碧巌録 / 第六十則
古人道。一塵纔起。大地全收。且道是那箇一塵。若識得這一塵。便識得拄杖子。纔拈起拄杖子。便見縱橫妙用。恁麼說話。早是葛藤了也。何況更化為龍。慶藏主云。五千四十八卷。還曾有恁麼。說話麼。雲門每向拄杖處。拈掇全機大用。活潑潑地為人。芭蕉示眾云。衲僧巴鼻。盡在拄杖頭上。永嘉亦云。不是標形虛事褫。如來寶杖親蹤跡。如來昔於然燈佛時。布髮掩泥。以待彼佛。然燈曰。此處當建梵剎。時有一天子。遂標一莖草云。建梵剎竟。諸人且道。這箇消息。從那裏得來。祖師道。棒頭取證。喝下承當。且道承當箇什麼。忽有人問。如何是拄杖子。莫是打筋斗麼。莫是撫掌一下麼。總是弄精魂。且喜沒交涉。雪竇頌云 褫。
新字:古人道。一塵纔起。大地全収。且道是那箇一塵。若識得這一塵。便識得拄杖子。纔拈起拄杖子。便見縦横妙用。恁麼説話。早是葛藤了也。何況更化為竜。慶蔵主云。五千四十八巻。還曽有恁麼。説話麼。雲門毎向拄杖処。拈掇全機大用。活溌溌地為人。芭蕉示衆云。衲僧巴鼻。尽在拄杖頭上。永嘉亦云。不是標形虚事褫。如来宝杖親蹤跡。如来昔於然灯仏時。布髪掩泥。以待彼仏。然灯曰。此処当建梵刹。時有一天子。遂標一茎草云。建梵刹竟。諸人且道。這箇消息。従那裏得来。祖師道。棒頭取証。喝下承当。且道承当箇什麼。忽有人問。如何是拄杖子。莫是打筋斗麼。莫是撫掌一下麼。総是弄精魂。且喜没交渉。雪竇頌云 褫。
書き下し
古人道ふ、「一塵纔かに起これば、大地全く収まる」と。且く道へ、是れ那箇の一塵ぞ。若し這の一塵を識得せば、便ち拄杖子を識得せん。纔かに拄杖子を拈起すれば、便ち縦横の妙用を見る。恁麼に説話するも、早く是れ葛藤し了れり。何ぞ況んや更に化して竜と為るをや。慶蔵主云く、「五千四十八巻、還た曽て恁麼の説話有りや」。雲門毎に拄杖の処に向かつて全機大用を拈掇し、活潑潑地に人の為にす。芭蕉衆に示して云く、「衲僧の巴鼻、尽く拄杖頭上に在り」。永嘉も亦た云く、「是れ形を標して虚しく事褫するにあらず、如来の宝杖親しく蹤跡す」と。如来昔然灯仏の時に於て、髪を布いて泥を掩ひ、以て彼の仏を待つ。然灯曰く、「此の処に当に梵刹を建つべし」。時に一天子有り、遂に一茎草を標して云く、「梵刹を建て竟んぬ」。諸人且く道へ、這箇の消息、那裏より得来たる。祖師道ふ、「棒頭に証を取り、喝下に承当す」と。且く道へ、箇の什麼をか承当す。忽ち人有りて問ふ、「如何なるか是れ拄杖子」。打筋斗すること莫しや、撫掌一下すること莫しや。総に是れ精魂を弄す。且喜すらくは没交渉。雪竇頌して云く。
現代語訳
古人は「一つの塵がわずかに起これば、大地がまるごと収まる」と言った。さて言ってみよ、それはどの塵か。もしこの一つの塵を見て取れば、拄杖を見て取ることになる。拄杖を取り上げるやいなや、縦横自在の妙なるはたらきが見える。このように話すだけでも、すでに言葉のもつれである。ましてさらに竜と化すなどとは。慶蔵主は「五千四十八巻の経典に、かつてこのような話があったか」と言った。雲門はいつも拄杖のところで、はたらきの全体と大いなる用を取り上げ、生き生きと人のためにはかった。芭蕉は大衆に「禅僧の鼻づらの手がかりは、すべて拄杖の先にある」と示した。永嘉もまた「これは形を掲げただけの空しい飾りではない。如来の宝の杖そのものの足跡である」と言っている。如来はむかし然灯仏の時に、髪を敷いてぬかるみを覆い、その仏をお待ちした。然灯仏は「この場所に寺を建てるべきだ」と言った。そのとき一人の天子がいて、一本の草を立てて「寺を建て終わりました」と言った。諸君、さて言ってみよ、この消息はどこから得てきたのか。祖師は「棒の先で証をとり、喝のもとで引き受ける」と言った。さて言ってみよ、何を引き受けるのか。もし人が「拄杖とは何ですか」と問うたらどうするか。宙返りをしてみせるのではないか、手を一度たたいてみせるのではないか。それらはすべて精魂をもてあそぶことにすぎない。めでたいことに、まったく関わりがない。雪竇は頌していう。
