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碧巌録 / 第九十則

一片虛凝絕謂情 人天從此見空生蚌含玄兔深深意曾與禪家作戰爭一片虛凝絕謂情。雪竇一句便頌得好。自然見得古人意。六根湛然。是箇什麼。只這一片虛明凝寂。不消去天上討。也不必向別人求。自然常光現前。是處壁立千仞。謂情即是絕言謂情塵也。法眼圓成實性頌云。理極忘情謂。如何得諭齊。到頭霜夜月。任運落前溪。果熟兼猿重。山遙似路迷。舉頭殘照在。元是住居西。所以道。心是根法是塵。兩種猶如鏡上痕。塵垢盡時光始現。心法雙忘性即真。又道三間茅屋從來住。一道神光萬境閑。莫把是非來辨我。浮生穿鑿不相關。只此頌亦見一片虛凝絕謂情也。

新字:一片虚凝絶謂情 人天従此見空生蚌含玄兔深深意曽与禅家作戦争一片虚凝絶謂情。雪竇一句便頌得好。自然見得古人意。六根湛然。是箇什麼。只這一片虚明凝寂。不消去天上討。也不必向別人求。自然常光現前。是処壁立千仞。謂情即是絶言謂情塵也。法眼円成実性頌云。理極忘情謂。如何得諭斉。到頭霜夜月。任運落前渓。果熟兼猿重。山遥似路迷。舉頭残照在。元是住居西。所以道。心是根法是塵。両種猶如鏡上痕。塵垢尽時光始現。心法双忘性即真。又道三間茅屋従来住。一道神光万境閑。莫把是非来弁我。浮生穿鑿不相関。只此頌亦見一片虚凝絶謂情也。

書き下し

一片虚凝にして謂情を絶す、人天此より空生を見る。蚌は玄兔を含む深深の意、曾て禅家の与に戦争を作す。一片虚凝にして謂情を絶す。雪竇の一句、便ち頌し得て好し。自然に古人の意を見得す。六根湛然たり、是れ箇の什麼ぞ。只だ這の一片虚明凝寂、天上に去いて討ぬることを消ひず、也た別人に向つて求むることを必せず、自然に常光現前し、是の処壁立千仞なり。謂情とは即ち是れ言謂情塵を絶するなり。法眼の円成実性の頌に云く、「理極まつて情謂を忘ず、如何が諭へ斉しきことを得ん。到頭霜夜の月、任運に前渓に落つ。果熟して猿を兼ねて重く、山遥かにして路に迷ふに似たり。頭を挙ぐれば残照在り、元と是れ住居の西」と。所以に道ふ、「心は是れ根、法は是れ塵、両種猶ほ鏡上の痕の如し。塵垢尽くる時光始めて現じ、心法双び忘じて性即ち真なり」と。又た道ふ、「三間の茅屋従来住す、一道の神光万境閑なり。是非を把り来つて我を辨ずること莫れ、浮生の穿鑿相ひ関はらず」と。只だ此の頌も亦た一片虚凝にして謂情を絶することを見る。

現代語訳

ひとかたまりの虚ろに凝り固まった静けさが、言葉と情を絶している。人も天もここから須菩提(空生)を見る。蚌が玄き兎を含むという深い深い意は、かつて禅僧たちのために戦をひき起こした。ひとかたまりの虚ろに凝り固まった静けさが言葉と情を絶している、とは、雪竇のこの一句がよく頌し得ていて、おのずと古人の意が見えるということだ。六根が澄みきっている、それは何か。ただこのひとかたまりの、虚ろに明るく凝り固まった静けさである。天上に探しに行く必要もなく、他人に求める必要もない。おのずと常の光が目の前に現れ、そこは千仞の壁のようにそそり立つ。謂情とは、言葉と情の塵を絶することである。法眼の「円成実性」の頌に言う。「理が極まれば情も言葉も忘れる。どうしてたとえで等しく言い表せよう。結局、霜の夜の月は、おのずと前の谷川に沈む。木の実が熟して猿が乗るほどに重く、山は遥かで道に迷うかのよう。頭を挙げれば夕日の名残があり、もとより住まいは西にある」。だから言う。「心は根、法は塵、二つはまるで鏡の上の傷のようなものだ。塵や垢が尽きた時に光がはじめて現れ、心も法もともに忘れれば本性はそのまま真である」。また言う。「三間の茅屋にずっと住んでいる。一筋の神妙な光があって万境はのどかだ。是非を持ち出して私を論じるな。浮き世の詮索とは関わりがない」。この頌にもまた、ひとかたまりの虚ろに凝り固まった静けさが言葉と情を絶していることが見える。

解説

雪竇の頌と圜悟の評唱の前半である。雪竇は、ひとかたまりの虚ろに凝った静けさが言葉と情を絶していると歌い出し、人も天もここから空生、すなわち須菩提を見ると続ける。蚌と兎の深い意は禅僧たちの間に論争を起こしてきたとも言う。圜悟は、六根が澄みきったこの虚明な静けさは天上にも他人にも求める必要はないと説き、法眼の円成実性の頌や、心も法も鏡の上の傷にすぎないという偈を引く。是非を持ち出して私を論じるなという句は、評価や噂に振り回されがちな私たちに、静けさの中で自分の光を保つことを教える。

この章句が説くこと

公案般若静寂分別法眼虚凝

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