碧巌録 / 第二十三則
保福長慶鏡清。總承嗣雪峯。他三人同得同證。同見同聞。同拈同用。一出一入。遞相挨拶。蓋為他是同條生底人。舉著便知落處。在雪峯會裏。居常問答。只是他三人。古人行住坐臥。以此道為念。所以舉著便知落處。一日遊山次。保福以手指云。只這裏便是妙峯頂。如今禪和子。恁麼問著。便只口似匾檐。賴值問著長慶。爾道保福恁麼道。圖箇什麼。古人如此。要驗他有眼無眼。是他家裏人。自然知他落處。便對他道。是即是可惜許。且道長慶恁麼道。意旨如何。不可一向恁麼去也。似則似。罕有等閑無一星事。賴是長慶識破他。
新字:保福長慶鏡清。総承嗣雪峯。他三人同得同証。同見同聞。同拈同用。一出一入。逓相挨拶。蓋為他是同条生底人。舉著便知落処。在雪峯会裏。居常問答。只是他三人。古人行住坐臥。以此道為念。所以舉著便知落処。一日遊山次。保福以手指云。只這裏便是妙峯頂。如今禅和子。恁麼問著。便只口似匾檐。頼値問著長慶。爾道保福恁麼道。図箇什麼。古人如此。要験他有眼無眼。是他家裏人。自然知他落処。便対他道。是即是可惜許。且道長慶恁麼道。意旨如何。不可一向恁麼去也。似則似。罕有等閑無一星事。頼是長慶識破他。
書き下し
保福・長慶・鏡清は、総て雪峰に承嗣す。他の三人は同じく得、同じく証し、同じく見、同じく聞き、同じく拈じ、同じく用ひ、一出一入、遞ひに相挨拶す。蓋し他は是れ同条に生ずる底の人なるが為に、挙著すれば便ち落処を知る。雪峰の会裏に在って、居常問答するは、只だ是れ他の三人なり。古人は行住坐臥、此の道を以て念と為す。所以に挙著すれば便ち落処を知る。一日遊山する次で、保福手を以て指して云く、「只だ這裏便ち是れ妙峰頂」。如今の禅和子、恁麼に問著せられば、便ち只だ口匾檐に似たらん。頼ひに長慶に問著するに値ふ。爾道へ、保福恁麼に道ふ、箇の什麼をか図る。古人此の如く、他の有眼無眼を験さんことを要す。是れ他家裏の人ならば、自然に他の落処を知る。便ち他に対して道ふ、「是なることは即ち是なるも、惜しむべし」と。且く道へ、長慶恁麼に道ふ、意旨如何。一向に恁麼にし去るべからず。似たることは則ち似たるも、等閑にして一星の事無きは罕なり。頼ひに是れ長慶他を識破す。
現代語訳
保福・長慶・鏡清は、みな雪峰の法を継いだ。この三人は、同じく得て同じく証し、同じく見て同じく聞き、同じく取り上げて同じく用い、出たり入ったりしながら互いに押し合い迫り合った。思うに彼らは同じ枝から生まれた人々だったので、取り上げたとたんに落ち着きどころが分かったのである。雪峰の門下で日ごろ問答していたのは、ただこの三人であった。古人は行住坐臥、いつもこの道を念頭に置いていた。だから取り上げたとたんに落ち着きどころが分かったのである。ある日山歩きをしていたとき、保福が手で指して言った。「ここがまさに妙峰の頂だ」。今どきの禅僧がこう問われたら、口が天秤棒のように平たく閉じてしまうだろう。幸いにも長慶に問うたのだった。言ってみよ、保福がこう言ったのは何をもくろんでのことか。古人はこのようにして、相手に眼があるかないかを試そうとしたのである。同じ家の内の人であれば、自然とその落ち着きどころが分かる。そこで長慶は「そのとおりだが、惜しいことだ」と応じた。さあ言え、長慶がこう言ったのはどういう意図か。ひたすらそのように行ってしまってはならない。似ていることは似ているが、何気なく何事もないようでいて、実はそうではないことがまれにある。幸いにも長慶がそれを見破ったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第二十三則挙す。保福・長慶遊山する次で、福手を以て指して云く、「只だ這裏便ち是れ妙峰頂」。慶云く、「是なることは則ち是なるも、惜しむべし」。雪竇著語して云く、「今日這の漢と共に遊山して、箇の什麼をか図る」。復た云く、「百千年後、無しとは道はず、只だ是れ少なし」。後に鏡清に挙似す。清云く、「若し是れ孫公にあらずんば、便ち髑髏の野に遍きを見ん」。
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『碧巌録』第二十三則妙峰孤頂草離離、拈得して分明なるも誰にか付与せん。是れ孫公の端的を辨ずるにあらずんば、髑髏地に著くも幾人か知る。妙峰孤頂草離離、草裏に輥る、什麼の了期か有らん。拈得して分明なるも誰にか付与せん、什麼の処か是れ分明なる処。保福の「只だ這裏便ち是れ妙峰頂」と道ふを頌す。是れ孫公の端的を辨ずるにあらずんば、孫公什麼の道理をか見て、便ち云ふ、「是なることは則ち是なるも、惜しむべし」と。只だ「髑髏地に著くも幾人か知る」が如き、汝等諸人還た知るや。瞎。