解説
この章句が説くこと
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『碧巌録』第六十則只だ雲門の道ふが如き、「拄杖子化して竜と為り、乾坤を呑却し了れり。山河大地甚れの処よりか得来たる」。若し有りと道へば則ち瞎し、若し無しと道へば則ち死す。還た雲門の人の為にする処を見るや。我に拄杖子を還し来たれ。如今の人は他の雲門の独露の処を会せず、却つて道ふ、「色に即して心を明らめ、物に附して理を顕す」と。且く釈迦老子四十九年の説法の如き、此の議論を知らざるべからず。何が故ぞ、更に拈花を用ひ、迦葉微笑す。這の老漢便ち搽胡して道ふ、「吾に正法眼蔵涅槃妙心有り、摩訶大迦葉に分付す」と。更に何ぞ必ずしも心印を単伝せん。諸人既に是れ祖師門下の客、還た単伝底の心を明らめ得たりや。胸中若し一物有らば、山河大地、摐然として現前す。胸中若し一物無くんば、外は則ち了に糸毫も無し。什麼の理と智と冥し、境と神と会すとか説かん。何が故ぞ。一会一切会、一明一切明。長沙道ふ、「学道の人真を識らざるは、只だ従前より識神を認むるが為なり。無量劫来生死の本、癡人喚んで本来人と作す」と。忽若し陰界を打破せば、身心一如、身外に余り無きも、猶ほ未だ一半を得ざること在り。什麼の色に即して心を明らめ、物に附して理を顕すとか説かん。
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『碧巌録』第六十則挙す。雲門、拄杖を以て衆に示して云く、「拄杖子化して竜と為り、乾坤を呑却し了れり。山河大地甚れの処よりか得来たる」。
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『碧巌録』第六十則拄杖子乾坤を呑む、徒らに説く桃花浪奔ると。尾を焼く者は雲を拏み霧を攫むに在らず、腮を曝す者は何ぞ必ずしも胆を喪ひ魂を亡はん。拈じ了れり、聞くや聞かずや。直に須らく灑灑落落たるべし、休めよ更に紛紛紜紜たることを。七十二棒且く軽恕す、一百五十君を放ち難し。師驀に拄杖を拈じて下座す。大衆一時に走散す。
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『碧巌録』第二十五則且く爾諸人に問ふ、拄杖子は是れ衲僧の尋常用ふる底、什麼に因ってか却って途路に力を得ずと道ふ。古人此に到って住まることを肯ぜず。其の実、金屑貴しと雖も、眼に落つれば翳と成る。石室善道和尚、当時沙汰に遭ふ。常に拄杖を以て衆に示して云く、「過去の諸仏も也た恁麼、未来の諸仏も也た恁麼、現前の諸仏も也た恁麼」と。雪峰一日、僧堂の前に拄杖を拈じて衆に示して云く、「這箇は只だ中下根の人の為にす」。時に僧有り、出でて問うて云く、「忽ち上上の人の来たるに遇ふ時如何」。峰拄杖を拈じて便ち去る。雲門云く、「我は即ち雪峰の打破して狼籍なるに似ず」。僧問ふ、「未審し和尚如何」。雲門便ち打つ。大凡参問も也た許多の事無し。爾が外に山河大地有りと見、内に見聞覚知有りと見、上に諸仏の求むべき有りと見、下に衆生の度すべき有りと見るが為なり。直に須らく一時に吐却すべし。然る後、十二時中、行住坐臥、打して一片と成す。一毛頭上に在りと雖も、寛きこと大千沙界の若く、鑊湯炉炭の中に居すと雖も、安楽国土に在るが如く、七珍八宝の中に居すと雖も、茅茨蓬蒿の下に在るが如し。
