碧巌録 / 第七十八則
長連床上展脚臥 夢中曾說悟圓通香水洗來驀面唾。了事衲僧消一箇。且道了得箇什麼事。作家禪客。聊聞舉著。剔起便行。似恁麼衲僧。只消得一箇。何用成群作隊。長連床上展脚臥。古人道。明明無悟法。悟了却迷人。長舒兩脚睡。無偽亦無真。所以胸中無一事。飢來喫飯困來眠。雪竇意道。爾若說入浴悟得妙觸宣明。在這般無事衲僧分上。只似夢中說夢。所以道。夢中曾說悟圓通。香水洗來驀面唾。似恁麼只是惡水驀頭澆。更說箇什麼圓通。雪竇道似這般漢。正好驀頭驀面唾。山僧道土上加泥又一重。
新字:長連床上展脚臥 夢中曽説悟円通香水洗来驀面唾。了事衲僧消一箇。且道了得箇什麼事。作家禅客。聊聞舉著。剔起便行。似恁麼衲僧。只消得一箇。何用成群作隊。長連床上展脚臥。古人道。明明無悟法。悟了却迷人。長舒両脚睡。無偽亦無真。所以胸中無一事。飢来喫飯困来眠。雪竇意道。爾若説入浴悟得妙触宣明。在這般無事衲僧分上。只似夢中説夢。所以道。夢中曽説悟円通。香水洗来驀面唾。似恁麼只是悪水驀頭澆。更説箇什麼円通。雪竇道似這般漢。正好驀頭驀面唾。山僧道土上加泥又一重。
書き下し
「長連床上に脚を展べて臥す、夢中に曾て円通を悟ると説く。香水に洗ひ来たらば驀面に唾せん」。了事の衲僧、一箇を消ゐる。且く道へ、箇の什麼の事をか了得する。作家の禅客は、聊か挙著するを聞いて、剔起して便ち行く。恁麼なる衲僧に似たるは、只だ一箇を消ゐ得て、何ぞ群を成し隊を作すことを用ゐん。長連床上に脚を展べて臥す。古人道ふ、「明明として悟法無し、悟り了れば却つて人を迷はす。長く両脚を舒べて睡る、偽無く亦た真無し」と。所以に胸中に一事無く、飢ゑ来たれば飯を喫し、困じ来たれば眠る。雪竇の意に道ふ、爾若し入浴して妙触宣明を悟得すと説かば、這般の無事の衲僧の分上に在つては、只だ夢中に夢を説くに似たり。所以に道ふ、「夢中に曾て円通を悟ると説く」と。香水に洗ひ来たらば驀面に唾せん。恁麼なるに似たるは、只だ是れ悪水を驀頭に澆ぐ、更に箇の什麼の円通をか説かん。雪竇道ふ、這般の漢に似たるは、正に好し驀頭驀面に唾せんと。山僧道ふ、土上に泥を加へて又た一重。
現代語訳
「長い連なりの床の上で脚を伸ばして寝転ぶ、夢の中でかつて円通を悟ったと説く。香水で洗い流して来たなら、その顔にまともに唾を吐きかけよう」。「事を了えた禅僧は、一人いれば足りる」。さて言ってみよ、いったい何の事を了えたのか。練達の禅客は、少し取り上げるのを聞いただけで、さっと身を起こして行ってしまう。このような禅僧なら、ただ一人いれば足り、群れをなし隊を組む必要などない。「長い連なりの床の上で脚を伸ばして寝転ぶ」。古人は「はっきりと悟るべき法などない。悟ってしまえばかえって人を迷わせる。両脚を長く伸ばして眠れば、偽もなく真もない」と言った。だから胸中に一事もなく、腹が減れば飯を食い、疲れたら眠るのである。雪竇の意は、おまえがもし入浴して妙触宣明を悟ったと説くなら、こうした無事の禅僧から見れば、ただ夢の中で夢を説くようなものだということだ。だから「夢の中でかつて円通を悟ったと説く」と言う。「香水で洗い流して来たなら、その顔にまともに唾を吐きかけよう」。このような者は、ただ汚い水を頭からかぶせるだけで、さらに何の円通を説くことがあろうか。雪竇は、こういう男にはまさに頭から顔からまともに唾を吐きかけるのがよい、と言う。わたしは言う、土の上に泥を加えて、さらにもう一重だ。
解説
この章句が説くこと