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『碧巌録』第七十六則保福・長慶、同じく雪峰の会下に在つて、常に古人の公案を挙して商量す。長慶、保福に問ふ、「飯を将て人に与へて喫せしむるは、恩に報ゆる分有り。什麼の為にか眼を具せざる」。必ずしも尽く公案中の事を問はず、大綱此の語を借つて話頭と作し、他の諦当の処を験せんと要す。保福云く、「施す者も受くる者も、二り倶に瞎漢」。快なる哉、這裏に到つて、只だ当機の事を論ず。家裏に出身の路有り。長慶云く、「其の機を尽くし来たるも、還た瞎と成るや否や」。保福云く、「我を瞎と道ひ得んや」。保福の意に謂ふ、「我れ恁麼に眼を具して、爾が与に道ひ了れり、還た我を瞎と道ひ得んや」と。是の如くなりと雖然も、半ば合し半ば開く。当時若し是れ山僧ならば、他の「其の機を尽くし来たるも、還た瞎と成るや否や」と道ふを等つて、只だ他に向かつて「瞎」と道はん。可惜許。保福当時、若し這箇の瞎の字を下し得ば、雪竇の許多の葛藤を免れ得ん。雪竇も亦た只だ此の意を用ゐて頌す。
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『碧巌録』第八則如今の人問著すれば、便ち言句下に向つて咬嚼し、眉毛上に活計を作す。看よ他の屋裏の人、自然に他の行履の処を知る。千変万化、節角聱訛、著著出身の路有り、便ち能く此の如く他と酬唱す。此の語若し奇特無くんば、雲門・保福・長慶の三人、咂咂地に他と酬唱して什麼をか作さん。保福云く、「賊と作る人心虚なり」。只だ此の語に因つて、適来の許多の情解を説くことを惹き得たり。且く道へ、保福の意作麼生。切に忌む句下に向つて他の古人を覓むることを。爾若し情を生じ念を起さば、則ち爾が眼睛を換へん。殊に知らず、保福一転語を下して、翠巌の脚跟を截断することを。長慶云く、「生ぜり」。人多く道ふ、「長慶翠巌の脚跟に随つて転ず、所以に生ぜりと道ふ」と。且得没交渉。知らず、長慶自ら他の見解を出して生ぜりと道ふことを。各おの出身の処有り。我且く爾に問ふ、是れ什麼の処か是れ生ずる処。一に作家の面前に、金剛王宝剣を直下に便ち用ふるに似たり。若し能く常流の見解を打破し、得失是非を截断せば、方に長慶の他と酬唱する処を見ん。雲門云く、「関」。妨げず奇特なることを。只だ是れ参じ難し。雲門大師、多く一字禅を以て人に示す。一字の中と雖も、須らく三句を具すべし。看よ他の古人、機に臨んで酬唱す、自然に今時の人と逈かに別なり。此れは乃ち句を下す底の様子なり。他此の如く道ふと雖も、意決して那裏に在らず。既に那裏に在らずんば、且く道へ、什麼の処にか在る。也た須らく子細に自ら参じて始めて得べし。若し是れ明眼の人ならば、照天照地底の手脚有つて、直下に八面玲瓏たらん。雪竇他の一箇の関字の為に、他の三箇を和して、穿つて一串と作して頌出す。
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『碧巌録』第二十三則見ずや、僧、趙州に問ふ、「如何なるか是れ妙峰孤頂」。州云く、「老僧爾が這の話に答へず」。僧云く、「什麼と為てか這の話に答へざる」。州云く、「我若し爾に答へば、恐らくは平地上に落在せん」。教中に妙峰孤頂を説く。徳雲比丘は従来山を下らず。善財去って参ずるに、七日逢はず。一日却って別峰に在って相見ゆ。見え了るに及んで、却って他の与に一念三世、一切諸仏、智慧光明、普見の法門を説く。徳雲既に山を下らずんば、什麼に因ってか却って別峰に在って相見ゆる。若し他山を下ると道はば、教中に道ふ、「徳雲比丘は従来曾て山を下らず、常に妙峰孤頂に在り」と。這裏に到って、徳雲と善財と、的的として那裏にか在る。自後、李長者葛藤を打す、打し得て好し。道ふ、「妙峰孤頂は是れ一味平等の法門なり。一一皆真、一一皆全し。無得無失、無是無非の処に向かって独露す。所以に善財見えず。性に称ふ処に到っては、眼の自ら見ず、耳の自ら聞かず、指の自ら触れざるが如く、刀の自ら割かず、火の自ら焼かず、水の自ら洗はざるが如し」と。這裏に到って、教中大いに老婆相為にする処有り。所以に一線の道を放って、第二義門に於て、賓を立て主を立て、機境を立て問答を立つ。所以に道ふ、「諸仏は出世せず、亦涅槃有ること無し。方便もて衆生を度せんが為に、故に斯の如き事を現ず」と。且く道へ、畢竟作麼生か鏡清・雪竇の恁麼に道ひ去ることを免れ得ん。当時拍拍相応ずること能はず、所以に尽大地の人髑髏野に遍し。鏡清は恁麼に証し将ち来たり、那の両箇は恁麼に用ひ将ち来たる。雪竇後面に頌出して更に顕煥なり。頌に云く。
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『碧巌録』第十六則鏡清、雪峰に承嗣し、本仁・玄沙・疎山・太原孚の輩と同時なり。初め雪峰に見えて旨を得て後、常に啐啄の機を以て後学を開示す。善く能く機に応じて法を説く。衆に示して云く、大凡そ行脚の人は、須らく啐啄同時の眼を具し、啐啄同時の用有りて、方に衲僧と称すべし。母の啄せんと欲するが如きは、子啐せざることを得ず。子の啐せんと欲するは、母啄せざることを得ず。僧有りて便ち出でて問ふ、母啄し子啐す、和尚の分上に於て、箇の什麼辺の事をか成し得ん。清云く、好箇の消息。僧云く、子啐し母啄す、学人の分上に於て、箇の什麼辺の事をか成し得ん。清云く、箇の面目を露はす。所以に鏡清の門下に啐啄の機有り。這の僧も亦た是れ他の門下の客、他の家裏の事を会す。所以に此の如く問ふ。
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