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碧巌録 / 第三則

神宗在位時。自謂此頌諷國。所以不肯入藏。雪竇先拈云。日面佛月面佛。一拈了。却云。五帝三皇是何物。且道。他意作麼生。適來已說了也。直下注他。所以道。垂鉤四海。只釣獰龍。只此一句已了。後面雪竇自頌他平生所以用心參尋。二十年來曾苦辛。為君幾下蒼龍窟。似箇什麼。一似人入蒼龍窟裏取珠相似。後來打破漆桶。將謂多少奇特。元來只消得箇五帝三皇是何物。且道雪竇語。落在什麼處。須是自家退步看。方始見得他落處。

新字:神宗在位時。自謂此頌諷国。所以不肯入蔵。雪竇先拈云。日面仏月面仏。一拈了。却云。五帝三皇是何物。且道。他意作麼生。適来已説了也。直下注他。所以道。垂鉤四海。只釣獰竜。只此一句已了。後面雪竇自頌他平生所以用心参尋。二十年来曽苦辛。為君幾下蒼竜窟。似箇什麼。一似人入蒼竜窟裏取珠相似。後来打破漆桶。将謂多少奇特。元来只消得箇五帝三皇是何物。且道雪竇語。落在什麼処。須是自家退歩看。方始見得他落処。

書き下し

神宗位に在る時、自ら此の頌国を諷すと謂ふ、所以に蔵に入るることを肯ぜず。雪竇先づ拈じて云く、「日面仏、月面仏」。一拈し了つて、却つて云く、「五帝三皇是れ何物ぞ」。且く道へ、他の意作麼生。適来已に説き了れり。直下に他を注す。所以に道ふ、「鉤を四海に垂れて、只だ獰龍を釣る」。只だ此の一句已に了る。後面に雪竇自ら他の平生用心参尋する所以を頌す。「二十年来曾て苦辛す、君が為に幾たびか蒼龍窟に下る」。箇の什麼にか似たる。一に人の蒼龍窟裏に入つて珠を取るに似て相似たり。後来漆桶を打破して、将に謂へり多少の奇特と。元来只だ箇の五帝三皇是れ何物ぞを消得するのみ。且く道へ、雪竇の語、什麼の処にか落在す。須らく是れ自家退歩して看て、方に始めて他の落処を見得すべし。

現代語訳

神宗が帝位にあった時、この頌は国を風刺していると考え、それで大蔵経に入れることを許さなかった。雪竇はまず取り上げて「日面仏、月面仏」と言った。一度取り上げ終えて、さらに「五帝三皇などが何ものであろうか」と言った。さあ言ってみよ、彼の意はどうなのか。先ほどもう説き終えた。ずばりこれに注をつけたのである。だから「釣り針を四海に垂れて、ただ猛々しい龍だけを釣る」と言うのだ。この一句だけで、もう済んでいる。後半で雪竇は、自分が平生どのように心を用いて参じ求めてきたかを頌した。「二十年このかた苦労を重ね、君のために幾たび青龍の洞窟に潜ったことか」。何に似ているか。ちょうど人が青龍の洞窟に入って珠を取るようなものだ。後に漆桶(無明)を打ち破ってみれば、どれほど特別なものがあるかと思っていたのに、もともと「五帝三皇などが何ものであろうか」の一句を手に入れただけであった。さあ言ってみよ、雪竇の言葉はどこに落ち着くのか。自分で一歩退いて見てこそ、はじめてその落ち着きどころが見える。

解説

圜悟による頌の評唱の前半である。宋の神宗がこの頌を国家への風刺と考えて大蔵経への収録を許さなかったという話から始まる。圜悟は「日面仏月面仏」に続く「五帝三皇是れ何物ぞ」の一句ですでに頌は尽きていると言い、四海に釣り針を垂れて獰猛な龍だけを釣るという言葉で、その狙いの鋭さを示す。後半の二十年の苦辛は、龍の洞窟に珠を探しに入るような参究であり、ついに無明を破ってみれば、手に入れたのはただこの一句だけだったという。現代の働く者には、長い努力の果てに得るものは意外に単純であり、それを見るには一歩退く姿勢が要るという示唆になる。

この章句が説くこと

五帝三皇雪竇修行退歩悟り誤解

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