日暮硯 / 『日暮硯』鳥籠で食事をさせられる
翌日、御献立の御料理出來候由、御膳方より申上候へば、即刻彼の者を召出され、「あの鳥籠の戶を明け、內へ入り樣子を見よ」との仰せなり。即ち內へ入り候へば、「ナント能き格好か」と仰せゆへ、「宜しく御座候」と申上候へば、「其內にて煙草を吸ふて見よ」と仰せらる。御側衆、煙草盆を籠の內へ入れ候へば「たばこを吸ひながら、ヤハリ其內にて咄せよ」との仰せゆゑ、煙草を吸ひ居しに、「先き程の料理二人前膳を出せよ」との仰せにて、一膳は公の御前にすゑ、一膳は鳥籠の內へ入れさせ、「喰ふて見よ、其方が好みの料理なれば、嘸うまからん、我も相伴すべし」と仰せらる。「此內にて給べ候儀は御免下され候樣願ひ上げ奉り候」と申せば、「何も慰めなり、其內にて喰ふて見よ」との達ての仰せゆゑ、是非なく籠の內にて給べ候へば、「何なりとも氣に入りたるものを替へて澤山に給べよ」とお强ひなされ、御菓子、濃茶、薄茶等までお振舞ひ成され候、御食事相濟み、四方山のお噺なされ候て、二た時餘りも籠の內に居候へども、「出よ」との仰せなかりしかば、最早お出し被下候樣にと相願候ひしに、「出すこと相成らず候間、一生其內に居て何なりとも望みの物を喰ふべし、いか樣のものにても望み次第に取寄せ喰ふべし、遠慮なく食事を好み申すべきなり、大小用の節は出し遣はすべく候間、左樣に申すべし」と仰せられしかば、彼の者、殊の外難儀がり、樣々訴訟仕候へば「何をするも奉公なり、其內に居て望みのものを喰ひ、我が慰めになるも奉公なり、訴訟するに及ばぬなり」と仰せられしかば、彼の者淚を流し、御側衆を賴み、幾重にもあやまり入り奉り候間、御前宜しく賴み入り候と申しければ、御側衆も、彼是御訴訟申上げ候。
新字:翌日、御献立の御料理出来候由、御膳方より申上候へば、即刻彼の者を召出され、「あの鳥籠の戸を明け、内へ入り様子を見よ」との仰せなり。即ち内へ入り候へば、「ナント能き格好か」と仰せゆへ、「宜しく御座候」と申上候へば、「其内にて煙草を吸ふて見よ」と仰せらる。御側衆、煙草盆を籠の内へ入れ候へば「たばこを吸ひながら、ヤハリ其内にて咄せよ」との仰せゆゑ、煙草を吸ひ居しに、「先き程の料理二人前膳を出せよ」との仰せにて、一膳は公の御前にすゑ、一膳は鳥籠の内へ入れさせ、「喰ふて見よ、其方が好みの料理なれば、嘸うまからん、我も相伴すべし」と仰せらる。「此内にて給べ候儀は御免下され候様願ひ上げ奉り候」と申せば、「何も慰めなり、其内にて喰ふて見よ」との達ての仰せゆゑ、是非なく籠の内にて給べ候へば、「何なりとも気に入りたるものを替へて沢山に給べよ」とお強ひなされ、御菓子、濃茶、薄茶等までお振舞ひ成され候、御食事相済み、四方山のお噺なされ候て、二た時余りも籠の内に居候へども、「出よ」との仰せなかりしかば、最早お出し被下候様にと相願候ひしに、「出すこと相成らず候間、一生其内に居て何なりとも望みの物を喰ふべし、いか様のものにても望み次第に取寄せ喰ふべし、遠慮なく食事を好み申すべきなり、大小用の節は出し遣はすべく候間、左様に申すべし」と仰せられしかば、彼の者、殊の外難儀がり、様々訴訟仕候へば「何をするも奉公なり、其内に居て望みのものを喰ひ、我が慰めになるも奉公なり、訴訟するに及ばぬなり」と仰せられしかば、彼の者涙を流し、御側衆を頼み、幾重にもあやまり入り奉り候間、御前宜しく頼み入り候と申しければ、御側衆も、彼是御訴訟申上げ候。
書き下し
翌日、御献立の御料理出來候由、御膳方より申上候へば、即刻彼の者を召出され、「あの鳥籠の戶を明け、內へ入り樣子を見よ」との仰せなり。即ち內へ入り候へば、「ナント能き格好か」と仰せゆへ、「宜しく御座候」と申上候へば、「其內にて煙草を吸ふて見よ」と仰せらる。御側衆、煙草盆を籠の內へ入れ候へば「たばこを吸ひながら、ヤハリ其內にて咄せよ」との仰せゆゑ、煙草を吸ひ居しに、「先き程の料理二人前膳を出せよ」との仰せにて、一膳は公の御前にすゑ、一膳は鳥籠の內へ入れさせ、「喰ふて見よ、其方が好みの料理なれば、嘸うまからん、我も相伴すべし」と仰せらる。