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碧巌録 / 第六十三則

宗師家。看他一動一靜。一出一入。且道意旨如何。這斬猫兒話。天下叢林。商量浩浩地。有者道。提起處便是。有底道。在斬處。且得都沒交涉。他若不提起時。亦匝匝地作盡道理。殊不知。他古人。有定乾坤底眼。有定乾坤底劍。爾且道。畢竟是誰斬猫兒。只如南泉提起云。道得即不斬。當時忽有人道得。且道南泉斬不斬。所以道。正令當行十方坐斷。出頭天外看。誰是箇中人。其實當時元不斬。此話亦不在斬與不斬處。此事軒知。如此分明。不在情塵意見上討。若向情塵意見上討。則辜負南泉去。但向當鋒劍刃上看。是有也得無也得。不有不無也得。所以古人道。窮則變變則通。而今人不解變通。只管向語句上走。南泉恁麼提起。不可教人合下得甚語。只要教人自薦。各各自用自知。若不恁麼會。卒摸索不著。雪竇當頭頌云。

新字:宗師家。看他一動一静。一出一入。且道意旨如何。這斬猫児話。天下叢林。商量浩浩地。有者道。提起処便是。有底道。在斬処。且得都没交渉。他若不提起時。亦匝匝地作尽道理。殊不知。他古人。有定乾坤底眼。有定乾坤底剣。爾且道。畢竟是誰斬猫児。只如南泉提起云。道得即不斬。当時忽有人道得。且道南泉斬不斬。所以道。正令当行十方坐断。出頭天外看。誰是箇中人。其実当時元不斬。此話亦不在斬与不斬処。此事軒知。如此分明。不在情塵意見上討。若向情塵意見上討。則辜負南泉去。但向当鋒剣刃上看。是有也得無也得。不有不無也得。所以古人道。窮則変変則通。而今人不解変通。只管向語句上走。南泉恁麼提起。不可教人合下得甚語。只要教人自薦。各各自用自知。若不恁麼会。卒摸索不著。雪竇当頭頌云。

書き下し

宗師家、看よ他の一動一静、一出一入。且く道へ意旨如何。這の斬猫児の話、天下の叢林、商量浩浩地なり。有る者は道ふ、「提起する処便ち是なり」と。有る底は道ふ、「斬る処に在り」と。且く都て没交渉なることを得たり。他若し提起せざる時も、亦匝匝地に道理を作尽す。殊に知らず、他の古人、乾坤を定むる底の眼有り、乾坤を定むる底の剣有ることを。爾且く道へ、畢竟是れ誰か猫児を斬る。只だ南泉の提起して「道ひ得ば即ち斬らじ」と云ふが如き、当時忽ち人有りて道ひ得ば、且く道へ南泉斬るや斬らざるや。所以に道ふ、「正令当に行はるれば十方坐断す。頭を天外に出だして看よ、誰か是れ箇中の人ぞ」と。其の実、当時元より斬らず。此の話亦斬ると斬らざるとの処に在らず。此の事軒知、此の如く分明なり。情塵意見の上に討ねず。若し情塵意見の上に向かつて討ねば、則ち南泉に辜負し去らん。但だ当鋒剣刃上に向かつて看よ。是れ有も也た得、無も也た得、不有不無も也た得。所以に古人道ふ、「窮すれば変じ、変ずれば通ず」と。而今の人は変通を解せず、只管に語句上に向かつて走る。南泉恁麼に提起す、人をして合下に甚の語をか得せしむべからず。只だ人をして自ら薦め、各各自ら用ゐ自ら知らしめんことを要す。若し恁麼に会せずんば、卒に摸索不著ならん。雪竇当頭に頌して云く、

現代語訳

宗師の家風においては、彼の一動一静、一出一入を見よ。さて、その意図はどうか。この斬猫の話について、天下の叢林ではさかんに論議している。ある者は「つまみ上げたところがそれだ」と言い、ある者は「斬ったところにある」と言う。いずれもまったく関わりがない。南泉がつまみ上げなかったとしても、あれこれと理屈をこね尽くすだろう。まったく知らないのだ、あの古人には天地を定める眼があり、天地を定める剣があることを。さあ言ってみよ、結局、誰が猫を斬ったのか。南泉がつまみ上げて「言い得たなら斬らない」と言ったとき、もし誰かが言い得ていたら、さて南泉は斬ったか斬らなかったか。だから言う、「正しい命令が行われれば、十方を断ち切る。頭を天の外に出して見よ、誰がこの中の人か」と。実は、そのとき元より斬ってはいないのだ。この話はまた斬る・斬らないのところにもない。この事はこのようにはっきりしている。情や思いの塵の上に探してはならない。もし情や思いの上に探せば、南泉に背くことになる。ただ切っ先の刃の上で見よ。有でもよく、無でもよく、有でも無でもないのでもよい。だから古人は「窮まれば変じ、変ずれば通ず」と言う。今の人は変通を理解せず、ひたすら言葉の上を走り回る。南泉がこのようにつまみ上げたのは、人にその場でどんな言葉を言わせようとしたのでもない。ただ人に自ら気づかせ、各自が自ら用い自ら知るようにさせたかったのである。もしこのように会得しなければ、ついに手探りしても届かない。雪竇は正面から頌して言う。

解説

圜悟の評唱である。斬猫の話は叢林で盛んに論じられ、猫をつまみ上げた所に意があるとか、斬った所にあるとか言われるが、圜悟はどれも的外れだと退ける。南泉には天地を定める眼と剣があり、その実は「元より斬らず」、斬る斬らないの次元にこの話はないと言う。猫の生死をめぐる是非の議論そのものが、両堂の争いと同じ情塵意見だからである。南泉が求めたのは模範解答ではなく、各自が自ら気づき自ら用いることであった。事件の表面に議論が集中するとき、問われているのは自分の在り方だと気づけるかが肝要なのである。

この章句が説くこと

斬猫分別変通自覚南泉

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