碧巌録 / 第七十三則
馬駒踏殺天下人。西天般若多羅。讖達磨云。震旦雖闊無別路。要假兒孫脚下行。金雞解銜一粒粟。供養十方羅漢僧。又六祖謂讓和尚曰。向後佛法。從汝邊去。已後出一馬駒。踏殺天下人。厥後江西法嗣。布於天下。時號馬祖焉。達磨六祖。皆先讖馬祖。看他作略。果然別。只道藏頭白海頭黑。便見踏殺天下人處。只這一句黑白語千人萬人咬不破。
新字:馬駒踏殺天下人。西天般若多羅。讖達磨云。震旦雖闊無別路。要仮児孫脚下行。金鶏解銜一粒粟。供養十方羅漢僧。又六祖謂譲和尚曰。向後仏法。従汝辺去。已後出一馬駒。踏殺天下人。厥後江西法嗣。布於天下。時号馬祖焉。達磨六祖。皆先讖馬祖。看他作略。果然別。只道蔵頭白海頭黒。便見踏殺天下人処。只這一句黒白語千人万人咬不破。
書き下し
馬駒、天下の人を踏殺す。西天の般若多羅、達磨に讖して云く、「震旦闊しと雖も別路無し、児孫の脚下を仮つて行かんことを要す。金雞解く一粒の粟を銜んで、十方の羅漢僧に供養す」と。又た六祖、譲和尚に謂つて曰く、「向後の仏法、汝が辺より去らん。已後一馬駒を出だして、天下の人を踏殺せん」と。厥の後、江西の法嗣、天下に布く。時に馬祖と号す。達磨・六祖、皆先に馬祖を讖す。看よ他の作略、果然として別なり。只だ「蔵頭は白く海頭は黒し」と道ふ、便ち天下の人を踏殺する処を見る。只だ這の一句の黒白の語、千人万人咬めども破れず。
現代語訳
「馬の子が天下の人を踏み殺す」。西天の般若多羅が達磨に予言して言った。「中国は広いといっても別の道はない、子孫の足を借りて行かねばならない。金の鶏がよく一粒の粟をくわえて、十方の羅漢僧に供養する」。また六祖が南岳懐譲和尚に言った。「今後の仏法は、おまえのところから出ていくだろう。のちに一頭の馬の子を出して、天下の人を踏み殺すだろう」。その後、江西の法を嗣ぐ者が天下に広がった。当時これを馬祖と呼んだ。達磨も六祖も、みな前もって馬祖を予言していたのである。見よ、そのやり口は果たして格別である。ただ「智蔵の頭は白く懐海の頭は黒い」と言っただけで、天下の人を踏み殺すところが見える。ただこの一句の白黒の言葉は、千人万人がかんでもかみ破れない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第七十三則挙す。僧、馬大師に問ふ、「四句を離れ百非を絶して、請ふ師、某甲に西来の意を直指せよ」。馬師云く、「我れ今日労倦す、汝が為に説くこと能はず。智蔵に問取し去れ」。僧、智蔵に問ふ。蔵云く、「何ぞ和尚に問はざる」。僧云く、「和尚、来たつて問はしむ」。蔵云く、「我れ今日頭痛す、汝が為に説くこと能はず。海兄に問取し去れ」。僧、海兄に問ふ。海云く、「我れ這裏に到つて却つて会せず」。僧、馬大師に挙似す。馬師云く、「蔵頭は白く、海頭は黒し」。
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『碧巌録』第七十三則「蔵頭は白く海頭は黒し、明眼の衲僧も会し得ず。馬駒、天下の人を踏殺す、臨済も未だ是れ白拈賊ならず。四句を離れ百非を絶す、天上人間、唯だ我のみ知る」。蔵頭は白く海頭は黒し。且く道へ、意作麼生。這些子、天下の衲僧跳り出でず。看よ他の雪竇、後面に合殺すること得て好し。道ふ、直饒ひ是れ明眼の衲僧も、也た会し得ずと。這箇些子の消息、之を神仙の秘訣、父子も伝へずと謂ふ。釈迦老子、一代時教を説いて、末後に単に心印を伝ふ。喚んで金剛王宝剣と作し、喚んで正位と作す。恁麼の葛藤、早く是れ事已むことを獲ず。古人略ぼ些子の鋒鋩を露はす。若し是れ透り得る底の人ならば、便乃ち七穿八穴して、大自在を得ん。若し透り得ずんば、従前悟入の処無く、転た説けば転た遠し。
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『碧巌録』第七十三則更に去つて智蔵に問はしむ。殊に知らず、馬大師の来風深く辨ずることを。這の僧懞懂として、走り去つて智蔵に問ふ。蔵云く、「何ぞ和尚に問はざる」。僧云く、「和尚、来たつて問はしむ」。看よ他の這些子、拶著すれば便ち転じて、更に閑暇の処無し。智蔵云く、「我れ今日頭痛す、汝が為に説き得ること能はず。海兄に問取し去れ」。這の僧又た去つて海兄に問ふ。海兄云く、「我れ這裏に到つて却つて会せず」。且く道へ、什麼の為にか一人は頭痛と道ひ、一人は会せずと云ふ。畢竟作麼生。這の僧却回し来たつて、馬大師に挙似す。師云く、「蔵頭は白く、海頭は黒し」。若し解路を以て卜度せば、却つて之を相瞞と謂ふ。有る者は道ふ、「只だ是れ相推過す」と。有る者は道ふ、「三箇総に他の問頭を識る、所以に答へず」と。総に是れ拍盲地なり。一時に古人の醍醐の上味を将て、毒薬を裏許に著く。所以に馬祖道ふ、「汝が一口に西江の水を吸尽するを待つて、即ち汝に向かつて道はん」と。此の公案と一般なり。若し蔵頭白く海頭黒きを会得せば、便ち西江の水の話を会せん。
