碧巌録 / 第四十七則
一二三四五六 碧眼胡僧數不足少林謾道付神光卷衣又說歸天竺天竺茫茫無處尋夜來却對乳峯宿
新字:一二三四五六 碧眼胡僧数不足少林謾道付神光巻衣又説帰天竺天竺茫茫無処尋夜来却対乳峯宿
書き下し
一二三四五六、碧眼の胡僧も数へて足らず。少林謾りに道ふ神光に付すと、衣を巻いて又説く天竺に帰ると。天竺茫茫として尋ぬるに処無し、夜来却つて乳峰に対して宿す。
現代語訳
一、二、三、四、五、六。碧眼の胡僧(達磨)でさえ数えきれない。少林寺の達磨がみだりに神光(慧可)に法を授けたと言い、衣をたたんでまた天竺へ帰ったと説く。天竺ははるかに広がり、尋ねようにも所がない。ゆうべはかえって乳峰に向かって宿った。
解説
第四十七則に対する雪竇の頌である。雲門の六不収を受けて一から六まで数え上げ、碧眼の胡僧すなわち達磨でさえ数えきれないと詠む。法身は数の内に収まらないということである。続いて、達磨が少林寺で神光すなわち慧可に法を授け、衣を巻いて天竺へ帰ったという伝承を持ち出し、それをみだりに言うことだとする。天竺は茫茫として尋ねようがないが、昨夜は乳峰に向かって宿ったと結ぶ。乳峰は雪竇の住した山の峰とされ、法身は遠い彼方ではなく、自分の居る場所にあるとうたっている。
この章句が説くこと
頌雪竇法身達磨足元乳峰
関連する章句
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