碧巌録 / 第八十九則
遍身是 通身是 拈來猶較十萬里展翅鵬騰六合雲搏風鼓蕩四溟水是何埃壒兮忽生 那箇毫釐兮未止君不見 網珠垂範影重重棒頭手眼從何起咄 壒遍身是通身是。若道背手摸枕子底便是。以手摸身底便是。若作恁麼見解。盡向鬼窟裏作活計。畢竟遍身通身都不是。若要以情識去見他大悲話。直是猶較十萬里。雪竇弄得一句活道。拈來猶較十萬里。後句頌雲巖道吾奇特處云。展翅鵬騰六合雲。搏風鼓蕩四溟水。大鵬吞龍以翼搏風鼓浪。其水開三千里。遂取龍吞之。雪竇道。爾若大鵬能搏風鼓浪。也太殺雄壯。若以大悲千手眼觀之。只是些子塵埃忽生相似。又似一毫釐風吹未止相似。雪竇道。爾若以手摸身用作手眼堪作何用。於是大悲話上。直是未在。所以道。是何埃壒兮忽生。那箇毫釐兮未止。雪竇自謂作家。一時拂迹了也。爭奈後面依舊漏逗說箇諭子。依前只在圈繢裏。
新字:遍身是 通身是 拈来猶較十万里展翅鵬騰六合雲搏風鼓蕩四溟水是何埃壒兮忽生 那箇毫釐兮未止君不見 網珠垂範影重重棒頭手眼従何起咄 壒遍身是通身是。若道背手摸枕子底便是。以手摸身底便是。若作恁麼見解。尽向鬼窟裏作活計。畢竟遍身通身都不是。若要以情識去見他大悲話。直是猶較十万里。雪竇弄得一句活道。拈来猶較十万里。後句頌雲巖道吾奇特処云。展翅鵬騰六合雲。搏風鼓蕩四溟水。大鵬呑竜以翼搏風鼓浪。其水開三千里。遂取竜呑之。雪竇道。爾若大鵬能搏風鼓浪。也太殺雄壮。若以大悲千手眼観之。只是些子塵埃忽生相似。又似一毫釐風吹未止相似。雪竇道。爾若以手摸身用作手眼堪作何用。於是大悲話上。直是未在。所以道。是何埃壒兮忽生。那箇毫釐兮未止。雪竇自謂作家。一時払迹了也。争奈後面依旧漏逗説箇諭子。依前只在圏繢裏。
書き下し
遍身是、通身是、拈じ来れば猶ほ較たること十万里。翅を展べて鵬は騰る六合の雲、風を搏ち鼓蕩す四溟の水。是れ何の埃壒か忽ち生ずる、那箇の毫釐か未だ止まざる。君見ずや、網珠垂範して影重重、棒頭の手眼何れより起こる。咄。〔壒〕遍身是、通身是。若し手を背にして枕子を摸る底を便ち是なりと道ひ、手を以て身を摸る底を便ち是なりと道はば、若し恁麼の見解を作さば、尽く鬼窟裏に向つて活計を作す。畢竟遍身も通身も都て是ならず。若し情識を以て去いて他の大悲の話を見んと要せば、直に是れ猶ほ較たること十万里。雪竇一句の活道を弄し得て、拈じ来れば猶ほ較たること十万里と。後の句は雲巌・道吾の奇特の処を頌して云く、「翅を展べて鵬は騰る六合の雲、風を搏ち鼓蕩す四溟の水」と。大鵬は龍を呑むに、翼を以て風を搏ち浪を鼓し、其の水開くこと三千里、遂に龍を取つて之を呑む。雪竇道ふ、爾若し大鵬の能く風を搏ち浪を鼓するが如きは、也た太殺だ雄壮なり。若し大悲の千手眼を以て之を観れば、只だ是れ些子の塵埃の忽ち生ずるに相似たり。又た一毫釐の風吹いて未だ止まざるに似て相似たり。雪竇道ふ、爾若し手を以て身を摸りて用ゐて手眼と作さば、何の用にか作すに堪へん。是に於て大悲の話上に、直に是れ未在なり。所以に道ふ、「是れ何の埃壒か忽ち生ずる、那箇の毫釐か未だ止まざる」と。雪竇自ら作家と謂ひ、一時に迹を払ひ了る。争奈せん、後面依旧として漏逗し、箇の諭子を説いて、依前として只だ圏繢裏に在ることを。
現代語訳
体じゅうがそれだ、体まるごとがそれだ。取り上げてみれば、なお十万里も隔たっている。翼を広げて大鵬は天地四方の雲を突き上がり、風を打って四方の海の水を揺り動かす。なんの塵が急に立ったのか、どの毛筋ほどの風がまだやまないのか。君は知らないか、帝釈の網の珠が手本を垂れて影が幾重にも映り合う。棒の先の手と眼はどこから起こるのか。咄。(壒)体じゅうがそれだ、体まるごとがそれだ、とは、もし手を後ろに回して枕を探るのがそれだと言い、手で身をなでるのがそれだと言うなら、そんな見方をするなら、みな鬼の洞窟の中で暮らしを立てているのだ。結局、遍身も通身もどちらも正しくはない。もし感情や分別で大悲の話を見ようとするなら、まさになお十万里も隔たっている。雪竇は一句の活きた言葉を自在に操って、「取り上げてみれば、なお十万里も隔たっている」と言った。後の句は、雲巌と道吾の見事な処を頌して「翼を広げて大鵬は天地四方の雲を突き上がり、風を打って四方の海の水を揺り動かす」と言う。