命令ばかりにてはとても直りがたきことにて、ただ面面自然とたしなむ心になりて、おのづからにするやうにはからふべき事也。
現代語訳
けれども、物には限りがあって、上りつめた時はまた自然と下るものであるから、いつかはまた元へ返る時節もあるだろうに、けれどもこの世の奢りなどが、そのように自然と質素の方へ返るということは、まずは何か変事などがなくては返りがたいことなので、その変事があって自然と返るのを、安閑として待っているべきでもない。だから上に立つ人は、できるだけ工夫をめぐらして、自分も他人も奢りが募らないように、少しずつでも質素の方へ返るようにお計らいになるべきである。少しずつでも質素の方に返って募ることがなければ、起こるはずの変事も起こらずに、長く無事であるだろう。さてその計らいはどのようにするかといえば、右に申したように、このことは厳しい命令だけではとても直りがたいことであって、ただそれぞれが自然と慎む心になって、おのずからそうするように計らうべきである。
解説
この章句が説くこと
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『秘本玉くしげ』上 奢りは法で止まらず然れば、これをよきほどにせんと思ふときは、万事を大にそぎすてて、狂人かと人に笑はるるほどに落さざれば、おのおの身分相応の所へは当りがたし。然れども、さほどまでにはとてもおとしがたきものにて、たとひ自分一人は人にかまはず右の如くにおとしても、家内までにも行とどきがたく、又上よりいかほど厳しく命令を下しても、これを制せられても、時世の勢は中中防ぎがたく、人力の及びがたきところあるもの也。たとひしばらくは命令に恐れてこれを慎しむやうにても、末とげがたく、又うはべは命令を守るやうにても、内内にては皆これを破る。衣服の制などみな然也。又一国ぎりこれを制しても、天下一同ならざれば、その制立がたき事も多し。又惣体表向へは出ざる家内のこまかなる事の奢の甚しきを、一つ一つ吟味をとげてこれを禁ずべき由なければ、とにかくに此世上一同の華美おごりは、いかやうにしても俄には停めがたく、年年月月に長じゆくばかり也。
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『秘本玉くしげ』上 質素は続かずその中に、たまたま世上奢の長じぬる事に心づきて、物事質素を心がくるものもあれ共、世間並をはづれては、却て変なるやうに云なされ、人にわろく思はるるによりて、せんかたなくおのづから世間にしたがふ事多き故に、これもおごりをまぬかるる事能はず。又時時倹約倹約といひたてて省略する事共もあれ共、或は省略すまじき事をまづ省略し、或は止めてもさのみ為にもならぬ事を止などして、惣体の奢は相替らず。又しばらく倹約を加へても、世間みな然るにあらざれば、世間につれて又いつのほどにかゆるみて、本のごとくになりなどして、すべて質素にかへる事はつゆほどもなくて、年年月月に世上華美にのみなりゆくほどに、貧しき者も世上につれて、おのづから物入多く困窮する者のみ多き也。さて世間のおごりにつきては、商事もおほく、世のにぎはひにもなりて、金銀融通すれば、さのみ困窮はすまじきやうなるものなれ共、左様にはあらず。
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『秘本玉くしげ』上 身分の奢り身分を重重敷するは、奢りとは別の事の様なれ共、是即大なる奢り也。其中に平人の奢りは、其身一分ぎりの事のみにては害の他に及ぶ事はなきを、上たる人の奢りは、其害領内に及ぶ事也。惣体治平の代久しく続く時は、いつとなく世上物事華美に成て、漸漸に人の身持も重重敷なる事なるを、時時に是を押へずして捨置時は、年年月月に長し行て際限なく、次第次第に世上困窮に及びて、竟に如何敷事の起る也。
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『秘本玉くしげ』上 倹約と悋嗇又倹約を心がくれば、おのづから悋(嗇)きかたに流れやすきものにて、必ずすべき事をも止てせず、人にとらすべきものをも惜みてとらさず、甚しき者は人のものをさへ奪はまほしく思ふやうの心にもなりやすし。然に此所をよく心得て、倹約にしてしかも悋嗇に流れぬやうにはありにくきもの也。殊に上にたつ人など、此わきまへなくして悋嗇なるときは、下の潤ひかはきて甚よろしからず。されば倹約も実には宜しき事にあらず。とかく上中下、各身分相応にくらすがよき也。然りといへども、その相応といふはいかほどが相応なるや、手本のなきものなれば、よきほどは知がたき事なるに、惣じて華美なるかたにはうつりやすく、すこしも質素なる方へはうつりにくきものなれば、治平の久しくつづける世は、一同に段段華美の長ずるならひにして、上にも申せる如く、今の世ほど下が下まで華美なることは古今の間になき事なれば、今の世にこれぞ分限相応のよきほどならんと思ふ事は、皆大に分限には過てある也。
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『秘本玉くしげ』下 そろそろと押へるされば害ながらも俄に禁じがたき事はつねづねに心をつけて、随分長ぜぬやうにはからひ、いつとなくそろそろとこれを押へて、おのづからと止む時節をまつより外なし。万の事は日日に増長することも、思ひの外に又いつとなく衰へゆく時節もあるものなれば、かならず事を急にしてしそんずまじき也。又国のため民のために利益ある事を考へ出して、これを行はんとするも同じ事にて、たとひ利益あるすぢも、新規に俄にこれを行はんとすれば、人も帰服しがたく、又却てそこなひも出来ることあるもの也。とかく人は、久しく馴来りたる事は、少少勝手あしき事も其分にて安じ居るもの也。益ある事も、新規なる事は煩はしく思ふならひなれば、有来りたる事は少少はあしくとも、大抵のことはそのままにて有べし。新規の事は、大抵はまづはせぬがよき也。
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『秘本玉くしげ』下 御勝手の逼迫近来上下おしなべて内証困窮する者多きわけ、又奢の自然とうすらぐべき仕方など、段段上に申せるが如し。然れども、困窮甚せまりて、いかにともすべき方なくさしつまりたる時に至りては、右のごとくゆるやかなる仕方ばかりにては、とてもさしあたりての間には合ひがたき事なれば、左様の時は、いかにしてなりとも急にそのはからひなくてはかなはず。上下大小ともにみな同じ事也。其中に、大名の御勝手の甚逼迫してさしつまりたる時の作略は、まづ町人百姓の金銀をめさるるが近代世間並の事也。然れども、是は上にも申せるが如く、甚心よからぬこと也。たとひしひてこれをめされても、それは限りある事なれば、いつまでも左様にて済ことにあらず。始終のすまぬ事に、大切なる御国政に瑕をつけん事は、いかにしても残念なること也。
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