碧巌録 / 第五十五則
道吾與漸源。至一家弔慰。源拍棺木云。生邪死邪。吾曰生也不道。死也不道。若向句下便入得。言下便知歸。只這便是透脫生死底關鍵。其或未然。往往當頭蹉過。看他古人行住坐臥。不妨以此事為念。纔至人家弔慰。漸源便拍棺問道吾云。生邪死邪。道吾不移易一絲毫。對他道。生也不道。死也不道。漸源當面蹉過。逐他語句走更云。為什麼不道。吾云。不道不道。吾可謂赤心片片。將錯就錯。源猶自不惺惺。回至中路又云。和尚快與某甲道。若不道。打和尚去也。這漢識什麼好惡。所謂好心不得好報。道吾依舊老婆心切更向他道。打即任打。道即不道。源便打。雖然如是。却是他贏得一籌。道吾恁麼血滴滴地為他。漸源得恁麼不瞥地。道吾既被他打。遂向漸源云。汝且去。恐院中知事探得。與爾作禍。密遣漸源出去。道吾忒殺傷慈。
新字:道吾与漸源。至一家弔慰。源拍棺木云。生邪死邪。吾曰生也不道。死也不道。若向句下便入得。言下便知帰。只這便是透脱生死底関鍵。其或未然。往往当頭蹉過。看他古人行住坐臥。不妨以此事為念。纔至人家弔慰。漸源便拍棺問道吾云。生邪死邪。道吾不移易一糸毫。対他道。生也不道。死也不道。漸源当面蹉過。逐他語句走更云。為什麼不道。吾云。不道不道。吾可謂赤心片片。将錯就錯。源猶自不惺惺。回至中路又云。和尚快与某甲道。若不道。打和尚去也。這漢識什麼好悪。所謂好心不得好報。道吾依旧老婆心切更向他道。打即任打。道即不道。源便打。雖然如是。却是他贏得一籌。道吾恁麼血滴滴地為他。漸源得恁麼不瞥地。道吾既被他打。遂向漸源云。汝且去。恐院中知事探得。与爾作禍。密遣漸源出去。道吾忒殺傷慈。
書き下し
道吾、漸源と一家に至つて弔慰す。源、棺木を拍つて云く、「生か死か」。吾曰く、「生とも道はじ、死とも道はじ」。若し句下に向かつて便ち入得し、言下に便ち帰を知らば、只だ這れ便ち是れ生死を透脱する底の関鍵なり。其れ或いは未だ然らずんば、往往に当頭に蹉過せん。看よ他の古人、行住坐臥、妨げず此の事を以て念と為すことを。纔かに人家に至つて弔慰するや、漸源便ち棺を拍つて道吾に問うて云く、「生か死か」。道吾一糸毫をも移易せず、他に対して道ふ、「生とも道はじ、死とも道はじ」。漸源当面に蹉過し、他の語句を逐うて走り、更に云く、「什麼としてか道はざる」。吾云く、「道はじ、道はじ」。吾は赤心片片、錯を将つて錯に就くと謂ひつべし。源猶自ほ惺惺ならず、回つて中路に至り又た云く、「和尚快かに某甲が与に道へ。若し道はずんば、和尚を打ち去らん」。這の漢、什麼の好悪をか識らん。所謂好心も好報を得ず。道吾依旧として老婆心切に、更に他に向かつて道ふ、「打つことは即ち打つに任す、道ふことは即ち道はじ」。源便ち打つ。是の如くなりと雖も、却つて是れ他一籌を贏ち得たり。道吾恁麼に血滴滴地に他の為にするに、漸源恁麼に不瞥地なることを得たり。道吾既に他に打たれ、遂に漸源に向かつて云く、「汝且く去れ。恐らくは院中の知事探り得て、爾が与に禍を作さん」と。密かに漸源を遣はして出で去らしむ。道吾忒殺だ慈を傷る。
現代語訳
道吾が漸源とともにある家に弔問に行った。漸源は棺をたたいて「生ですか、死ですか」と問うた。道吾は「生とも言わぬ、死とも言わぬ」と言った。もしこの句のもとですぐに入り得て、言葉のもとで帰るところを知れば、これこそが生死を透り抜ける鍵である。もしまだそうでなければ、しばしばまともに取り違えてしまう。見よ、古人は行住坐臥、いつもこの事を心にかけていた。人の家に弔問に行くやいなや、漸源はすぐに棺をたたいて道吾に「生ですか、死ですか」と問うた。道吾は少しも動かず、彼に対して「生とも言わぬ、死とも言わぬ」と言った。漸源は面と向かって取り違え、その言葉を追いかけてさらに「なぜ言ってくださらないのですか」と言った。道吾は「言わぬ、言わぬ」と言った。道吾はまごころをすっかりさらけ出し、誤りを承知で誤りに付き合ってやったと言えよう。漸源はそれでもなお目覚めず、帰り道の途中でまた「和尚、早くわたくしに言ってください。言わないなら、和尚を打ちますよ」と言った。この男は善し悪しもわきまえていない。いわゆる好意が報われないというものだ。道吾は相変わらず老婆のような親切心で、さらに彼に「打つなら打つがよい。言うことは言わぬ」と言った。漸源はそこで打った。そうではあるが、かえって道吾のほうが一点を勝ち取ったのである。