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碧巌録 / 第八十五則

古人暫時間拈弄。豈有勝負得失是非等見。桐峯見臨濟。其時在深山卓庵。這僧到彼中遂問。這裏忽逢大蟲時又作麼生。峯便作虎聲。也好就事便行。這僧也會將錯就錯。便作怕勢。庵主呵呵大笑。僧云。這老賊。峯云。爭奈老僧何。是則是二俱不了。千古之下遭人點檢。所以雪竇道。是則是兩箇惡賊。只解掩耳偷鈴。他二人雖皆是賊。當機却不用。所以掩耳偷鈴。此二老如排百萬軍陣。却只鬪掃箒。若論此事。須是殺人不眨眼底手脚。若一向縱而不擒。一向殺而不活。不免遭人怪笑。雖然如是。他古人亦無許多事。看他兩箇恁麼。總是見機而作。五祖道。神通遊戲三昧。慧炬三昧。莊嚴王三昧。自是後人脚跟不點地。只去點檢古人便道。有得有失。有底道。分明是庵主落節。且得沒交涉。雪竇道。他二人相見皆有放過處。其僧道。這裏忽逢大蟲時又作麼生。峯便作虎聲。此便是放過處。乃至道。爭奈老僧何。此亦是放過處。著著落在第二機。雪竇道。要用便用。如今人聞恁麼道。便道當時好與行令。且莫盲枷瞎棒。只如德山入門便棒。臨濟入門便喝。且道古人意如何。雪竇後面。便只如此頌出。且道畢竟作麼生免得掩耳偷鈴去。頌云。

新字:古人暫時間拈弄。豈有勝負得失是非等見。桐峯見臨済。其時在深山卓庵。這僧到彼中遂問。這裏忽逢大虫時又作麼生。峯便作虎声。也好就事便行。這僧也会将錯就錯。便作怕勢。庵主呵呵大笑。僧云。這老賊。峯云。争奈老僧何。是則是二倶不了。千古之下遭人点検。所以雪竇道。是則是両箇悪賊。只解掩耳偸鈴。他二人雖皆是賊。当機却不用。所以掩耳偸鈴。此二老如排百万軍陣。却只闘掃箒。若論此事。須是殺人不眨眼底手脚。若一向縦而不擒。一向殺而不活。不免遭人怪笑。雖然如是。他古人亦無許多事。看他両箇恁麼。総是見機而作。五祖道。神通遊戯三昧。慧炬三昧。荘厳王三昧。自是後人脚跟不点地。只去点検古人便道。有得有失。有底道。分明是庵主落節。且得没交渉。雪竇道。他二人相見皆有放過処。其僧道。這裏忽逢大虫時又作麼生。峯便作虎声。此便是放過処。乃至道。争奈老僧何。此亦是放過処。著著落在第二機。雪竇道。要用便用。如今人聞恁麼道。便道当時好与行令。且莫盲枷瞎棒。只如徳山入門便棒。臨済入門便喝。且道古人意如何。雪竇後面。便只如此頌出。且道畢竟作麼生免得掩耳偸鈴去。頌云。

書き下し

古人暫時間の拈弄、豈に勝負得失是非等の見有らんや。桐峯は臨済に見ゆ。其の時深山に在りて庵を卓つ。這の僧、彼の中に到つて遂に問ふ、「這裏にて忽ち大虫に逢ふ時、又た作麼生」。峯便ち虎声を作す。也た好し、事に就いて便ち行ず。這の僧も也た錯を将て錯に就くことを会して、便ち怕るる勢を作す。庵主呵呵大笑す。僧云く、「這の老賊」。峯云く、「老僧を争奈何せん」。是なることは則ち是なれども、二俱に了ぜず、千古の下、人の点検に遭ふ。所以に雪竇道ふ、「是なることは則ち是なれども、両箇の悪賊、只だ耳を掩ひて鈴を偷むことを解するのみ」と。他の二人皆な是れ賊なりと雖も、機に当たつて却つて用ゐず、所以に耳を掩ひて鈴を偷む。此の二老、百万の軍陣を排べて、却つて只だ掃箒を闘はすが如し。若し此の事を論ぜば、須らく是れ人を殺して眼を眨かざる底の手脚なるべし。若し一向に縦して擒へず、一向に殺して活かさずんば、人の怪笑に遭ふことを免れず。然も是の如くなりと雖も、他の古人も亦た許多の事無し。看よ他の両箇の恁麼なる、総に是れ機を見て作す。五祖道ふ、「神通遊戯三昧、慧炬三昧、荘厳王三昧」と。自ら是れ後人脚跟地に点かず、只だ去いて古人を点検して便ち道ふ、得有り失有りと。有る底は道ふ、分明に是れ庵主節を落すと。且く没交渉なることを得たり。雪竇道ふ、他の二人相見するに皆な放過の処有りと。其の僧道ふ、「這裏にて忽ち大虫に逢ふ時、又た作麼生」と。峯便ち虎声を作す。此れ便ち是れ放過の処なり。乃至「老僧を争奈何せん」と道ふ、此れも亦た是れ放過の処なり。著著第二機に落在す。雪竇道ふ、用ゐんと要せば便ち用ゐよと。如今の人、恁麼に道ふを聞いて、便ち道ふ、当時好し与に令を行ずべしと。且く盲枷瞎棒すること莫れ。只だ徳山の入門便棒、臨済の入門便喝の如き、且く道へ、古人の意如何。雪竇後面に便ち只だ此の如く頌出す。且く道へ、畢竟作麼生か耳を掩ひて鈴を偷むことを免れ得去らん。頌に云く、