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『碧巌録』第七十八則如今の人も亦た入浴し亦た水を洗ひ、也た恁麼に触る。甚に因つてか却つて悟らざる。皆塵境に惑障せられ、皮に粘り骨に著く。所以に便ち惺惺として去ること能はず。若し這裏に向かつて、洗ふも亦た無所得、触るるも亦た無所得、水因も亦た無所得ならば、且く道へ、是れ妙触宣明か、是れ妙触宣明にあらざるか。若し箇裏に向かつて直下に見得せば、便ち是れ妙触宣明、成仏子住なり。如今の人も亦た触る、還た妙処を見るや。妙触は常の触にあらず、触者と合すれば則ち触と為し、離るれば則ち非なり。玄沙、嶺を過ぎて脚の指頭を磕著し、以て徳山の棒に至るまで、豈に是れ妙触にあらずや。恁麼なりと雖然も、也た須らく是れ七穿八穴して始めて得べし。若し只だ身上に向かつて摸索せば、什麼の交渉か有らん。爾若し七穿八穴し去らば、何ぞ入浴することを須ゐん。便ち一毫端上に於て宝王刹を現じ、微塵裏に向かつて大法輪を転ぜん。一処透り得れば、千処万処一時に透る。只だ一窠一窟を守ること莫れ。一切処は都て是れ観音入理の門なり。古人も亦た声を聞いて道を悟り、色を見て心を明らむる有り。若し一人悟り去らば、則ち故より是なり。甚に因つてか十六開士、同時に悟り去る。是の故に古人は同じく修し同じく証し、同じく悟り同じく解す。雪竇は他の教意を拈じて、人をして妙触の処に去つて会取せしめ、他の教眼を出でて頌し、人の教網裏に去つて籠罩せられ半醉半醒なることを免れ得しめ、人をして直下に灑灑落落たらしめんことを要す。頌に云く、「了事の衲僧、一箇を消ゐる」。
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『碧巌録』第七十八則楞厳会上に、跋陀婆羅菩薩、十六開士と与に各おの梵行を修し、乃ち各おの証する所の円通法門の因を説く。此れも亦た二十五円通の一数なり。他は浴僧の時に因つて、例に随つて入浴し、忽ち水因を悟つて云く、「既に塵を洗はず、亦た体を洗はず」と。且く道へ、箇の什麼をか洗ふ。若し会得し去らば、中間安然として、無所有を得ん。千箇万箇も、更に近傍し得ず。所謂無所得を以て是れ真般若とす、若し所得有らば、是れ相似の般若なり。見ずや達磨、二祖に謂つて云く、「心を将ち来たれ、汝が与に安んぜん」。二祖云く、「心を覓むるに了に不可得なり」。這裏の些子、是れ衲僧の性命の根本なり。更に総に如許多の葛藤を消ゐず、只だ箇の「忽ち水因を悟る」と道ふことを消ゐて、自然に了当す。既に塵を洗はず、亦た体を洗はず、且く道へ、箇の什麼をか悟る。這般の田地に到つては、一点も也た著け得ず。箇の仏の字を道ふも、也た須らく諱却すべし。他は道ふ、「妙触宣明、成仏子住」と。宣は則ち是れ顕なり、妙触は是れ明なり。既に妙触を悟つて仏子住を成す、即ち仏地に住するなり。
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『碧巌録』第二則雪竇余才有り、所以に分開して結裹し算へ来る。也た只だ是れ頭上に頭を安くのみ。道ふ、「至道無難、言端語端、一に多種有り、二に両般無し」。許多の事無しと雖も、天際日上る時月便ち下り、檻前山深き時水便ち寒し。這裏に到つて、言も也た端、語も也た端、頭頭是れ道、物物全く真なり。豈に是れ心境倶に忘じ、打成一片する処にあらずや。雪竇頭上太だ孤峻生、末後也た漏逗すること少なからず。若し参得透し見得徹せば、自然に醍醐の上味の如くに相似たらん。若し是れ情解未だ忘ぜずんば、便ち七花八裂を見ん。決定して此の如きの説話を会すること能はじ。