道吾がこれほど血をしたたらせるように彼のためにはかったのに、漸源はこのように気づかないままであった。道吾は彼に打たれたあと、漸源に「お前はひとまず去れ。寺の知事が探り知ったら、お前に災いが及ぶかもしれない」と言って、ひそかに漸源を寺から出してやった。道吾はあまりにも慈悲が過ぎる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第五十五則挙す。道吾、漸源と一家に至つて弔慰す。源、棺を拍つて云く、「生か死か」。吾云く、「生とも道はじ、死とも道はじ」。源云く、「什麼としてか道はざる」。吾云く、「道はじ、道はじ」。回つて中路に至り、源云く、「和尚快かに某甲が与に道へ。若し道はずんば、和尚を打ち去らん」。吾云く、「打つことは即ち打つに任す、道ふことは即ち道はじ」。源便ち打つ。後に道吾遷化す。源、石霜に到つて前話を挙似す。霜云く、「生とも道はじ、死とも道はじ」。源云く、「什麼としてか道はざる」。霜云く、「道はじ、道はじ」。源、言下に於て省有り。源一日、鍬子を将つて、法堂上に於て、東より西に過ぎ、西より東に過ぐ。霜云く、「什麼をか作す」。源云く、「先師の霊骨を覓む」。霜云く、「洪波浩渺、白浪滔天、什麼の先師の霊骨をか覓めん」。雪竇著語して云く、「蒼天、蒼天」。源云く、「正に好し力を著くるに」。太原孚云く、「先師の霊骨猶ほ在り」。
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『碧巌録』第五十五則漸源、後に石霜に到つて前話を挙す。石霜依前として云く、「生とも道はじ、死とも道はじ」。源云く、「什麼としてか道はざる」。霜云く、「道はじ、道はじ」。他便ち悟り去る。一日、鍬子を将つて、法堂上に於て、東より西に過ぎ、西より東に過ぐ。意は己が見解を呈せんと欲す。霜果たして問うて云く、「什麼をか作す」。源云く、「先師の霊骨を覓む」。霜便ち他の脚跟を截断して云く、「我が這裏、洪波浩渺、白浪滔天、什麼の先師の霊骨をか覓めん」。他既に是れ先師の霊骨を覓む、石霜什麼としてか却つて恁麼に道ふ。這裏に到つて、若し「生とも道はじ、死とも道はじ」の処に於て言下に薦得せば、方に始めより終はりに至るまで全機受用なることを知らん。爾若し道理を作して擬議尋思せば、直に是れ見難し。漸源云く、「正に好し力を著くるに」。看よ他の悟後、道ひ得て自然に奇特なることを。道吾の一片の頂骨は金色の如く、撃つ時銅声を作す。雪竇著語して云く、「蒼天、蒼天」。其の意、両辺に落在す。太原孚云く、「先師の霊骨猶ほ在り」。自然に道ひ得て穏当なり。這の一落索、一時に拈じて一辺に向かつて著く。且く道へ、作麼生か是れ省要の処、作麼生か是れ力を著くる処。見ずや道ふ、「一処透れば千処万処一時に透る」と。若し「道はじ、道はじ」の処に向かつて透得し去らば、便乃ち天下の人の舌頭を坐断せん。若し透不得ならば、也た須らく是れ自ら参じ自ら悟るべし。容易に日を過ごすべからず。惜しむべし許の時光。雪竇頌して云く。
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『碧巌録』第五十五則源、後来一小院に至り、行者の観音経を誦して「応に比丘身を以て度することを得べき者には、即ち比丘身を現じて為に法を説く」と云ふを聞いて、忽然として大悟して云く、「我当時錯つて先師を怪しむ。争でか知らん此の事の言句の上に在らざることを」。古人道ふ、「没量の大人も、語脈裏に転却せらる」と。有る底は情解して道ふ、「道吾の『道はじ、道はじ』と云ふは、便ち是れ道ひ了れり」と。喚んで打背翻筋斗と作し、人をして摸索不著ならしむ。若し恁麼に会せば、作麼生か平穏なることを得去らん。若し脚、実地を踏めば、一糸毫をも隔てず。見ずや、七賢女、屍陀林に遊び、遂に屍を指して問うて云く、「屍は這裏に在り、人は什麼の処にか在る」。大姊云く、「作麼、作麼」。一衆斉しく無生法忍を証す。且く道へ、幾箇か有る。千箇万箇、只だ是れ一箇。