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『碧巌録』第二十五則這般の事、若し是れ通方の作者ならば、古人の実処に到って、自然に力を費やさず。他人の他底を搆へ得る無きを見て、復た自ら徴して云く、「畢竟如何」。又奈何ともし得ず。自ら云く、「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」。這箇の意又作麼生。且く道へ、什麼の処を指して地頭と為す。妨げず句中に眼有り、言外に意有ることを。自ら起き自ら倒れ、自ら放ち自ら収む。豈に見ずや、厳陽尊者、路に一僧に逢ひ、拄杖を拈起して云く、「是れ什麼ぞ」。僧云く、「識らず」。厳云く、「一条の拄杖も也た識らず」。厳復た拄杖を以て地上に劄すること一下して云く、「還た識るや」。僧云く、「識らず」。厳云く、「土窟子も也た識らず」。厳復た拄杖を以て担って云く、「会すや」。僧云く、「会せず」。厳云く、「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」。古人這裏に到って、什麼と為てか住まることを肯ぜざる。雪竇頌有り、云く、「誰か機に当たって挙して賺かざる、亦還た希なり。峭峻を摧残し、玄微を銷鑠す。重関曾て巨いに闢く、作者未だ同じく帰せず。玉兎乍ち円かに乍ち欠け、金烏飛ぶに似て飛ばず。盧老知らず何れの処にか去る、白雲流水共に依依たり」。什麼に因ってか山僧道ふ、「脳後に腮を見ば、与に往来すること莫れ」と。纔かに計較を作さば、便ち是れ黒山鬼窟裏に活計を作す。若し見得して徹し、信得して及ばば、千人万人も自然に羅籠すれども住まらず、奈何ともし得ず。動著し拶著すれば、自然に殺有り活有り。雪竇他の意を会して「直に千峰万峰に入り去る」と道ふ、方に始めて頌を成す。落処を知らんと要せば、看取せよ雪竇の頌に云く。
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『碧巌録』第六十則雪竇の意に道ふ、既に額に点して回る、必ず胆を喪ひ魂を亡ふと。「拈じ了れり、聞くや聞かずや」。重ねて注脚を下し、一時に爾が与に掃蕩し了れり。諸人直に須らく灑灑落落として去るべし、休めよ更に紛紛紜紜たることを。爾若し更に紛紛紜紜たらば、拄杖子を失却し了らん。「七十二棒且く軽恕す」。雪竇爾が為に重きを捨てて軽きに従ふ。古人道ふ、「七十二棒、翻つて一百五十と成る」と。如今の人錯会して、却つて只だ数目を算じて、「合に是れ七十五棒なるべし、什麼としてか却つて只だ七十二棒なる」と。殊に知らず、古人の意は言外に在ることを。所以に道ふ、此の事は言句の中に在らずと。後人の去いて穿鑿することを免れしめんとして、雪竇所以に引用す。直饒ひ真箇に灑灑落落たるも、正に好し爾に七十二棒を与ふるに、猶ほ是れ軽恕なり。直饒ひ総て此の如くならずんば、「一百五十君を放ち難し」。一時に頌し了り、却つて更に拄杖を拈じて、重重に相為す。恁麼なりと雖も、也た一箇の皮下に血有るもの無し。嵎中の書隠、鼎めて圜悟の碧巌録を刊し、幸ひに已に事を訖ふ。四方の禅友、或いは祖庭事苑・万善同帰録及び禅宗の文字の、世に刊本罕なる者を収め得ば、幸ひに乞ふ示されよ、当に為に梓に繍し、以て禅学を広むべし。此れも亦た方便接引の一端なり。告ぐ、玉を舎つること毋くんば幸甚なり。稟白す。
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