大鵬が龍を呑む時は、翼で風を打ち波を揺り動かし、その水が三千里も開くと、龍をつかんで呑む。雪竇は言う。大鵬が風を打ち波を揺り動かすようなことができても、それはずいぶん雄壮ではある。しかし大悲の千の手と眼から見れば、それはほんのわずかな塵が急に立ったようなもの、また毛筋ほどの風が吹いてまだやまないようなものにすぎない。雪竇は言う、もし手で身をなでてそれを手眼とするなら、何の役に立とうか。大悲の話の上では、まだまだ届いていない、と。だから「なんの塵が急に立ったのか、どの毛筋ほどの風がまだやまないのか」と言うのである。雪竇は自ら手練れを任じて、一度に足跡を払ってしまった。だが惜しいことに、後の句ではやはりほころびを見せてたとえ話を説き、相変わらず罠の中にいるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第八十九則且く道へ、遍身是なる底が是か、通身是なる底が是か。爛泥に似たりと雖も却つて脱灑なり。如今の人、多く去いて情解を作して道ふ、「遍身底は是ならず、通身底は是なり」と。只管に他の古人の言句を咬み、古人の言下に於て死し了る。殊に知らず、古人の意は言句上に在らず、此れ皆な是れ事已むことを獲ずして之を用ゐることを。如今注脚を下し、格を立てて則ち道ふ、「若し此の公案を透得せば、便ち罷参の会を作す」と。手を以て渾身を摸り、灯籠露柱を摸りて、尽く通身の話の会を作す。若し恁麼に会せば、他の古人を壊ること少なからず。所以に道ふ、他は活句に参じて死句に参ぜずと。須らく是れ情塵意想を絶し、浄裸裸、赤灑灑地にして、方に大悲の話を見得す可し。見ずや、曹山、僧に問ふ、「物に応じて形を現ずること水中の月の如き時如何」。僧云く、「驢の井を覰るが如し」。山云く、「道ふことは即ち殺だ道へども、只だ八成を道ひ得たり」。僧云く、「和尚又た作麼生」。山云く、「井の驢を覷るが如し」。便ち此の意に同じ。爾若し語上に去いて見ば、総に道吾・雲巌の圏繢を出で得ず。雪竇は作家、更に句下に向つて死せず、直に頭上に向つて行く。頌に云く、
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『碧巌録』第八十九則雪竇は帝網珠を以て、事事無礙法界を垂示す。然も六相の義甚だ明白なり。即総即別、即同即異、即成即壊、一相を挙ぐれば則ち六相俱に該ぬ。但だ衆生日に用ゐて知らざるが為なり。雪竇、帝網明珠を拈じて範を垂れ、此の大悲の話に況ふ。直に是れ此の如し。爾若し善く能く此の珠網の中に向つて拄杖子を明らめ得て、神通妙用、出入無礙ならば、方に手眼を見得す可し。所以に雪竇云く、「棒頭の手眼何れより起こる」と。爾をして棒頭に証を取り、喝下に承当せしむ。只だ徳山の入門便棒の如き、且く道へ、手眼什麼の処にか在る。臨済の入門便喝、且く道へ、手眼什麼の処にか在る。且く道へ、雪竇末後に什麼と為てか更に箇の咄の字を著くる。参ぜよ。
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『碧巌録』第四十二則「雪団打、雪団打、龐老の機関把るべき没し」。雪竇は居士の頭上に在つて行かんことを要す。古人雪を以て一色辺の事を明かす。雪竇の意に道ふ、当時若し雪団を握つて打たば、居士縦ひ如何なる機関有るも、亦た搆へ得難しと。雪竇自ら他の打処を誇る。殊に知らず落節の処有ることを。「天上人間自ら知らず、眼裏耳裏絶えて瀟灑」。眼裏も也た是れ雪、耳裏も也た是れ雪、正に一色辺に住在す。亦た之を普賢境界一色辺の事と謂ひ、亦た之を打成一片と謂ふ。雲門道ふ、「直に尽乾坤大地、繊毫の過患無きことを得るも、猶ほ転句と為す。一色を見ざる、始めて是れ半提。若し全提を要せば、須らく向上の一路有ることを知りて始めて得べし」。這裏に到つて須らく是れ大用現前して、針箚せども入らず、他人の処分を聴かざるべし。所以に道ふ、「他は活句に参じて、死句に参ぜず」。古人道ふ、「一句合頭の語、万劫の繋驢橛」。什麼の用処か有らん。雪竇此に到つて頌殺し了つて、復た機を転じて道ふ、「只だ此の瀟灑絶、直饒是れ碧眼の胡僧も也た弁別し難し」。碧眼の胡僧すら尚ほ弁別し難し、更に山僧をして箇の什麼をか説かしめん。
