碧巌録 / 第九十六則
泥佛不渡水 神光照天地立雪如未休 何人不雕偽泥佛不渡水。神光照天地。這一句頌分明了。且道為什麼却引神光。二祖初生時。神光燭室亘於霄漢。又一夕神人現。謂二祖曰。何久于此。汝當得道時至。宜即南之。二祖以神遇遂名神光。久居伊洛。博極群書。每嘆曰。孔老之教祖述風規。近聞達磨大師住少林。乃往彼晨夕參扣。達磨端坐面壁。莫聞誨勵。光自忖曰。昔人求道。敲骨出髓。刺血濟飢。布髮掩泥。投崖飼虎。古尚若此。我又何如。其年十二月九日夜大雪。二祖立於砌下。遲明積雪過膝。達磨憫之曰。汝立雪於此。當求何事。二祖悲淚曰。惟願慈悲開甘露門。廣度群品。
新字:泥仏不渡水 神光照天地立雪如未休 何人不雕偽泥仏不渡水。神光照天地。這一句頌分明了。且道為什麼却引神光。二祖初生時。神光燭室亘於霄漢。又一夕神人現。謂二祖曰。何久于此。汝当得道時至。宜即南之。二祖以神遇遂名神光。久居伊洛。博極群書。毎嘆曰。孔老之教祖述風規。近聞達磨大師住少林。乃往彼晨夕参扣。達磨端坐面壁。莫聞誨励。光自忖曰。昔人求道。敲骨出髄。刺血済飢。布髪掩泥。投崖飼虎。古尚若此。我又何如。其年十二月九日夜大雪。二祖立於砌下。遅明積雪過膝。達磨憫之曰。汝立雪於此。当求何事。二祖悲涙曰。惟願慈悲開甘露門。広度群品。
書き下し
泥仏水を渡らず、神光天地を照らす。雪に立つこと如し未だ休まずんば、何人か雕偽せざらん。泥仏水を渡らず、神光天地を照らす。這の一句頌すること分明なり。且く道へ、什麼としてか却つて神光を引く。二祖初めて生るる時、神光室を燭らし霄漢に亘る。又一夕神人現じて、二祖に謂つて曰く、「何ぞ此に久しき。汝道を得べき時至れり。宜しく即ち南へ之くべし」。二祖神遇を以て遂に神光と名づく。久しく伊洛に居り、群書を博極す。毎に嘆じて曰く、「孔老の教は風規を祖述す」。近ごろ達磨大師少林に住すと聞き、乃ち彼に往いて晨夕に参扣す。達磨端坐面壁して、誨励を聞くこと莫し。光自ら忖つて曰く、「昔人道を求むるに、骨を敲いて髄を出し、血を刺して飢ゑを済ひ、髪を布いて泥を掩ひ、崖に投じて虎に飼ふ。古すら尚ほ此の若し、我又何如」。其の年十二月九日の夜大雪ふる。二祖砌下に立つ。遅明に積雪膝を過ぐ。達磨之を憫みて曰く、「汝雪に立つこと此に於てす、当に何事をか求むべき」。二祖悲涙して曰く、「惟だ願はくは慈悲もて甘露の門を開き、広く群品を度したまへ」。
現代語訳
泥の仏は水を渡らない。神光が天地を照らす。雪の中に立つことがもしやまなかったなら、誰が偽りの飾りをしないでいられようか。(評唱)「泥の仏は水を渡らない。神光が天地を照らす」。この一句ははっきりと頌している。さて言ってみよ、なぜわざわざ神光を引くのか。二祖が生まれた時、神々しい光が部屋を照らし、天空にまで及んだ。またある夜、神人が現れて二祖に言った。「なぜいつまでもここにいるのか。お前が道を得るべき時が来た。すぐに南へ行くがよい」。二祖は神に出会ったことから、ついに神光と名のった。長く伊水・洛水のあたりに住み、多くの書物を広く究めた。いつも嘆いて言った。「孔子や老子の教えは、風俗の規範を受け継いで述べているにすぎない」。近ごろ達磨大師が少林寺に住んでいると聞き、そこへ行って朝夕に参じて教えを請うた。達磨は端坐して壁に向かい、教え励ます言葉を聞かせることもなかった。神光はひそかに考えて言った。「昔の人は道を求めて、骨を砕いて髄を取り出し、血を刺して飢えた者を救い、髪を敷いて泥を覆い、崖から身を投げて虎に食わせた。古人でさえこのようであった。自分はどうであろうか」。その年の十二月九日の夜、大雪が降った。