現代語訳

古人がしばし取り上げてもてあそぶ時に、勝ち負けや得失・是非などの見方があるはずがない。桐峯は臨済に参じた人で、その時深い山に庵を構えていた。この僧がそこへ来て問うた。「ここでいきなり虎に出くわしたら、どうなさいますか」。桐峯はすぐ虎の声をあげた。それも良い、事に即してすぐ行じたのだ。この僧も誤りを誤りのまま受けて乗ることを心得て、すぐ怖がるそぶりをした。庵主は呵々大笑した。僧は「この老いぼれ泥棒め」と言った。桐峯は「わしをどうしようというのか」と言った。それはそれで良いが、二人とも決着がつかず、千年の後まで人に咎められる。だから雪竇は「それはそれでよいが、二人とも大泥棒のくせに、耳をふさいで鈴を盗むことしか知らない」と言った。二人とも泥棒ではあるが、肝心の機に臨んで用いなかった。だから耳をふさいで鈴を盗むのである。この二人の老人は、百万の軍勢を並べておきながら、ただ箒で叩き合っているようなものだ。この事を論じるなら、人を殺してもまばたきしないほどの腕前でなければならない。ひたすら放つばかりで捕らえず、ひたすら殺すばかりで生かさないなら、人に笑われるのを免れない。そうではあるが、古人にもそれほどの事はない。見よ、この二人がこうしたのは、すべて機を見て行ったのである。五祖は「神通遊戯三昧、慧炬三昧、荘厳王三昧」と言った。後の人が自分の足が地に着いていないから、ただ古人を咎めて、得があった失があったと言うのである。ある者は、明らかに庵主がしくじったのだと言うが、まるで見当違いである。雪竇は、二人の出会いにはどちらにも見逃した処があると言う。僧が「ここでいきなり虎に出くわしたら、どうなさいますか」と言い、桐峯が虎の声をあげた。ここが見逃した処である。また「わしをどうしようというのか」と言ったのも見逃した処である。一手一手が第二の機に落ちている。雪竇は、用いるべき時にはすぐ用いよと言うのだ。いまの人はこう聞くと、すぐ「あの時、命令を下せばよかった」と言う。めくら滅法に枷をはめ棒を振るってはならない。徳山は門を入るなり棒で打ち、臨済は門を入るなり喝を浴びせたが、さあ言ってみよ、古人の意はどうか。雪竇は後に、ただこのように頌に出した。さあ言ってみよ、結局どうすれば耳をふさいで鈴を盗むことを免れられるか。頌に言う。

解説

圜悟の本則評唱の後半である。古人の戯れに勝負得失の見方はないと前置きしつつ、桐峯と僧はどちらも機に臨んで用いず、百万の軍を並べて箒で叩き合うようなものだったと評する。虎の声をあげた処も、わしをどうすると返した処も、相手を見逃した処であり、一手一手が第二の機に落ちている。ただし圜悟は、だから棒や喝で打てばよかったと短絡するのを盲枷瞎棒として戒める。放つだけでも殺すだけでもない、機を見た用い方が要る。部下を叱るか見逃すかに迷う上司にとっても、型ではなく機を見よという指摘は重い。

この章句が説くこと

公案放行把住機鋒桐峯第二機

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