碧巌録 / 第五十則
舉。僧問雲門。如何是塵塵三昧門云。鉢裏飯桶裏水。
書き下し
挙す。僧、雲門に問ふ、「如何なるか是れ塵塵三昧」。門云く、「鉢裏の飯、桶裏の水」。
現代語訳
取り上げる。ある僧が雲門に問うた。「塵塵三昧とは何か」。雲門は言った。「鉢の中の飯、桶の中の水」。
解説
第五十則の本則である。塵塵三昧とは、一つ一つの塵、すなわち世界のあらゆる事物のそれぞれがそのまま三昧、つまり心が一つに定まった境地であるという華厳の思想に基づくとされる教えを指す。僧がその意を問うと、雲門文偃は鉢の中の飯、桶の中の水とだけ答えた。飯は鉢に、水は桶に、それぞれの所に収まってそのまま完結している。高遠な教理を、毎日目にする器の中身で示したのである。特別な境地を求めるより、目の前の一つ一つの物事にそのまま向き合うことの中に集中と安定があるという示唆が得られる。
この章句が説くこと
公案三昧日常集中雲門塵塵三昧
関連する章句
-
『碧巌録』第五十則鉢裏の飯、桶裏の水、多口の阿師も嘴を下し難し。北斗南星位殊ならず、白浪滔天平地に起こる。擬すれど擬せず、止むれど止まらず、箇箇無裩の長者子。
-
『碧巌録』第五十則垂示に云く、階級を度越し、方便を超絶す。機機相応じ、句句相投ず。儻し大解脱門に入つて、大解脱の用を得るに非ずんば、何を以てか仏祖を権衡し、宗乗を亀鑑せん。且く道へ、当機直截、逆順縦横、如何が出身の句を道ひ得ん。試みに請ふ挙し看よ。
-
『碧巌録』第五十則還つて定当し得るや。若し定当し得ば、雲門の鼻孔、諸人の手裏に在り。若し定当し得ずんば、諸人の鼻孔、雲門の手裏に在り。雲門に斬釘截鉄の句有り。此の一句の中に三句を具す。有る底は問著すれば、便ち道ふ、「鉢裏の飯は粒粒皆円かに、桶裏の水は滴滴皆顕はる」。若し恁麼に会せば、且らく雲門の端的為人の処を見ず。頌に云く。
-
『碧巌録』第七十六則垂示に云く、細きこと米末の如く、冷ややかなること氷霜に似たり。乾坤に畐塞して、明を離れ暗を絶す。低低の処、之を観るに余り有り。高高の処、之を平らぐるに足らず。把住・放行、総に這裏に在り。還た出身の処有りや也た無しや。試みに挙し看よ。
-
『碧巌録』第七十四則垂示に云く、鏌鎁横たへ按じて、鋒前に葛藤の窠を剪断す。明鏡高く懸けて、句中に毘盧の印を引き出だす。田地穏密の処、衣を著け飯を喫す。神通遊戯の処、如何が湊泊せん。還た委悉すや。下文を看取せよ。
-
『碧巌録』第六十二則雲門道ふ、「汝若し相当し去らば、且く箇の入路を覓めよ。微塵の諸仏は爾が脚跟下に在り、三蔵の聖教は爾が舌頭上に在り。悟り去るに如かず。和尚子、妄想すること莫かれ。天は是れ天、地は是れ地、山は是れ山、水は是れ水、僧は是れ僧、俗は是れ俗」。良久して云く、「我が与に面前の案山を拈じ来たれ、看ん」。便ち僧有り出でて問うて云く、「学人、山は是れ山、水は是れ水と見る時如何」。門云く、「三門什麼としてか這裏より過ぐる」。爾が死却せんことを恐れて、遂に手を以て劃一劃して云く、「識得する時は是れ醍醐の上味、若し識不得ならば反つて毒薬と為る」と。所以に道ふ、「了了として了する時、了すべき無し。玄玄たる玄の処、直に須らく呵すべし」と。雪竇又拈じて云く、「乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す。壁上に掛在す。達磨九年、敢へて正眼に覷著せず。而今衲僧見んと要せば、脊を劈いて便ち棒せん」と。看よ他の本分の宗師、終に実法を将て人を繋綴せず。玄沙云く、「羅籠すれども住まることを肯ぜず、呼喚すれども頭を回らさず」と。恁麼なりと雖然も、也た是れ霊亀の尾を曳くなり。雪竇頌して云く、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る