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碧巌録 / 第六十三則

兩堂俱是杜禪和 撥動煙塵不柰何賴得南泉能舉令一刀兩段任偏頗頗兩堂俱是杜禪和。雪竇不向句下死。亦不認驢前馬後。有撥轉處。便道撥動煙塵不柰何。雪竇與南泉把手共行。一句說了也。兩堂首座。沒歇頭處。到處只管撥動煙塵。柰何不得。賴得南泉與他斷這公案。收得淨盡。他爭柰前不搆村後不迭店。所以道。賴得南泉能舉令。一刀兩段任偏頗。直下一刀兩段。更不管有偏頗。且道南泉據什麼令。

新字:両堂倶是杜禅和 撥動煙塵不柰何頼得南泉能舉令一刀両段任偏頗頗両堂倶是杜禅和。雪竇不向句下死。亦不認驢前馬後。有撥転処。便道撥動煙塵不柰何。雪竇与南泉把手共行。一句説了也。両堂首座。没歇頭処。到処只管撥動煙塵。柰何不得。頼得南泉与他断這公案。収得浄尽。他争柰前不搆村後不迭店。所以道。頼得南泉能舉令。一刀両段任偏頗。直下一刀両段。更不管有偏頗。且道南泉拠什麼令。

書き下し

両堂倶に是れ杜禅和、煙塵を撥動して奈何ともせず。頼ひに南泉の能く令を挙ぐるを得て、一刀両段、偏頗に任す。頗。「両堂倶に是れ杜禅和」、雪竇は句下に向かつて死せず、亦驢前馬後を認めず。撥転する処有り、便ち道ふ、「煙塵を撥動して奈何ともせず」と。雪竇と南泉と手を把りて共に行き、一句に説き了れり。両堂の首座、歇頭の処没く、到る処只管に煙塵を撥動して、奈何ともし得ず。頼ひに南泉の他が与に這の公案を断じ、收め得て浄尽するを得たり。他は争奈せん前は村に搆はず、後は店に迭ばざることを。所以に道ふ、「頼ひに南泉の能く令を挙ぐるを得て、一刀両段、偏頗に任す」と。直下に一刀両段、更に偏頗有ることを管せず。且く道へ南泉は什麼の令にか拠る。

現代語訳

東西両堂はどちらも、いいかげんな禅僧ばかり。煙や塵をかき立てるだけで、どうにもならない。幸いにも南泉が令を下すことができ、一刀のもとに両断して、偏るかどうかなどかまわなかった。頗。「両堂はどちらも、いいかげんな禅僧ばかり」。雪竇は句の下で死なず、また驢馬の前や馬の後ろに付き従うような真似を認めない。転じるところがあって、「煙や塵をかき立てるだけで、どうにもならない」と言う。雪竇と南泉は手を取り合って共に歩み、一句で言い尽くしてしまった。両堂の首座たちは、休むところもなく、至る所でひたすら煙や塵をかき立てて、どうにもできない。幸い南泉が彼らのためにこの一件を裁き、きれいに収めてくれた。だが彼らは、前には村もなく後には宿もないありさまをどうしようもない。だから言う、「幸いにも南泉が令を下すことができ、一刀のもとに両断して、偏るかどうかなどかまわなかった」と。ずばりと一刀両断し、偏りがあるかどうかなどまったく問題にしない。さて言ってみよ、南泉はどんな令によったのか。

解説

雪竇の頌と圜悟の評唱である。雪竇は両堂の僧を「杜禅和」、つまり形だけの禅僧と切り捨て、彼らは煙塵をかき立てるばかりでどうにもならなかったと詠う。そこへ南泉が令を挙げ、一刀両断して争いを裁いた。偏りがあろうとかまわない、という一句に、裁く者の決断の厳しさがある。圜悟は、雪竇と南泉は手を取り合って一句で言い尽くしたと称え、最後に南泉はいかなる令によったのかと問う。対立が長引くとき、全員を満足させようとすれば何も決まらない。偏りを恐れず断を下す覚悟が、場を収めるのである。

この章句が説くこと

一刀両断決断争い頌南泉

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