碧巌録 / 第九十九則
肅宗皇帝。在東宮時。已參忠國師。後來即位。敬之愈篤。出入迎送躬自捧車輦。一日致箇問端來。問國師云。如何是十身調御。師云。檀越踏毘盧頂上行。國師平生。一條脊梁骨硬如生鐵。及至帝王面前。如爛泥相似。雖然答得廉纖。却有箇好處。他道。爾要會得。檀越須是向毘盧頂[寧*頁]上行始得。他却不薦。更道。寡人不會。國師後面。忒殺郎當落草。更注頭上底一句云。莫錯認自己清淨法身。所謂人人具足。箇箇圓成。看他一放一收。八面受敵。不見道。善為師者。應機設教。看風使帆。若只僻守一隅。豈能回互。看他黃檗老善能接人。遇著臨濟。三回便痛施六十棒。臨濟當下便會去。及至為裴相國。葛藤忒殺。此豈不是善為人師。忠國師善巧方便。接肅宗帝。蓋為他有八面受敵底手段。
新字:粛宗皇帝。在東宮時。已参忠国師。後来即位。敬之愈篤。出入迎送躬自捧車輦。一日致箇問端来。問国師云。如何是十身調御。師云。檀越踏毘盧頂上行。国師平生。一条脊梁骨硬如生鉄。及至帝王面前。如爛泥相似。雖然答得廉繊。却有箇好処。他道。爾要会得。檀越須是向毘盧頂[寧*頁]上行始得。他却不薦。更道。寡人不会。国師後面。忒殺郎当落草。更注頭上底一句云。莫錯認自己清浄法身。所謂人人具足。箇箇円成。看他一放一収。八面受敵。不見道。善為師者。応機設教。看風使帆。若只僻守一隅。豈能回互。看他黄檗老善能接人。遇著臨済。三回便痛施六十棒。臨済当下便会去。及至為裴相国。葛藤忒殺。此豈不是善為人師。忠国師善巧方便。接粛宗帝。蓋為他有八面受敵底手段。
書き下し
粛宗皇帝、東宮に在りし時、已に忠国師に参ず。後来即位して、之を敬すること愈いよ篤し。出入迎送に躬自ら車輦を捧ぐ。一日箇の問端を致し来りて、国師に問ひて云く、「如何なるか是れ十身調御」。師云く、「檀越、毘盧の頂上を踏んで行け」。国師平生、一条の脊梁骨硬きこと生鉄の如し。帝王の面前に至るに及んで、爛泥の如くに相似たり。廉繊に答へ得たりと雖然も、却つて箇の好処有り。他の道ふは、「爾会得せんと要せば、檀越須らく是れ毘盧の頂上に向いて行きて始めて得べし」と。他却つて薦めず、更に道ふ、「寡人会せず」。国師後面に、忒殺だ郎当として落草し、更に頭上底の一句に注して云く、「錯つて自己の清浄法身を認むること莫れ」。所謂人人具足し、箇箇円成す。看よ他の一放一収、八面に敵を受くることを。道ふを見ずや、「善く師為る者は、機に応じて教へを設け、風を看て帆を使ふ」と。若し只だ僻に一隅を守らば、豈に能く回互せんや。看よ他の黄檗老の善く能く人を接することを。臨済に遇著して、三回便ち痛く六十棒を施す。臨済当下に便ち会し去る。裴相国の為にするに及至んで、葛藤忒殺だし。此れ豈に是れ善く人の師為るにあらずや。忠国師善巧方便して粛宗帝を接す。蓋し他に八面に敵を受くる底の手段有るが為なり。
現代語訳
粛宗皇帝は東宮にいた頃から、すでに慧忠国師に参じていた。後に即位すると、ますます篤く敬い、出入りの送り迎えには自ら車を押すほどであった。ある日、問いを持ち出して国師に問うた。「十身調御とは何か」。国師は「檀越よ、毘盧遮那仏の頭の上を踏んで行きなさい」と言った。国師は平生、一本の背骨が鋳鉄のように硬い人であったが、帝王の前に出ると、ぐずぐずの泥のようであった。細やかすぎる答えではあったが、それでも良いところがある。彼が言うのは、「あなたが分かりたいなら、檀越よ、毘盧遮那仏の頭の上を行ってはじめてよい」ということである。帝はかえってそれを受け取れず、さらに「わたしには分からない」と言った。国師はその後で、ひどくだらしなく草むらに降りて、さらに先の一句に注を加えて「誤って自分の清浄な法身をそれと思い込んではならない」と言った。いわゆる、人々はみな具え、一人ひとりが円かに成就しているということである。見よ、彼が一たび放ち一たび収め、八方から敵を受けて立つさまを。「よく師たる者は、相手の機に応じて教えを設け、風を見て帆を操る」と言うではないか。もしひたすら一隅に偏って守るなら、どうして自在に回り合うことができようか。見よ、あの黄檗じいさんがよく人を導いたさまを。臨済に出会うと、三度にわたってしたたかに六十棒を加え、臨済はその場で会得した。ところが裴相国のためには、ひどく言葉を費やした。これこそよく人の師となる者ではないか。忠国師が巧みな方便で粛宗帝を導いたのは、思うに八方から敵を受けて立つ手腕があったからである。
解説
この章句が説くこと
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『碧巌録』第八十八則玄沙、参じて情塵意想を絶し、浄裸裸、赤灑灑地なる処に到つて、方に恁麼に道ふことを解す。是の時諸方、列刹相ひ望む。尋常衆に示して道ふ、「諸方の老宿、尽く接物利生と道ふ。忽ち三種の病人の来るに遇ふ時、作麼生か接せん。患盲の者は、鎚を拈じ払を竪つるも他又た見ず。患聾の者は、語言三昧も他又た聞かず。患啞の者は、他をして説かしむるも又た説き得ず。且く作麼生か接せん。若し此の人を接し得ずんば、仏法に霊験無し」と。如今の人、若し盲聾瘖啞の会を作さば、卒に摸索不著ならん。所以に道ふ、「句中に向つて死却すること莫れ」と。須らく是れ他の玄沙の意を会して始めて得べし。玄沙常に此の語を以て人に接す。僧有り、久しく玄沙の処に在り。一日上堂す。僧、和尚に問うて云く、「三種病人の話、還た学人の道理を説くことを許すや也た無しや」。玄沙云く、「許す」。僧便ち珍重して下り去る。沙云く、「不是、不是」。這の僧は他の玄沙の意を会得す。後来法眼云く、「我れ地蔵和尚の這の僧の語を挙するを聞いて、方に三種病人の話を会す」と。若し這の僧会せずと道はば、法眼什麼と為てか却つて恁麼に道ふ。若し他会すと道はば、玄沙什麼と為てか却つて「不是、不是」と道ふ。一日地蔵道ふ、「某甲聞く、和尚に三種病人の話有りと、是なりや否や」。沙云く、「是なり」。蔵云く、「珪琛、現に眼耳鼻舌有り、和尚作麼生か接せん」。玄沙便ち休し去る。若し玄沙の意を会得せば、豈に言句上に在らんや。他の会する底は自然に殊別なり。
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