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『碧巌録』第六十五則雪竇道ふ、「明鏡忽ち台に臨めば、当下に妍醜を分かつ」と。這箇は曾て動著せず、只だ箇の良久を消ふるのみ。明鏡の台に臨むが如く相似て、万象其の形質を逃るること能はず。外道云く、「世尊大慈大悲、我が迷雲を開き、我をして得入せしむ」と。且く道へ是れ什麼の処か是れ外道の入処。這裏に到りては、須らく是れ箇箇自ら参じ自ら究め、自ら悟り自ら会して始めて得べし。便ち一切処に於いて、行住坐臥、高低を問はず、一時に現成して、更に一絲毫をも移易せず。纔かに計較を作し、一絲毫の道理有れば、即ち人を礙塞殺して、更に入作の分無し。後面に世尊の「大慈大悲、我が迷雲を開き、我をして得入せしむ」を頌して、「当下忽然として妍醜を分かつ。妍醜分かれて迷雲開く、慈門何れの処にか塵埃を生ぜん」と。尽大地は是れ世尊大慈大悲の門戸なり。爾若し透得せば一揑をも消ひず。此れ亦是れ放開底の門戸なり。見ずや、世尊三七日の中に於いて是くの如き事を思惟す、「我寧ろ法を説かず、疾く涅槃に入らん」と。「因みに思ふ良馬の鞭影を窺ふことを、千里の追風喚べば回り得」。追風の馬は鞭影を見て便ち千里を過ぐ。回らしむれば即ち回る。雪竇の意は他を賞して道ふ、「若し俊流を得ば、方に一撥に便ち転じ、一喚に便ち回るべし」と。若し喚べば回り得ば、便ち指を鳴らすこと三下。且く道へ是れ点破か、是れ撒沙か。
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『碧巌録』第二十則雪竇復た拈じて云く、這の老漢也た未だ勦絶することを得ず。復た一頌を成す。盧公付し了りて亦た何をか憑まん、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよ。堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるに、遠山限り無く碧層層。盧公付し了りて亦た何をか憑まん。何の憑拠か有る。直に須らく這裏に向かつて恁麼に会し去るべし。更に株を守りて兎を待つこと莫かれ。髑髏前に一時に打破して、一点の事の胸中に在る無く、放ちて灑灑落落地ならしむ。又何ぞ必ずしも憑むことを要せん。或いは坐し或いは倚る、仏法の道理を作すことを消ひず。所以に道ふ、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよと。雪竇一時に拈じ了れり。他に箇の転身の処有り、末後に自ら箇の消息を露はす。些子の好き処有りて道ふ、堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるにと。且く道へ、雪竇の意什麼の処にか在る。暮雲帰りて合せんと欲して未だ合せざる時、爾道へ作麼生。遠山限り無く碧層層。旧に依りて鬼窟裏に打入し去る。這裏に到りて得失是非、一時に坐断して灑灑落落たらば、始めて些子に較れり。遠山限り無く碧層層。且く道へ、是れ文殊の境界か、是れ普賢の境界か、是れ観音の境界か。此に到りて且く道へ、是れ什麼人の分上の事ぞ。
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『碧巌録』第十則人の虎頭に騎るが如きは、須らく是れ手中に刀有り、兼ねて転変有つて始めて得べし。雪竇道ふ、「若し恁麼ならば、二り倶に瞎漢と成る」。雪竇は天に倚る長剣に似て、凜凜として全威あり。若し雪竇の意を会得せば、自然に千処万処一時に会せん。便ち見ん、他の雪竇の後面の頌は、只だ是れ注脚を下すのみなることを。又道ふ、「誰か瞎漢」。且く道へ、是れ賓家瞎か、是れ主家瞎か、是れ賓主一時に瞎なること莫しや。「拈じ来つて天下に人の与に看せしむ」、此れは是れ活処なり。雪竇一時に頌し了れり。什麼としてか却つて道ふ、「拈じ来つて天下に人の与に看せしむ」と。且く道へ、作麼生か看ん。眼を開くも也た著し、眼を合するも也た著す。還つて人の免れ得る有りや。
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