碧巌録 / 第十三則
昔有僧辭大隋。隋云。什麼處去。僧云。禮拜普賢去。大隋竪起拂子云。文殊普賢盡在這裏。僧畫一圓相以手托呈師。又拋向背後。隋云。侍者將一貼茶來。與這僧去。雲門別云。西天斬頭截臂。這裏自領出去。又云。赤旛在我手裏。西天論議勝者手執赤旛。負墮者返披袈裟。從偏門出入。
新字:昔有僧辞大隋。隋云。什麼処去。僧云。礼拝普賢去。大隋竪起払子云。文殊普賢尽在這裏。僧画一円相以手托呈師。又抛向背後。隋云。侍者将一貼茶来。与這僧去。雲門別云。西天斬頭截臂。這裏自領出去。又云。赤旛在我手裏。西天論議勝者手執赤旛。負堕者返披袈裟。従偏門出入。
書き下し
昔僧有りて大隋に辞す。隋云く、什麼の処にか去る。僧云く、普賢を礼拝し去る。大隋払子を竪起して云く、文殊普賢、尽く這裏に在り。僧一円相を画き、手を以て托して師に呈し、又背後に抛向す。隋云く、侍者、一貼の茶を将ち来たりて這の僧に与へ去れ。雲門別して云く、西天は頭を斬り臂を截る、這裏は自ら領して出で去れ。又云く、赤旛我が手裏に在り。西天の論議、勝つ者は手に赤旛を執り、負墮する者は袈裟を返披して、偏門より出入す。
現代語訳
昔、ある僧が大隋に暇を告げた。大隋「どこへ行くのか」。僧「普賢菩薩を礼拝しに参ります」。大隋は払子を立てて言った。「文殊も普賢もみなここにいる」。僧は一つの円相を描き、手でささげて師に差し出し、また背後に放り投げた。大隋は言った。「侍者よ、茶を一服持ってきてこの僧に与えよ」。雲門はこれに別の語を付けて言った。「インドでは頭を斬り腕を切るところだが、ここでは自分で引き取って出て行け」。また言った。「赤い旗はわたしの手の中にある」。インドの論議では、勝った者が手に赤い旗を執り、負けた者は袈裟を裏返しに着て、脇の門から出入りしたのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第二十九則其の僧既に大随の説話を会せず。是れ他も也た妨げず此の事を以て念と為すことを。却って此の問を持して、直に舒州の投子山に往く。投子問ふ、「近く甚れの処をか離る」。僧云く、「西蜀の大随」。投云く、「大随に何の言句か有る」。僧遂に前話を挙す。投子香を焚いて礼拝して云く、「西蜀に古仏有って出世す。汝且く速やかに回れ」。其の僧復た回って大随に至るに、随已に遷化す。這の僧一場の懡㦬なり。後に唐僧景遵有り、大随に題して云く、「了然として別法無し、誰か南能に印すと道ふ。一句随他の語、千山に衲僧を走らしむ。蛩寒うして砌葉に鳴き、鬼夜龕灯を礼す。吟じ罷んで孤窓の外、徘徊して恨み勝へず」。所以に雪竇後面に此の両句を引いて頌出す。如今也た壊の会を作すことを得ず、也た不壊の会を作すことを得ず。畢竟作麼生か会せん。急に眼を著けて看よ。
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『碧巌録』第五十四則挙す。雲門、僧に問ふ、「近離甚れの処ぞ」。僧云く、「西禅」。門云く、「西禅近日何の言句か有る」。僧、両手を展ぶ。門、打つこと一掌す。僧云く、「某甲話在り」。門却つて両手を展ぶ。僧無語。門便ち打つ。
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『碧巌録』第二十六則這の僧便ち礼拝す、虎鬚を捋づるに似て相似たり。只だ転身の処を争ふ。頼ひに百丈の頂門に眼有り、肘後に符有り、四天下を照破し、深く来風を辨ずるに値ふ。所以に便ち打つ。若し是れ別人ならば他を奈何ともする無し。這の僧は機を以て機に投じ、意を以て意を遣る。他の所以に礼拝す。南泉云ふが如し、「文殊・普賢、昨夜三更に仏見法見を起こす、各二十棒を与へて、二鉄囲山に貶向し去れり」。時に趙州衆を出でて云く、「和尚の棒、誰をしてか喫せしむ」。泉云く、「王老師に什麼の過か有る」。州礼拝す。宗師家は等閑に他の受用の処を見ず。纔かに当機拈弄の処に到れば、自然に活鱍鱍地なり。五祖先師常に説く、「馬前の相撲の如くに相似たり」と。爾但だ常に見聞声色をして一時に坐断せしめ、把得して定まり主と作り得ば、始めて他の百丈を見ん。且く道へ、放過する時作麼生。看取せよ、雪竇頌出して云く。