二祖は軒下の石段に立ち続け、明け方には積もった雪が膝を越えた。達磨はこれを憐れんで言った。「お前はこのように雪の中に立って、いったい何を求めるのか」。二祖は悲しみの涙を流して言った。「ただ願わくは、慈悲によって甘露の門を開き、広く衆生をお救いください」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第九十六則雪竇泥仏水を渡らずを頌するに、什麼としてか、却つて這の因縁を引き来つて用ゐる。他は意根下に一星の事無きに参得して、浄裸裸地にして方に頌し得ること此の如し。五祖尋常人をして此の三頌を看せしむ。豈に見ずや、洞山初和尚に頌有りて衆に示して云く、「五台山上雲飯を蒸し、古仏堂前狗天に尿す。刹竿頭上䭔子を煎じ、三箇の胡孫夜銭を簸る」。又杜順和尚道ふ、「懐州の牛禾を喫し、益州の馬腹脹る。天下に医人を覓めて、猪の左膊上に灸す」。又傅大士頌して云く、「空手にして鋤頭を把り、歩行して水牛に騎る。人橋上より過ぐれば、橋は流れて水は流れず」。又云く、「石人の機汝に似たり、也た巴歌を唱ふることを解す。汝若し石人に似たらば、雪曲応に須らく和すべし」。若し此の語を会得せば、便ち他の雪竇の頌を会せん。足。
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『碧巌録』第九十六則達磨曰く、「諸仏の妙道は、曠劫に精勤し、行じ難きを能く行じ、忍に非ざるを忍ぶ。豈に小徳小智、軽心慢心を以て、真乗を冀はんと欲せんや。是の処有ること無し」。二祖誨励を聞いて、道に向ふこと益々切なり。潜かに利刀を取りて、自ら左臂を断ち、達磨の前に致す。磨是れ法器なることを知り、遂に問うて曰く、「汝雪に立ち臂を断つ、当に何事の為ぞ」。二祖曰く、「某甲心未だ安からず、乞ふ師安心せしめたまへ」。磨曰く、「心を将ち来れ、汝が与に安んぜん」。祖曰く、「心を覓むるに了に不可得なり」。達磨云く、「汝が与に安心し竟んぬ」。後に達磨為に其の名を易へて慧可と曰ふ。後に三祖燦大師を接得す。既に法を伝へて舒州の皖公山に隠る。後周の武帝の仏法を破滅し僧を沙汰するに属ひ、師太湖県の司空山に往来し、居に常処無し。十余載を積むも人の知る者無し。宣律師の高僧伝、二祖の事を載すること詳らかならず。三祖伝に云く、二祖の妙法世に伝はらず、と。末後に依前として他の当時の立雪を悟るに頼値す。所以に雪竇道ふ、雪に立つこと如し未だ休まずんば、何人か雕偽せざらん、と。雪に立つこと若し未だ休まずんば、足恭謟詐の人皆之に効はん。一時に只だ雕偽を成ず。則ち是れ謟詐の徒なり。
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『碧巌録』第四十七則雪竇善く能く無縫罅の処に於いて、眼目を出だして頌出し、人をして見せしむ。雲門道ふ、「六不収」。雪竇什麼としてか却つて道ふ、「一二三四五六」。直に是れ碧眼の胡僧も也た数へて足らず。所以に道ふ、「只だ老胡の知るを許して、老胡の会するを許さず」。須らく是れ他の屋裏の児孫に還して始めて得べし。適来道ふ、「一言一句、時に応じ節に応ず」。若し透得し去らば、方に道の言句の中に在らざることを知らん。其れ或いは未だ然らずんば、情解を作すことを免れず。五祖老師道ふ、「釈迦牟尼仏は下賤の客作児、庭前の柏樹子、一二三四五」。若し雲門の言句の下に向かつて諦当に見得せば、相次いで這の境界に到らん。「少林謾りに道ふ神光に付すと」。二祖、始め神光と名づく。後来に至るに及んで、又道ふ「天竺に帰る」と。達磨は熊耳山の下に葬らる。