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『碧巌録』第五十一則「末後の句、君が為に説く」。雪竇、此の末後の句を頌す。他の意、極めて落草相為すること有り。頌は則ち殺だ頌するも、只だ毛彩些子を頌するのみ。若し透見せんと要せば、也た未だしきこと在り。更に敢へて大口を開いて便ち道ふ、「明暗双双底の時節」と。爾が与に一綫の路を開き、亦た爾が与に一句に打殺し了れり。末後に更に爾が与に注解す。只だ招慶、一日羅山に問うて云ふが如し、「巌頭道ふ、恁麼恁麼、不恁麼不恁麼と。意旨如何」。羅山召して云く、「大師」。師応諾す。山云く、「双明亦双暗」。慶、礼謝して去る。三日の後、又た問ふ、「前日和尚の垂慈を蒙るも、只だ是れ看不破なり」。山云く、「尽情、爾に向かつて道ひ了れり」。慶云く、「和尚は是れ火を把つて行く」。山云く、「若し恁麼ならば、大師の疑処に拠つて問ひ将ち来たれ」。慶云く、「如何なるか是れ双明亦双暗」。山云く、「同生亦同死」。慶、当時礼謝して去る。後に僧有り、招慶に問ふ、「同生亦同死の時如何」。慶云く、「狗口を合取せよ」。僧云く、「大師、口を収取して飯を喫せよ」。其の僧却つて来たりて羅山に問うて云く、「同生不同死の時如何」。山云く、「牛の角無きが如し」。僧云く、「同生亦同死の時如何」。山云く、「虎の角を戴くが如し」。末後の句は、正に是れ這箇の道理なり。
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『碧巌録』第七十則溈山・五峰・雲巌、同じく百丈に侍立す。百丈、溈山に問ふ、「咽喉唇吻を併却して、作麼生か道はん」。山云く、「却つて請ふ和尚道へ」。丈云く、「我汝に向かつて道ふことを辞せず、恐らくは已後我が児孫を喪はん」。百丈此の如くなりと雖然も、鍋子已に別人に奪ひ去られ了れり。丈復た五峰に問ふ。峰云く、「和尚も也た須らく併却すべし」。丈云く、「無人の処に額を斫りて汝を望まん」。又雲巌に問ふ。巌云く、「和尚有りや未だしや」。丈云く、「我が児孫を喪はん」。三人各おの是れ一家なり。古人道ふ、「平地上に死人無数、荊棘林を過ぎ得る者是れ好手」と。所以に宗師家は荊棘林を以て人を験す。何が故ぞ。若し常情の句下に於いてせば、人を験し得ず。衲僧家は須らく是れ句裏に機を呈し、言中に的を辨ずべし。若し是れ担板漢ならば、多く句中に向かつて死却して、便ち道ふ、「咽喉唇吻を併却すれば、更に下口の処無し」と。若し是れ変通底の人ならば、逆水の波有り、只だ問頭上に向かつて一条の路有りて、鋒を傷つけず手を犯さず。溈山云く、「却つて請ふ和尚道へ」と。且く道へ他の意作麼生。箇裏に向かつて石火を撃つが如く閃電光に似たるが如く相似て、他の問処を拶して便ち答ふ。自ら出身の路有りて、纖毫の気力をも費やさず。所以に道ふ、「他は活句に参じて死句に参ぜず」と。百丈却つて他を采らず、只だ云く、「汝に向かつて道ふことを辞せず、恐らくは已後我が児孫を喪はん」と。大凡そ宗師の為人は、釘を抽き楔を抜く。若し是れ如今の人ならば便ち道はん、「此の答は他を肯はず、他は話を領せず」と。殊に知らず、箇裏一路の生機の処、壁立千仞、賓主互換して、活鱍鱍地なることを。雪竇は他の此の語の風措、宛転自在にして、又能く封疆を把定することを愛す。所以に頌して云く、
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『碧巌録』第五十一則大凡そ宗教を扶竪せんには、須らく是れ箇の当機を弁じ、進退是非を知り、殺活擒縦を明らむべし。若し忽ち眼目迷黎麻羅ならば、到る処問に逢うては便ち問ひ、答に逢うては便ち答へ、殊に知らず、鼻孔の別人の手裏に在ることを。只だ雪峰・巌頭の如きは、同じく徳山に参ず。此の僧、雪峰に参じて、見解只だ恁麼の処に到る。巌頭に見ゆるに及んでも、亦た曽て一事を成し得ず。虚しく他の二老宿を煩はして、一問一答、一擒一縦せしむ。直に如今に至るまで、天下の人、節角誵訛を成して、分疎し下らず。且く道へ、節角誵訛、什麼の処にか在る。雪峰は諸方を遍歴すと雖も、末後、鰲山店に於て、巌頭因つて之を激し、方に勦絶大徹することを得たり。巌頭、後に沙汰に値ひ、湖辺に於て渡子と作る。両岸に各おの一板を懸く。人有り過ぎて板を敲くこと一下すれば、頭云く、「爾、那辺に過ぐるか」と。遂に蘆葦の間より棹を舞はして出づ。
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