碧巌録 / 第八十七則
文殊一日。令善財去採藥云。不是藥者採將來。善財遍採。無不是藥。却來白云。無不是藥者。文殊云。是藥者採將來。善財乃拈一枝草。度與文殊。文殊提起示眾云。此藥亦能殺人。亦能活人。此藥病相治話。最難看。雲門室中尋常用接人。金鵝長老。一日訪雪竇。他是箇作家。乃臨濟下尊宿。與雪竇論此藥病相治話。一夜至天光。方能盡善。到這裏。學解思量計較。總使不著。雪竇後有頌送他道。藥病相治見最難。萬重關鎖太無端。金鵝道者來相訪。學海波瀾一夜乾。雪竇後面頌得最有工夫。他意亦在賓亦在主。自可見也。頌云。
新字:文殊一日。令善財去採薬云。不是薬者採将来。善財遍採。無不是薬。却来白云。無不是薬者。文殊云。是薬者採将来。善財乃拈一枝草。度与文殊。文殊提起示衆云。此薬亦能殺人。亦能活人。此薬病相治話。最難看。雲門室中尋常用接人。金鵝長老。一日訪雪竇。他是箇作家。乃臨済下尊宿。与雪竇論此薬病相治話。一夜至天光。方能尽善。到這裏。学解思量計較。総使不著。雪竇後有頌送他道。薬病相治見最難。万重関鎖太無端。金鵝道者来相訪。学海波瀾一夜乾。雪竇後面頌得最有工夫。他意亦在賓亦在主。自可見也。頌云。
書き下し
文殊一日、善財をして去いて薬を採らしめて云く、「是れ薬ならざる者を採り将ち来れ」。善財遍く採るに、是れ薬ならざるは無し。却り来つて白して云く、「是れ薬ならざる者無し」。文殊云く、「是れ薬なる者を採り将ち来れ」。善財乃ち一枝の草を拈じて文殊に度与す。文殊提起して衆に示して云く、「此の薬、亦た能く人を殺し、亦た能く人を活かす」。此の薬病相ひ治すの話、最も看難し。雲門室中に尋常用ゐて人に接す。金鵝長老、一日雪竇を訪ふ。他は是れ箇の作家、乃ち臨済下の尊宿なり。雪竇と此の薬病相治の話を論じ、一夜天光に至つて、方に能く善を尽くす。這裏に到つては、学解思量計較、総に使ひ著かず。雪竇後に頌有りて他を送りて道ふ、「薬病相ひ治すこと、見ること最も難し。万重の関鎖太だ端無し。金鵝の道者来りて相ひ訪ひ、学海の波瀾一夜にして乾く」と。雪竇後面に頌し得て最も工夫有り。他の意も亦た賓に在り亦た主に在り、自ら見る可し。頌に云く、
現代語訳
文殊がある日、善財に薬を採りに行かせて言った。「薬でないものを採ってこい」。善財はあまねく採って回ったが、薬でないものはなかった。戻ってきて「薬でないものはありません」と申し上げた。文殊は「では薬であるものを採ってこい」と言った。善財は一本の草を摘んで文殊に手渡した。文殊はそれを掲げて大衆に示して言った。「この薬は人を殺すこともでき、人を生かすこともできる」。この薬と病が互いに治め合うという話は、最も見抜きにくい。雲門は室内でいつもこれを用いて人を導いた。金鵝長老がある日、雪竇を訪ねた。彼は手練れで、臨済門下の尊宿である。雪竇とこの薬病相治の話を論じて、一晩じゅう夜明けまで語り合い、ようやく善を尽くすことができた。ここに至っては、学んだ理解も思い量りも計らいも、まったく役に立たない。雪竇は後に頌を作って彼を送った。「薬と病とが互いに治め合うこと、これを見るのが最も難しい。幾重もの関所の鎖がまことに果てしない。金鵝の道者が訪ねてきて、学問の海の波は一夜で干上がった」。雪竇は後の頌で最も工夫を凝らしている。その意は客にもあり主にもあることが、おのずと見えるだろう。頌に言う。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第八十七則雲門道ふ、「薬病相ひ治す。尽大地是れ薬、那箇か是れ自己」と。