碧巌録 / 第三則
馬大師不安。院主問。和尚近日尊候如何。大師云日面佛月面佛。祖師若不以本分事相見。如何得此道光輝。此箇公案。若知落處便獨步丹霄。若不知落處。往往枯木巖前差路去在。若是本分人到這裏。須是有驅耕夫之牛。奪飢人之食底手脚。方見馬大師為人處。如今多有人道。馬大師接院主。且喜沒交涉。如今眾中多錯會瞠眼云。在這裏。左眼是日面。右眼是月面。有什麼交涉。驢年未夢見在。只管蹉過古人事。只如馬大師如此道。意在什麼處。有底云。點平胃散一盞來。有什麼巴鼻。到這裏。作麼生得平穩去。所以道。向上一路千聖不傳。學者勞形如猿捉影。只這日面佛月面佛。極是難見。雪竇到此。亦是難頌。却為他見得透。用盡平生工夫。指注他。諸人要見雪竇麼。看取下文。
新字:馬大師不安。院主問。和尚近日尊候如何。大師云日面仏月面仏。祖師若不以本分事相見。如何得此道光輝。此箇公案。若知落処便独歩丹霄。若不知落処。往往枯木巖前差路去在。若是本分人到這裏。須是有駆耕夫之牛。奪飢人之食底手脚。方見馬大師為人処。如今多有人道。馬大師接院主。且喜没交渉。如今衆中多錯会瞠眼云。在這裏。左眼是日面。右眼是月面。有什麼交渉。驢年未夢見在。只管蹉過古人事。只如馬大師如此道。意在什麼処。有底云。点平胃散一盞来。有什麼巴鼻。到這裏。作麼生得平穏去。所以道。向上一路千聖不伝。学者労形如猿捉影。只這日面仏月面仏。極是難見。雪竇到此。亦是難頌。却為他見得透。用尽平生工夫。指注他。諸人要見雪竇麼。看取下文。
書き下し
馬大師不安。院主問ふ、「和尚近日尊候如何」。大師云く、「日面仏、月面仏」。祖師若し本分の事を以て相見せずんば、如何ぞ此の道の光輝を得ん。此箇の公案、若し落処を知らば、便ち丹霄に独歩せん。若し落処を知らずんば、往往に枯木巌前に路を差へ去ること在らん。若し是れ本分の人這裏に到らば、須らく是れ耕夫の牛を駆り、飢人の食を奪ふ底の手脚有つて、方に馬大師の人の為にする処を見るべし。如今多く人有りて道ふ、「馬大師院主を接す」と。且喜すらくは没交渉。如今衆中多く錯り会して、眼を瞠つて云く、「這裏に在り。左眼は是れ日面、右眼は是れ月面」と。什麼の交渉か有らん。驢年にも未だ夢にも見ざること在らん。只管に古人の事を蹉過す。只如へば馬大師此の如く道ふ、意什麼の処にか在る。有る底は云く、「平胃散一盞を点じ来れ」と。什麼の巴鼻か有らん。這裏に到つて、作麼生か平穏なることを得去らん。所以に道ふ、「向上の一路、千聖も伝へず。学者形を労すること猿の影を捉ふるが如し」。只だ這の日面仏月面仏、極めて是れ見難し。雪竇此に到つて、亦た是れ頌し難し。却つて他の見得透するが為に、平生の工夫を用ひ尽して、他を指注す。諸人雪竇を見んと要すや。下文を看取せよ。
現代語訳
馬祖大師が病に伏していた。院主が問うた。「和尚さま、近ごろお加減はいかがですか」。大師は言った。「日面仏、月面仏」。祖師がもし本分の事によって相見しなかったなら、どうしてこの道の輝きを得られようか。この公案は、もし落ち着きどころを知れば、大空を独り歩くことができる。もし知らなければ、たいてい枯れ木の岩の前で道を誤るだろう。もし本分の人がここに至ったなら、農夫の牛を追い立て、飢えた人の食を奪うほどの手並みがあってこそ、馬大師の人のためにするところが見える。今、多くの人は「馬大師は院主を導いたのだ」と言う。まったく見当違いである。今、修行者の多くは誤解して、目をむいて「ここにある。左目が日面、右目が月面だ」と言う。何の関わりがあろうか。驢馬の年になっても夢にも見られまい。ひたすら古人の事を取り違えている。では、馬大師がこのように言った意はどこにあるのか。ある者は「胃薬を一杯点てて持って来い、ということだ」と言う。何の手がかりがあろうか。ここに至って、どうすれば穏やかに落ち着けるのか。だから「向上の一路は、千人の聖者も伝えない。学ぶ者が身を労するのは、猿が水に映る月影を捉えようとするようなものだ」と言うのである。ただこの日面仏月面仏は、極めて見がたい。雪竇もここに至っては頌しがたかった。だがかえって彼は見て透っていたので、平生の工夫を尽くしてこれに注をつけた。お前たちは雪竇を見たいか。下の文をよく見よ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第三則挙す。馬大師不安。院主問ふ、「和尚近日尊候如何」。大師云く、「日面仏、月面仏」。