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『碧巌録』第四十二則「雪団打、雪団打、龐老の機関把るべき没し」。雪竇は居士の頭上に在つて行かんことを要す。古人雪を以て一色辺の事を明かす。雪竇の意に道ふ、当時若し雪団を握つて打たば、居士縦ひ如何なる機関有るも、亦た搆へ得難しと。雪竇自ら他の打処を誇る。殊に知らず落節の処有ることを。「天上人間自ら知らず、眼裏耳裏絶えて瀟灑」。眼裏も也た是れ雪、耳裏も也た是れ雪、正に一色辺に住在す。亦た之を普賢境界一色辺の事と謂ひ、亦た之を打成一片と謂ふ。雲門道ふ、「直に尽乾坤大地、繊毫の過患無きことを得るも、猶ほ転句と為す。一色を見ざる、始めて是れ半提。若し全提を要せば、須らく向上の一路有ることを知りて始めて得べし」。這裏に到つて須らく是れ大用現前して、針箚せども入らず、他人の処分を聴かざるべし。所以に道ふ、「他は活句に参じて、死句に参ぜず」。古人道ふ、「一句合頭の語、万劫の繋驢橛」。什麼の用処か有らん。雪竇此に到つて頌殺し了つて、復た機を転じて道ふ、「只だ此の瀟灑絶、直饒是れ碧眼の胡僧も也た弁別し難し」。碧眼の胡僧すら尚ほ弁別し難し、更に山僧をして箇の什麼をか説かしめん。
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『碧巌録』第一則且く道へ、達磨什麼の処にか在る。若し達磨を見ば、便ち雪竇末後人の為にする処を見ん。雪竇人の情見を逐はんことを恐怕るる、所以に関捩子を撥転して、自己の見解を出して云く、「相憶ふことを休めよ、清風地に匝くして何の極まりか有らん」。既に相憶ふことを休めば、爾が脚跟下の事、又作麼生。雪竇道ふ、即今箇裏匝地の清風、天上天下何の極まる所か有らん。雪竇千古万古の事を拈じて、面前に抛向す。止だ雪竇当時何の極まりか有るのみに非ず、爾諸人の分上も亦た何の極まりか有らん。他又人の這裏に執在せんことを怕れて、再び方便を著けて高声に云く、「這裏に還た祖師有りや」。自ら云く、「有り」。雪竇這裏に到つて、妨げず人の為にすることを、赤心片片たり。又自ら云く、「喚び来つて老僧の与に脚を洗はしめん」。太殺だ人の威光を減ず。当時也た好し、本分の手脚を与へんには。且く道へ、雪竇の意什麼の処にか在る。這裏に到つて、喚んで驢と作すも則ち是、喚んで馬と作すも則ち是、喚んで祖師と作すも則ち是。如何が名邈せん。往往に喚んで雪竇祖師を使ひ去ると作す。且喜すらくは没交渉。且く道へ、畢竟作麼生。只だ老胡の知ることを許して、老胡の会することを許さず。
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『碧巌録』第四十則南泉は小睡語、雪竇は大睡語。夢を作すと雖然も、却つて箇の好夢を作し得たり。前頭には一体を説き、這裏には不同を説く。聞見覚知一一に非ず、山河は鏡中に在りて観ず。若し鏡中に在りて観じて、然る後に方に曉了すと道はば、則ち鏡処を離れず。山河大地、草木叢林、鏡を将て鑑みること莫れ。若し鏡を将て鑑みれば、便ち両段と為る。但だ只だ山は是れ山、水は是れ水なるべし。法は法位に住して、世間の相常住なり。山河は鏡中に在りて観ず、且く道へ、什麼の処に向いてか観ん。還た会すや。這裏に到りて、霜天月落ちて夜将に半ばならんとするに向いて、這辺は爾が与に打併し了れり、那辺は爾自ら相度れ。還た雪竇の本分の事を以て人の為にすることを知るや。誰と共にか澄潭影を照らして寒き。為復自ら照らすか、為復人と共に照らすか。須らく是れ機を絶し解を絶して、方に這の境界に到るべし。即今も也た澄潭を要せず、也た霜天月落を待たず。即今作麼生。
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