諸人還た出身の処有りや。二六時中、管取す壁立千仞なることを。徳山の棒は雨点の如く、臨済の喝は雷の奔るに似たることは則ち且く致く。釈迦は自ら釈迦、弥勒は自ら弥勒。未だ落処を知らざる者は、往往に喚んで薬病相投ずと作して会し去る。世尊四十九年、三百余会、機に応じて教を設く、皆な是れ病に応じて薬を与ふ。蜜果を将て苦葫蘆に換ふるが如くに相似たり。既に汝諸人の業根を淘ひ、灑灑落落たらしむ。尽大地是れ薬、爾什麼の処に向つてか嘴を插まん。若し嘴を插み得ば、爾に転身吐気の処有ることを許し、便ち親しく雲門を見ん。爾若し回顧躊躇せば、管取す嘴を插み得ざることを。雲門は爾が脚跟底に在り。薬病相ひ治すとは、也た只だ是れ尋常の語論なり。爾若し有に著せば、爾が与に無を説き、爾若し無に著せば、爾が与に有を説き、爾若し不有不無に著せば、爾が与に糞掃堆上に去いて丈六の金身を現じ、頭出頭没す。只だ如今の尽大地、森羅万象、乃至自己の如き、一時に是れ薬なり。恁麼の時に当たつて、却つて那箇をか喚んで是れ自己と作す。爾一向に喚んで薬と作さば、弥勒仏下生するも、也た未だ雲門を夢見ざること在り。畢竟如何。鉤頭の意を識取せよ、定盤星を認むること莫れ。
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『碧巌録』第八十七則挙す。雲門、衆に示して云く、「薬病相ひ治す。尽大地是れ薬、那箇か是れ自己」。〔治〕
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『碧巌録』第八十七則尽大地是れ薬、古今何ぞ太だ錯れる。門を閉ぢて車を造らず、通途自ら寥廓たり。錯、錯。鼻孔遼天、亦た穿却す。尽大地是れ薬、古今何ぞ太だ錯れる。爾若し喚んで薬と作して会せば、古より今に至るまで、一時に錯り了れり。雪竇云く、「有般の漢、太梅の脚跟を截断することを解せず、只管に道ふ、程を貪ること太だ速しと」。他は雲門の脚跟を截つことを解す。雲門の這の一句、天下の人を惑乱するが為なり。雲門云く、「拄杖子是れ浪、爾に七縦八横を許す。尽大地是れ浪、爾が頭出頭没を看ん」と。門を閉ぢて車を造らず、通途自ら寥廓たり。雪竇道ふ、爾が為に一線の路を通ず。爾若し門を閉ぢて車を造り、門を出でて轍に合はば、箇の甚事をか済さん。我が這裏は門を閉ぢて也た車を造らず、門を出づれば自然に寥廓たり。他は這裏に略ぼ些子の縫罅を露はして人をして見せしめ、又た連忙に却つて道ふ、「錯、錯」と。前頭も也た錯、後頭も也た錯。誰か知らん、雪竇一線の路を開くも也た是れ錯なることを。既然に鼻孔遼天ならば、什麼と為てか也た穿却す。会せんと要すや。且く参ずること三十年。爾に拄杖子有らば、我れ爾に拄杖子を与へん。爾若し拄杖子無くんば、人に鼻孔を穿却せらるることを免れず。
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『碧巌録』第七十四則雪竇云く、「然も此の如くなりと雖も、金牛は是れ好心にあらず」と。只だ這の一句、多少の人か錯つて会す。所謂醍醐の上味は世の珍とする所なるも、斯等の人に遇へば、翻つて毒薬と成る。金牛既に是れ落草して人の為にす、雪竇什麼の為にか道ふ、好心にあらずと。什麼に因つてか却つて恁麼に道ふ。衲僧家は須らく是れ生機有つて始めて得べし。今人、古人の田地に到らず、只管に道ふ、「什麼の心をか見ん、什麼の仏か有らん」と。若し這の見解を作さば、金牛老作家を壊却し了らん。須らく是れ子細に看て始めて得べし。若し只だ今日明日、口快きこと些子ならば、了期有ること無し。後来、長慶上堂す。僧問ふ、「古人道ふ、『菩薩子、飯を喫し来たれ』と。意旨如何」。慶云く、「大いに斎に因つて慶讃するに似たり」と。尊宿家、忒殺だ慈悲にして、漏逗少なからず。是なることは則ち是なり、斎に因つて慶讃す。爾且く道へ、箇の什麼をか慶讃する。看よ他の雪竇頌して云く、