「此內にて給べ候儀は御免下され候樣願ひ上げ奉り候」と申せば、「何も慰めなり、其內にて喰ふて見よ」との達ての仰せゆゑ、是非なく籠の內にて給べ候へば、「何なりとも氣に入りたるものを替へて澤山に給べよ」とお强ひなされ、御菓子、濃茶、薄茶等までお振舞ひ成され候、御食事相濟み、四方山のお噺なされ候て、二た時餘りも籠の內に居候へども、「出よ」との仰せなかりしかば、最早お出し被下候樣にと相願候ひしに、「出すこと相成らず候間、一生其內に居て何なりとも望みの物を喰ふべし、いか樣のものにても望み次第に取寄せ喰ふべし、遠慮なく食事を好み申すべきなり、大小用の節は出し遣はすべく候間、左樣に申すべし」と仰せられしかば、彼の者、殊の外難儀がり、樣々訴訟仕候へば「何をするも奉公なり、其內に居て望みのものを喰ひ、我が慰めになるも奉公なり、訴訟するに及ばぬなり」と仰せられしかば、彼の者淚を流し、御側衆を賴み、幾重にもあやまり入り奉り候間、御前宜しく賴み入り候と申しければ、御側衆も、彼是御訴訟申上げ候。
現代語訳
翌日、お献立の料理が出来たと御膳方から申し上げると、公はすぐにあの者を召し出し、「あの鳥籠の戸を開け、中に入って様子を見よ」と命じられた。そこで中へ入ると、「どうだ、よい格好か」と言われるので、「結構でございます」と申し上げた。「その中でたばこを吸ってみよ」と言われる。側近が煙草盆を籠の中へ入れると、「たばこを吸いながら、そのままその中で話をせよ」と命じられるので、たばこを吸っていた。すると、「先ほどの料理の二人前の膳を出せ」と命じられ、一膳は公の御前に据え、もう一膳は鳥籠の中へ入れさせて、「食べてみよ。そなたの好みの料理なのだから、さぞうまいであろう。私も相伴しよう」と言われる。「この中で頂くことはお許しくださいますよう願い上げます」と申すと、「すべて慰みだ。その中で食べてみよ」と強くお命じになるので、仕方なく籠の中でいただいた。すると、「何であれ気に入ったものに取り替えて、たくさん食べよ」と強いられ、お菓子、濃茶、薄茶などまでふるまわれた。食事が済み、よもやま話をなさって、二時間余りも籠の中にいたが、「出よ」と言われないので、もうお出しくださいますようにと願った。すると、「出すことは相ならぬ。一生その中にいて、望みのものを食べよ。どんなものでも望み次第に取り寄せて食べよ。遠慮なく食事を好きに言うがよい。大小用のときは出してやるから、そう申せ」と言われたので、その者はひどく難儀がり、さまざまに訴えた。すると、「何をするのも奉公だ。その中にいて望みのものを食べ、私の慰みになるのも奉公である。訴えるには及ばない」と言われたので、その者は涙を流し、側近に頼んで、幾重にもお詫び申し上げるので、御前によろしくお取りなしを頼みますと言った。側近たちも、あれこれと訴え申し上げた。
解説

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日暮硯・『日暮硯』家来も親類も約束で固める「イヤ其の分にても相濟まず、家來共に暇を出し候上は、無人ゆゑ飯もたかねばならぬなり、水も汲まねばならぬなり」「成る程、飯を焚きし事はなけれども、焚き習ひ候て、飯もたき、水も汲み申すべく候」「彌々それに目違なきや」「誓言にて御座候」「然らば去るに及ばず、女房にして置くべし、扨て子供は何方へなりとも立ち退くべく候、路銀は相應に吳れて出すべし」と申され候へば、「私も噓は申すまじく候、飯と汁とより外は給べ申すまじく候、綿服を着申すべく候間、御勘當は御免下されたく」と申されければ、「彌々左樣に候や」「成ほど誓言にて御座候」「彌々左樣に候はゞ、我が子にして置べし」「家來共立ち出でよ」「私共もうそを申まじく、御飯と汁より外、給べ申すまじく候間、何とぞ御差置下され候樣願ひ奉り候、旦那樣より御暇を受け候はゞ何方へ參り候とも、奉公は相成り申す間じく候、其の譯は、彼等は木工殿にて、うそを言ふ事相成らず、飯と汁より外は菜を喰べる事相成らず候故、暇を取つて出たる者共なれば、何の用にも立つまじきものと申す事にて、召し抱へらるる御方有るまじく候、此の上の御慈悲には、何卒、御差置き被下度、有り難き仕合に存じ奉るべく候」と願ひ候へば、木工、「うそを言はず、飯と汁より外喰はぬ事合點ならば、召遣ふなり、お身達に暇を遣はしても、又抱へねばならぬは人なり、仍つて給金は、只今の通り遣はすべく候間、奉公大切に相勤むべく候」「イヤ御給金は御貰ひ申すに及ばず候、食物は旦那樣より下され候なり、着物は當分着候程は所持仕り候、なくなり候はゞ、旦那樣の御古なりとも拜領仕り候て着申すべく候、左候へば、御給金も頂戴に及び申さず候」「イヤとよ、我は知行千石なるに、飯と汁より外喰はぬ積りにて、何も入り用なければ、家來どもへは給金を出し、家內の入用を引いて、殘りは御上へ差上候より外に考へなし、おみ達は、妻子を養育する身なれば、給金は遣すべく候間、左樣に相心得候へ」と申され候へば、有り難き仕合に存じ奉り候と、皆々お請け致し候ひける。 扨て又木工、「親類中には彌々義絕成し下さるべくや」「イヤ拙者共もうそは一向に申間敷候」「イヤ各々方、御家內の儀は御勝手次第に成さるべく候、各々方さへうそを相止められ候へば、手前の邪魔になる筋はこれ無く候間、義絕に及ばず候」「それは忝き仕合に候」と、互に挨拶して、親類中も各々歸宅致され候。右の通り、江戶より歸國早々、家內竝びに自分の親類を最初に固められ候は、前代未聞の賢人なり。
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日暮硯・『日暮硯』悪かった役人が扶翼に変わる即刻右の者共を御前へ召し出され、平日よりも御面を和らげられ、右の通り仰せ付られ候へば、皆々畏り奉り、有り難き仕合に存じ奉り候とお請け申上げ退出し、皆々打寄りての相談に、「今日御前にて仰せ出され候趣、さりとは合點行かぬ事なり、唯今まで手前共が爲せし惡事は、百姓共の書付にて御前へ顯れたるに違ひなければ、今日召し出され候は、木工のおかげで必ず嚴しきお叱りと思ひしに、思ひの外なる御意を蒙り候、何れも如何思召候や」「今度、木工が萬事の取計らひを見るに、格外の仁政、中々以て尋常の心の及ぶ事にあらず、若し又我々、木工に成り替り、手前共の上を裁斷せば、死罪には漏れまじき程の事なり、夫れを却つて本工の相役とは、思ひの外なる事なり、是れ决して御前計りの思召にては有まじく定めて木工が計らひなるべし、是れより手前共も、心底を改め、御前の御意の通り木工と肌を合せて忠義を盡さずんば、遂に身の破滅を來し、先祖への不幸なるべし是より直ちに木工が宅へ罷り越し、謝禮を申すがよろしからん、何れもいかゞ思召候や」と申せば、皆々、「是れは尤も千萬、成る程貴公の仰せの通り、唯今までの我意を改め、實に木工と肌を合せ、忠勤を盡すべし」とて、皆々木工が宅へ罷り越し「先づ以て今般御大役御苦勞千萬、莫大の御仁政、感じ入り奉り候、就ては今日、御前に於て、手前共、貴公の御相役仰せ付けられ、有り難き仕合に存じ奉り候。是れ皆貴公の御取成し故と、千萬忝なく存じ奉り候、御存知の通り、不調法者共に御座候間、萬端御遠慮なくお指圖下され候樣、偏に賴み奉り候、御禮旁々、參上致し候」と申入れば、木工挨拶に、「此方より罷り越し申すべき筈の處、早々のお出で、御念を入れられ候事、千萬忝く存じ候、此の上各々のお助けにあづからずしては、個樣の大役、拙者一人にて、中々相勤り候事にては御座なく候、萬事氣の付き申さざる處は、御遠慮なくお心をお添へ下さるべく候、此の段、切に相願ふ」と申され候へば、皆々、「恐入候、拙者共の存じ付き候程の儀は、何分にも御氣を付け申すべく候間、御指圖賴み入り候」と、いんぎんに挨拶して立歸り、是より眞實に木工の扶翼と成りしかば、木工の世話なしに、盜人はなくなれり、其の譯は、下役の者、「此儀は個樣に成し下さるべく」といへば、「イヤ左樣にはならぬ、唯今までとは違ふ、萬一木工が知ると、身の破滅じや、向後萬事左樣に相心得よ」と、其の道筋を 知りたる大將共が、手下の者にいましめをなす故、下役等、自然盗みする事ならず、末々まで、皆々忠義を第一とし、正直を元として、御奉公を大切と心懸ける樣になりしとかや。是れ皆、御前の御聖智により、又木工の仁政よりぞおこりける、有り難き事ぞかし。
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