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秘本玉くしげ / 上 私智を恃む

惣じて古より唐土の風俗として、何事によらず舊きに依ることをばたつとばず、ただ己が私智を以て考へて、万の事を改めかえて功を立んとするならはし也。これただ己が才智を恃みて、まことの道をしらざるもの也。故に、その考へたるところの議論理屈は、いかほど尤にて的當したるやうに聞えても、實事になりてはその議論の如くには行はれず、思ひの外の失あるは、まことの道理にかなはざる所あるが故也。然るを此方にても、儒者の料簡はひたすらかの唐土のかたをよき事に思ひて、もの事を己が心もて改め變んとする。かの儒者かたぎの一種の料簡と申すはこれ也。儒者はとかく唐土の治めかたをよろしきやうにいえども、かの代代の治まりぶり、學者の議論のやうにはゆかざるを以て、其實はよろしからざることをさとるべし。

新字:惣じて古より唐土の風俗として、何事によらず旧きに依ることをばたつとばず、ただ己が私智を以て考へて、万の事を改めかえて功を立んとするならはし也。これただ己が才智を恃みて、まことの道をしらざるもの也。故に、その考へたるところの議論理屈は、いかほど尤にて的当したるやうに聞えても、実事になりてはその議論の如くには行はれず、思ひの外の失あるは、まことの道理にかなはざる所あるが故也。然るを此方にても、儒者の料簡はひたすらかの唐土のかたをよき事に思ひて、もの事を己が心もて改め変んとする。かの儒者かたぎの一種の料簡と申すはこれ也。儒者はとかく唐土の治めかたをよろしきやうにいえども、かの代代の治まりぶり、学者の議論のやうにはゆかざるを以て、其実はよろしからざることをさとるべし。

書き下し

惣じて古より唐土の風俗として、何事によらず旧きに依ることをばたつとばず、ただ己が私智を以て考へて、万の事を改めかえて功を立んとするならはし也。これただ己が才智を恃みて、まことの道をしらざるもの也。故に、その考へたるところの議論理屈は、いかほど尤にて的当したるやうに聞えても、実事になりてはその議論の如くには行はれず、思ひの外の失あるは、まことの道理にかなはざる所あるが故也。然るを此方にても、儒者の料簡はひたすらかの唐土のかたをよき事に思ひて、もの事を己が心もて改め變んとする。かの儒者かたぎの一種の料簡と申すはこれ也。儒者はとかく唐土の治めかたをよろしきやうにいえども、かの代代の治まりぶり、学者の議論のやうにはゆかざるを以て、其実はよろしからざることをさとるべし。

現代語訳

総じて昔から唐土の風俗として、何事によらず旧いものに依ることを尊ばず、ただ自分の私的な知恵で考えて、万事を改め変えて功を立てようとする習わしである。これはただ自分の才知を恃んで、まことの道を知らない者である。それゆえ、その考えた議論や理屈は、どれほどもっともで的を射たように聞こえても、実際の事になるとその議論のようには行われず、思いのほかの失敗があるのは、まことの道理にかなわないところがあるからである。それなのにこちら(日本)でも、儒者の考えはひたすらあの唐土のやり方をよいことに思って、物事を自分の心で改め変えようとする。あの儒者気質の一種の考えと申すのはこれである。儒者はとかく唐土の治め方をよいもののように言うけれども、あの国の代々の治まりぶりが学者の議論のようにはいかなかったことから、その実はよくないことを悟るべきである。

解説

宣長は中国の政治の根にある性向を、旧きに依ることを尊ばず、ただ己の私智で考えて万事を改める習わしだと言い切る。才知を恃んで功を立てようとするから、議論はもっともらしくても実地では外れる。その原因は理屈の出来の悪さではなく、まことの道理にかなっていない点にある、というのが宣長の見立てである。そして日本の儒者もその型をよしとし、自分の心で物事を改めようとする。本書が「儒者かたぎ」と呼ぶものの正体を、ここで改めて名指ししているのである。成果を急ぐ新任の責任者が前例を軽んじ、自分の知恵で全部を作り替えようとするとき、同じことが起きてはいないだろうか。

この章句が説くこと

私智唐土儒者旧き道理

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