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『碧巌録』第八十八則玄沙、参じて情塵意想を絶し、浄裸裸、赤灑灑地なる処に到つて、方に恁麼に道ふことを解す。是の時諸方、列刹相ひ望む。尋常衆に示して道ふ、「諸方の老宿、尽く接物利生と道ふ。忽ち三種の病人の来るに遇ふ時、作麼生か接せん。患盲の者は、鎚を拈じ払を竪つるも他又た見ず。患聾の者は、語言三昧も他又た聞かず。患啞の者は、他をして説かしむるも又た説き得ず。且く作麼生か接せん。若し此の人を接し得ずんば、仏法に霊験無し」と。如今の人、若し盲聾瘖啞の会を作さば、卒に摸索不著ならん。所以に道ふ、「句中に向つて死却すること莫れ」と。須らく是れ他の玄沙の意を会して始めて得べし。玄沙常に此の語を以て人に接す。僧有り、久しく玄沙の処に在り。一日上堂す。僧、和尚に問うて云く、「三種病人の話、還た学人の道理を説くことを許すや也た無しや」。玄沙云く、「許す」。僧便ち珍重して下り去る。沙云く、「不是、不是」。這の僧は他の玄沙の意を会得す。後来法眼云く、「我れ地蔵和尚の這の僧の語を挙するを聞いて、方に三種病人の話を会す」と。若し這の僧会せずと道はば、法眼什麼と為てか却つて恁麼に道ふ。若し他会すと道はば、玄沙什麼と為てか却つて「不是、不是」と道ふ。一日地蔵道ふ、「某甲聞く、和尚に三種病人の話有りと、是なりや否や」。沙云く、「是なり」。蔵云く、「珪琛、現に眼耳鼻舌有り、和尚作麼生か接せん」。玄沙便ち休し去る。若し玄沙の意を会得せば、豈に言句上に在らんや。他の会する底は自然に殊別なり。
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『碧巌録』第八十四則疾に毘耶離に臥すとは、維摩、疾を毘耶離城に示すなり。唐の時、王玄策、西域に使ひして其の居を過ぎり、遂に手板を以て縦横に其の室を量るに十笏を得たり。因つて方丈と名づく。全身太だ枯槁すとは、因つて身疾を以て広く為に法を説いて云く、「是の身は無常、無強、無力、無堅にして、速やかに朽つるの法なり、信ず可からず。苦と為り悩と為り、衆病の集まる所なり。乃至陰界入の共に合成する所なり」と。七仏の祖師来るとは、文殊は是れ七仏の祖師、世尊の旨を承けて彼に往いて疾を問ふ。一室且く頻りに掃ふとは、方丈の内皆な所有を除去し、唯だ一榻を留めて文殊の至るを等ち、不二法門を請問するなり。所以に雪竇道ふ、「不二の門を請問す、当時便ち靠倒す」と。維摩、口匾檐に似たり。如今の禅和子便ち道ふ、「無語是れ靠倒なり」と。且く錯つて定盤星を認むること莫れ。雪竇拶して万仞の懸崖の上に到り、却つて云く、「靠倒せず」と。一手は擡げ一手は搦ふ。他に這般の手脚有り、直に是れ用ひ得て玲瓏なり。此れは前面に拈じて云ふ「維摩、什麼をか道ふ」を頌す。金毛の獅子討ぬるに処無し。但だ当時のみに非ず、即今も也た恁麼なり。還た維摩老を見るや。尽山河大地、草木叢林、皆な変じて金毛の獅子と作るも、也た摸索不著なり。
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