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『碧巌録』第三則垂示に云く、一機一境、一言一句、且く箇の入処有らんことを図る、好肉上に瘡を剜り、窠を成し窟を成す。大用現前して軌則を存せず、且く向上の事有ることを知らんことを図る、蓋天蓋地、又摸索不著。恁麼も也た得、不恁麼も也た得、太だ廉繊生。恁麼も也た得ず、不恁麼も也た得ず、太だ孤危生。二塗に渉らずして、如何なるか即ち是なる。請ふ試みに挙し看ん。
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『碧巌録』第三則神宗位に在る時、自ら此の頌国を諷すと謂ふ、所以に蔵に入るることを肯ぜず。雪竇先づ拈じて云く、「日面仏、月面仏」。一拈し了つて、却つて云く、「五帝三皇是れ何物ぞ」。且く道へ、他の意作麼生。適来已に説き了れり。直下に他を注す。所以に道ふ、「鉤を四海に垂れて、只だ獰龍を釣る」。只だ此の一句已に了る。後面に雪竇自ら他の平生用心参尋する所以を頌す。「二十年来曾て苦辛す、君が為に幾たびか蒼龍窟に下る」。箇の什麼にか似たる。一に人の蒼龍窟裏に入つて珠を取るに似て相似たり。後来漆桶を打破して、将に謂へり多少の奇特と。元来只だ箇の五帝三皇是れ何物ぞを消得するのみ。且く道へ、雪竇の語、什麼の処にか落在す。須らく是れ自家退歩して看て、方に始めて他の落処を見得すべし。
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『碧巌録』第三則日面仏、月面仏、五帝三皇是れ何物ぞ。二十年来曾て苦辛す、君が為に幾たびか蒼龍窟に下る。屈、述ぶるに堪へたり、明眼の衲僧も軽忽すること莫れ。
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『碧巌録』第十二則金烏急に、玉兎速やかなり。善く応じて何ぞ曾て軽触有らん。展事投機に洞山を見ば、跛鼈盲亀空谷に入る。花簇簇、錦簇簇。南地の竹、北地の木。因みに思ふ長慶と陸大夫と、解く道ふ、合に笑ふべし哭すべからずと。咦。雪竇見得て透る。所以に劈頭に便ち道ふ、金烏急に玉兎速やかなりと。洞山の麻三斤と答ふると、更に両般無し。日出で月没す、日日是の如し。人多く情解して、只管に道ふ、金烏は是れ左眼、玉兎は是れ右眼と。纔かに問著すれば便ち眼を瞠りて云く、這裏に在りと。什麼の交渉か有らん。若し恁麼に会せば、達磨の一宗、地を掃うて尽きん。
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『碧巌録』第八十六則自ら照らして孤明を列ね、君が為に一線を通ず。花謝して樹に影無し、看る時誰か見ざる。見るも見ず、倒に牛に騎つて仏殿に入る。自ら照らして孤明を列ぬとは、自家の脚跟下に本と此の一段の光明有り、只だ是れ尋常用ゐ得て暗し。所以に雲門大師、爾が与に此の光明を羅列して爾が面前に在らしむ。且く作麼生か是れ諸人の光明。厨庫三門。此れは是れ雲門の孤明を列ぬる処なり。盤山道ふ、「心月孤り円かにして、光万像を呑む」と。這箇便ち是れ真常独露なり。然る後に君が与に一線を通ず。亦た人の厨庫三門の処に著在せんことを怕る。厨庫三門は則ち且く従却す。朝花も亦た謝し、樹も亦た影無く、日も又た落ち、月も又た暗く、尽乾坤大地、黒漫漫地なり。諸人還た見るや。看る時誰か見ざる。且く道へ、是れ誰か見ざる。這裏に到つて、明中に当たつて暗有り、暗中に明有り、皆な前後の歩の如く自ら見る可し。雪竇道ふ、「見るも見ず」と。「好事も無きには如かず」を頌す。合に見るべくして又た見ず、合に明らかなるべくして又た明らかならず。倒に牛に騎つて仏殿に入る、黒漆桶裏に入り去るなり。須らく是れ爾自ら牛に騎つて仏殿に入り、看て道ふべし、是れ箇の什麼の道理ぞと。
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