碧巌録 / 第三則
舉馬大師不安院主問。和尚近日。尊候如何大師云。日面佛月面佛。
新字:舉馬大師不安院主問。和尚近日。尊候如何大師云。日面仏月面仏。
書き下し
挙す。馬大師不安。院主問ふ、「和尚近日尊候如何」。大師云く、「日面仏、月面仏」。
現代語訳
取り上げる。馬祖大師が病に伏していた。院主が問うた。「和尚さま、近ごろお加減はいかがですか」。大師は言った。「日面仏、月面仏」。
解説
第三則の本則で、主人公は唐代の禅僧馬祖道一である。病床の馬祖に寺の事務を預かる院主が容態を尋ねると、馬祖は「日面仏、月面仏」と答えた。日面仏は千八百歳の寿命をもつ仏、月面仏は一日一夜の寿命しかない仏とされる。長く生きるも一日で終わるも、そのままに仏である。生死の境にあってなお、見舞いの言葉をそのまま禅の問答として返したところに眼目がある。ただし評唱で圜悟は、これを単に院主への応対と見ることも、目の左右に結びつけることも退けている。現代の働く者には、順調な日も苦しい日も、それぞれの一日をまるごと生き切る態度として読める。
この章句が説くこと
日面仏月面仏馬祖生死公案無常一日
関連する章句
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『碧巌録』第三則馬大師不安。院主問ふ、「和尚近日尊候如何」。大師云く、「日面仏、月面仏」。祖師若し本分の事を以て相見せずんば、如何ぞ此の道の光輝を得ん。此箇の公案、若し落処を知らば、便ち丹霄に独歩せん。若し落処を知らずんば、往往に枯木巌前に路を差へ去ること在らん。若し是れ本分の人這裏に到らば、須らく是れ耕夫の牛を駆り、飢人の食を奪ふ底の手脚有つて、方に馬大師の人の為にする処を見るべし。如今多く人有りて道ふ、「馬大師院主を接す」と。且喜すらくは没交渉。如今衆中多く錯り会して、眼を瞠つて云く、「這裏に在り。左眼は是れ日面、右眼は是れ月面」と。什麼の交渉か有らん。驢年にも未だ夢にも見ざること在らん。只管に古人の事を蹉過す。只如へば馬大師此の如く道ふ、意什麼の処にか在る。有る底は云く、「平胃散一盞を点じ来れ」と。什麼の巴鼻か有らん。這裏に到つて、作麼生か平穏なることを得去らん。所以に道ふ、「向上の一路、千聖も伝へず。学者形を労すること猿の影を捉ふるが如し」。只だ這の日面仏月面仏、極めて是れ見難し。雪竇此に到つて、亦た是れ頌し難し。却つて他の見得透するが為に、平生の工夫を用ひ尽して、他を指注す。諸人雪竇を見んと要すや。下文を看取せよ。
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『碧巌録』第三則日面仏、月面仏、五帝三皇是れ何物ぞ。二十年来曾て苦辛す、君が為に幾たびか蒼龍窟に下る。屈、述ぶるに堪へたり、明眼の衲僧も軽忽すること莫れ。
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『碧巌録』第三則垂示に云く、一機一境、一言一句、且く箇の入処有らんことを図る、好肉上に瘡を剜り、窠を成し窟を成す。大用現前して軌則を存せず、且く向上の事有ることを知らんことを図る、蓋天蓋地、又摸索不著。恁麼も也た得、不恁麼も也た得、太だ廉繊生。恁麼も也た得ず、不恁麼も也た得ず、太だ孤危生。二塗に渉らずして、如何なるか即ち是なる。請ふ試みに挙し看ん。
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『碧巌録』第三則神宗位に在る時、自ら此の頌国を諷すと謂ふ、所以に蔵に入るることを肯ぜず。雪竇先づ拈じて云く、「日面仏、月面仏」。一拈し了つて、却つて云く、「五帝三皇是れ何物ぞ」。且く道へ、他の意作麼生。適来已に説き了れり。直下に他を注す。所以に道ふ、「鉤を四海に垂れて、只だ獰龍を釣る」。只だ此の一句已に了る。後面に雪竇自ら他の平生用心参尋する所以を頌す。「二十年来曾て苦辛す、君が為に幾たびか蒼龍窟に下る」。箇の什麼にか似たる。一に人の蒼龍窟裏に入つて珠を取るに似て相似たり。後来漆桶を打破して、将に謂へり多少の奇特と。元来只だ箇の五帝三皇是れ何物ぞを消得するのみ。且く道へ、雪竇の語、什麼の処にか落在す。須らく是れ自家退歩して看て、方に始めて他の落処を見得すべし。
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『碧巌録』第二則垂示に云く、乾坤窄く、日月星辰一時に黒し。直饒ひ棒雨点の如く、喝雷奔に似たるも、也た未だ向上宗乗中の事に当得せず。設使ひ三世の諸仏も只だ自ら知るべく、歴代の祖師も全提不起、一大蔵教も詮注不及、明眼の衲僧も自救不了。這裏に到つて、作麼生か請益せん。箇の仏の字を道ふも、泥を拖き水を帯ぶ。箇の禅の字を道ふも、満面慚惶す。久参の上士は之を言ふことを待たず、後学初機は直に須らく究取すべし。
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『無門関』第三十三則 非心非佛馬祖、僧の問ふに因る、「如何なるか是れ佛」。祖曰く、「非心非佛」。
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