碧巌録 / 第五十三則
正眼觀來却是百丈具正因。馬大師無風起浪。諸人要與佛祖為師。參取百丈。要自救不了。參取馬祖大師。看他古人二六時中。未甞不在箇裏。百丈丱歲離塵。三學該練。屬大寂闡化南昌。乃傾心依附。二十年為侍者。及至再參。於喝下方始大悟。而今有者道。本無悟處。作箇悟門建立此事。若恁麼見解。如獅子身中蟲。自食獅子肉不見古人道。源不深者流不長。智不大者見不遠。若用作建立會。佛法豈到如今。
新字:正眼観来却是百丈具正因。馬大師無風起浪。諸人要与仏祖為師。参取百丈。要自救不了。参取馬祖大師。看他古人二六時中。未甞不在箇裏。百丈丱歳離塵。三学該練。属大寂闡化南昌。乃傾心依附。二十年為侍者。及至再参。於喝下方始大悟。而今有者道。本無悟処。作箇悟門建立此事。若恁麼見解。如獅子身中虫。自食獅子肉不見古人道。源不深者流不長。智不大者見不遠。若用作建立会。仏法豈到如今。
書き下し
正眼もて観来たれば、却つて是れ百丈正因を具す。馬大師は風無きに浪を起こす。諸人、仏祖の与に師と為らんと要せば、百丈に参取せよ。自救不了ならんと要せば、馬祖大師に参取せよ。看よ他の古人、二六時中、未だ嘗て箇裏に在らずんばあらず。百丈は丱歳にして塵を離れ、三学該ね練る。大寂の南昌に化を闡くに属し、乃ち心を傾けて依附し、二十年侍者と為る。再参するに及んで、喝下に於て方に始めて大悟す。而今有る者は道ふ、「本と悟処無し、箇の悟門を作して此の事を建立す」と。若し恁麼に見解せば、獅子身中の虫の、自ら獅子の肉を食らふが如し。見ずや古人道ふ、「源深からざる者は流れ長からず、智大ならざる者は見遠からず」と。若し建立の会を作さば、仏法豈に如今に到らんや。
現代語訳
正しい眼で見れば、かえって百丈のほうが正しい因を具えている。馬大師は風もないのに波を起こしたのだ。諸君が仏祖の師になろうとするなら、百丈に参ぜよ。自分さえ救えぬ者になりたければ、馬祖大師に参ぜよ。見よ、古人は一日中、いつもこの事のうちにあった。百丈は幼くして俗世を離れ、戒・定・慧の三学をあまねく修めた。大寂(馬祖)が南昌で教化を広めていたのに出会い、心を傾けて身を寄せ、二十年侍者をつとめた。再び参じたとき、馬祖の一喝のもとでようやく大悟した。今どきのある者は「もともと悟りなどない、悟りの門を仮に設けてこの事を打ち立てたのだ」と言う。もしそのように理解するなら、獅子の体の中の虫が自ら獅子の肉を食らうようなものだ。知らないか、古人は「源の深くないものは流れが長くなく、智の大きくないものは見通しが遠くない」と言った。もし仮の建て前と理解するなら、仏法がどうして今日まで伝わっただろうか。
解説
この章句が説くこと
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『碧巌録』第五十三則看よ他の馬大師、百丈と行く次、野鴨子の飛び過ぐるを見る。大師豈に是れ野鴨子なることを知らざらんや。什麼としてか却つて恁麼に問ふ。且く道へ、他の意、什麼の処にか落在す。百丈只管に他の後に随つて走る。馬祖遂に他の鼻孔を扭る。丈、忍痛の声を作す。馬祖云く、「何ぞ曽て飛び去らん」。百丈便ち省す。而今有る底は錯会して、纔かに問著すれば便ち忍痛の声を作す。且喜すらくは跳不出なることを。宗師家、人の為にするには須らく教へて徹せしむべし。他の会せざるを見ては、鋒を傷つけ手を犯すことを免れず、只だ他をして此の事を明らめしめんことを要す。所以に道ふ、「会すれば則ち途中に受用し、会せざれば則ち世諦流布す」と。馬祖当時若し扭住せずんば、只だ世諦流布と成らん。也た須らく是れ境に逢ひ縁に遇うて、宛転として自己に帰せしむべし。十二時中、空欠の処無き、之を性地明白と謂ふ。若し只だ草に依り木に附き、箇の驢前馬後を認めば、何の用処か有らん。看よ他の馬祖・百丈の恁麼に用ふるを。昭昭霊霊に似たりと雖も、却つて昭昭霊霊の処に住在せず。百丈忍痛の声を作す。若し恁麼に見去らば、遍界蔵さず、頭頭成現す。所以に道ふ、「一処透れば千処万処一時に透る」と。
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『碧巌録』第五十三則挙す。馬大師、百丈と行く次、野鴨子の飛び過ぐるを見る。大師云く、「是れ什麼ぞ」。丈云く、「野鴨子」。大師云く、「什麼の処にか去る」。丈云く、「飛び過ぎ去れり」。大師遂に百丈の鼻頭を扭る。丈、忍痛の声を作す。大師云く、「何ぞ曽て飛び去らん」。
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