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『碧巌録』第二十六則祖域に交馳す天馬駒、化門の舒巻途を同じくせず。電光石火に機変を存す、笑ふに堪へたり人の来たって虎鬚を捋づることを。雪竇見得して透り、方に乃ち頌出す。天馬駒は日に千里を行き、横行竪走、奔驟すること飛ぶが如くにして、方に天馬駒と名づく。雪竇は百丈を頌す、祖域の中に於て、東に走り西に向かひ、西に走り東に向かひ、一来一往、七縦八横、殊に少しの礙げも無く、天馬駒の如くに相似たり、善く能く交馳して、方に自由の処を見ると。這箇は自ら是れ他の馬祖の大機大用を得たり。見ずや、僧、馬祖に問ふ、「如何なるか是れ仏法の大意」。祖便ち打って云く、「我若し爾を打たずんば、天下の人我を笑ひ去らん」。又問ふ、「如何なるか是れ祖師西来の意」。祖云く、「近前し来たれ、爾に向かって道はん」。僧近前す。祖、耳を劈いて便ち掌して云く、「六耳謀を同じくせず」。看よ他の恁麼に大自在を得たるを。建化門の中に於て、或いは巻き或いは舒ぶ。有る時は舒ぶるも巻く処に在らず、有る時は巻くも舒ぶる処に在らず、有る時は巻舒倶に在らず。所以に道ふ、「塗を同じくして轍を同じくせず」と。此れ百丈に這般の手脚有るを頌す。雪竇道ふ、「電光石火に機変を存す」と。這の僧の石火を撃つが如く閃電光に似て、只だ些子の機変の処に在るを頌す。巌頭道ふ、「物を却くるを上と為し、物を逐ふを下と為す」と。若し戦を論ぜば、箇箇転処に立在す。雪竇道ふ、「機輪曾て未だ転ぜず、転ずれば必ず両頭に走る」と。若し転じ得ずんば、什麼の用処か有らん。大丈夫漢は、也た須らく是れ些子の機変を識って始めて得べし。如今の人は只管に他に款を供して、他に鼻孔を穿却せらる、什麼の了期か有らん。這の僧は電光石火の中に於て、能く機変を存して、便ち礼拝す。雪竇道ふ、「笑ふに堪へたり人の来たって虎鬚を捋づることを」と。百丈は一箇の大虫に似て相似たり。笑ふに堪へたり這の僧の去って虎鬚を捋づることを。
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『碧巌録』第七十三則這の僧、一檐の懞懂を将て、箇の不安楽を換へ得たり。更に他の三人の尊宿を労して、泥に入り水に入らしむ。畢竟這の僧瞥地せず。一たび恁麼なりと雖然も、這の三箇の宗師、却つて箇の担板漢に勘破せらる。如今の人は只管に語言上に去つて活計を作して云く、「白は是れ明頭合、黒は是れ暗頭合」と。只管に鑽研計較して、殊に知らず、古人の一句、意根を截断することを。須らく是れ正脈裏に向かつて自ら看て、始めて穏当なることを得べし。所以に道ふ、「末後の一句、始めて牢関に到る。要津を把断して、凡聖を通ぜず」と。若し此の事を論ぜば、門に当たつて一口の剣を按ずるが如くに相似たり、擬議すれば則ち身を喪ひ命を失ふ。又た道ふ、「譬へば剣を擲つて空に揮ふが如し、及ぶと及ばざるとを論ずること莫れ」と。但だ八面玲瓏の処に向かつて会取せよ。見ずや古人道ふ、「這の漆桶」と、或いは云く「野狐精」と、或いは云く「瞎漢」と。且く道へ、一棒一喝と、是れ同か是れ別か。若し千差万別も只だ是れ一般なることを知らば、自然に八面に敵を受けん。蔵頭白く海頭黒きを会せんと要すや。五祖先師道ふ、「封后先生」と。雪竇頌して云く、
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『碧巌録』第三則馬大師不安。院主問ふ、「和尚近日尊候如何」。大師云く、「日面仏、月面仏」。祖師若し本分の事を以て相見せずんば、如何ぞ此の道の光輝を得ん。此箇の公案、若し落処を知らば、便ち丹霄に独歩せん。若し落処を知らずんば、往往に枯木巌前に路を差へ去ること在らん。若し是れ本分の人這裏に到らば、須らく是れ耕夫の牛を駆り、飢人の食を奪ふ底の手脚有つて、方に馬大師の人の為にする処を見るべし。如今多く人有りて道ふ、「馬大師院主を接す」と。且喜すらくは没交渉。如今衆中多く錯り会して、眼を瞠つて云く、「這裏に在り。左眼は是れ日面、右眼は是れ月面」と。什麼の交渉か有らん。驢年にも未だ夢にも見ざること在らん。只管に古人の事を蹉過す。只如へば馬大師此の如く道ふ、意什麼の処にか在る。有る底は云く、「平胃散一盞を点じ来れ」と。什麼の巴鼻か有らん。這裏に到つて、作麼生か平穏なることを得去らん。所以に道ふ、「向上の一路、千聖も伝へず。学者形を労すること猿の影を捉ふるが如し」。只だ這の日面仏月面仏、極めて是れ見難し。雪竇此に到つて、亦た是れ頌し難し。却つて他の見得透するが為に、平生の工夫を用ひ尽して、他を指注す。諸人雪竇を見んと要すや。下文を看取せよ。
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