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『碧巌録』第五十四則雲門、這の僧に問ふ、「近離甚れの処ぞ」。僧云く、「西禅」。這箇は是れ当面の話、閃電の如くに相似たり。門云く、「近日何の言句か有る」。也た只だ是れ平常の説話なり。這の僧も也た妨げず是れ箇の作家なることを。却つて倒に去いて雲門を験し、便ち両手を展ぶ。若し是れ尋常の人ならば、此の一験に遭うて、便ち手忙脚乱を見ん。他の雲門は石火電光の機有り、便ち打つこと一掌す。僧云く、「打つことは即ち故より是なるも、争奈せん某甲の話在ることを」。這の僧転身の処有り。所以に雲門放開して、却つて両手を展ぶ。其の僧無語。門便ち打つ。看よ他の雲門は自ら是れ作家、一歩を行いて一歩の落処を知る。会く前を瞻て亦た解く後を顧み、蹤由を失はず。這の僧は只だ前を瞻ることを解して、後を顧みること能はず。頌に云く。
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『碧巌録』第八十八則後に僧有り、雲門に挙似す。門便ち他の意を会して云く、「汝礼拝せよ」。僧礼拝して起つ。門、拄杖を以て挃く。這の僧退後す。門云く、「汝は是れ患盲にあらず」。復た喚ぶ、「近前し来れ」。僧近前す。門云く、「汝は是れ患聾にあらず」。乃ち云く、「会すや」。僧云く、「会せず」。門云く、「汝は是れ患啞にあらず」。其の僧此に於て省有り。当時若し是れ箇の漢ならば、他の「礼拝せよ」と道ふを等ちて、便ち与に禅床を掀倒せん。豈に許多の葛藤有るを見んや。且く道へ、雲門と玄沙と会する処、是れ同か是れ別か。他の両人の会する処、都て只だ一般なり。看よ他の古人出で来つて千万種の方便を作す、意は鉤頭上に在り。多少の苦口ぞ、只だ諸人をして各各此の一段の事を明らめしめんとす。五祖老師云く、「一人は説き得て却つて会せず、一人は却つて会して説き得ず。二人若し来参せば、如何が他を辨じ得ん。若し這の両人を辨じ得ずんば、管取す人の為に粘を解き縛を去ること得ざること在り。若し辨じ得ば、纔かに入門を見て、我れ便ち草鞋を著けて爾が肚裏に向つて走ること幾遭し了らん。猶自ほ省みずんば、什麼の碗をか討めて出で去らん」と。且く盲聾瘖啞の会を作すこと莫くんば好し。若し恁麼に計較せば、所以に道ふ、「眼に色を見ること盲に如き等しく、耳に声を聞くこと聾に如き等し」と。又た道ふ、「満眼に色を視ず、満耳に声を聞かず。文殊は常に目に触れ、観音は耳根を塞ぐ」と。這裏に到つて、眼に見ること盲の如くに相似、耳に聞くこと聾の如くに相似て、方に能く玄沙の意と多くを争はず。諸人還た盲聾瘖啞底の漢子の落処を識るや。看取せよ、雪竇の頌に云く、
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『碧巌録』第二十二則只だ百丈の黄檗に問ふが如き、「甚れの処よりか去来す」。檗云く、「大雄山下に菌を採り去来す」。丈云く、「還た大虫を見るや」。檗便ち虎声を作す。丈便ち斧を拈じて斫る勢を作す。檗遂に百丈を打つこと一摑す。丈吟吟として笑ひ、便ち帰って陞座し、衆に謂って云く、「大雄山に一大虫有り。汝等諸人、切に須らく好く看るべし。老僧今日、親しく一口に遭ふ」。趙州、凡そ僧を見れば便ち問ふ、「曾て此間に到るや」。云く、「曾て到る」。或いは云く、「曾て到らず」。州総て云く、「喫茶去」。院主云く、「和尚尋常僧に問ふ、曾て到ると曾て到らずと、総て喫茶去と道ふ、意旨如何」。州云く、「院主」。主応諾す。州云く、「喫茶去」。紫胡の門下に一牌を立つ。牌上に書して云く、「紫胡に一狗有り、上は人の頭を取り、中は人の腰を取り、下は人の脚を取る。擬議すれば則ち喪身失命す」。或いは新到纔かに相看すれば、師便ち喝して云く、「狗を看よ」。僧纔かに回首すれば、師便ち方丈に帰る。正に雪峰の「南山に一条の鼈鼻蛇有り、汝等諸人切に須らく好く看るべし」と道ふが如し。正当恁麼の時、爾作麼生か祇対せん。前蹤を躡まず、試みに請ふ道ひ看よ。
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