時に宋雲、使を奉じて西より帰り、西嶺に在つて達磨の手に隻履を携へて西天に帰り去るを見る。使回つて奏聖す。墳を開けば惟だ遺下せる一隻の履を見るのみ。雪竇道ふ、其の実此の事作麼生か分付せん。既に分付無くんば、「衣を巻いて又説く天竺に帰ると」。且く道へ、什麼としてか此の土に却つて二三有つて、遞相に恁麼に伝へ来たる。這裏妨げず誵訛なることを。也た須らく是れ搆へ得て始めて入作すべし。「天竺茫茫として尋ぬるに処無し、夜来却つて乳峰に対して宿す」。且く道へ、即今什麼の処にか在る。師便ち打つて云く、「瞎」。
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『碧巌録』第九十六則木仏火を渡らず、常に破竈堕を思ふ。此の一句も亦た頌し了れり。雪竇此の木仏火を渡らずに因りて、常に破竈堕を思ふ。嵩山の破竈堕和尚は姓字を称せず、言行叵測にして嵩山に隠居す。一日徒を領して山塢の間に入るに、廟有りて甚だ霊なり。殿中に唯だ一竈を安ず。遠近祭祀して輟まず、物命を烹殺すること甚だ多し。師廟中に入り、拄杖を以て竈を敲くこと三下して云く、「咄、汝は本塼土の合成なり。霊何れより来り、聖何れより起る。恁麼に物命を烹殺す」。又乃ち撃つこと三下す。竈乃ち自ら傾き破れ堕落す。須臾にして一人有り、青衣峨冠にして、忽然として師の前に立ち設拝して曰く、「我は乃ち竈神なり。久しく業報を受く。今日師の無生の法を説くを蒙りて、已に此の処を脱し、天中に生在す。特に来りて謝を致す」。師曰く、「汝本有の性にして、吾が強ひて言ふに非ず」。神再拝して没す。
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『碧巌録』第四十七則一二三四五六、碧眼の胡僧も数へて足らず。少林謾りに道ふ神光に付すと、衣を巻いて又説く天竺に帰ると。天竺茫茫として尋ぬるに処無し、夜来却つて乳峰に対して宿す。
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『碧巌録』第一則達磨他に一刀に截断を与ふ。如今の人多少か錯り会して、却つて去いて精魂を弄し、眼睛を瞠つて云く、「廓然無聖」と。且喜すらくは没交渉。五祖先師嘗て説く、「只だ這の廓然無聖、若し人透得せば、家に帰つて穏坐せん」と。一等に是れ葛藤を打す、妨げず他の与に漆桶を打破することを。達磨就中奇特なり。所以に道ふ、「一句を参得して透れば、千句万句一時に透る」と。自然に坐得断し把得定す。古人道ふ、「粉骨砕身も未だ酬ゆるに足らず、一句了然として百億を超ゆ」と。達磨劈頭に他に一拶を与ふ、多少か漏逗し了れり。帝省せず、却つて人我の見を以ての故に、再び問ふ、「朕に対する者は誰そ」。達磨慈悲忒殺して、又向つて道ふ、「不識」。直に武帝をして眼目定動し、落処を知らざらしむ。是れ何の言説ぞ。這裏に到つては、有事無事、拈じ来れば即ち堪へず。端和尚頌有りて云く、「一箭尋常一鵰を落す、更に一箭を加ふ已に相饒す。直に少室峰前に帰つて坐す、梁主言ふことを休めよ更に去いて招かんと」。復た云く、「誰か招かんと欲す」。帝契はず、遂に潜かに国を出づ。這の老漢只だ懡㦬することを得たり。江を渡りて魏に至る。時に魏の孝明帝位に当る。乃ち此れ北人の種族、姓は拓跋氏、後来方に中国と名づく。達磨彼に至つて、亦た出でて見えず、直に少林に過ぎて、面壁九年、二祖を接得す。彼の方号して壁観婆羅門と為す。
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