兵法家伝書 / 無刀之卷轉處實能幽
轉處實能幽なりと云ふ所が兵法の眼なり、其所に心が跡を殘さずして、こぎ行舟の跡のしら波と云ごとく、あとはきへて、さきへ轉じ、そつともとまらぬ處を轉處實能幽なりと心得べし、幽なりとはかすかにて見へぬ事也、心をそこ〱にとゞめぬと云儀也、心が一處にとゞまりたらば、兵法に負べき也、轉ずる所に殘たらば散々なり、
新字:転処実能幽なりと云ふ所が兵法の眼なり、其所に心が跡を残さずして、こぎ行舟の跡のしら波と云ごとく、あとはきへて、さきへ転じ、そつともとまらぬ処を転処実能幽なりと心得べし、幽なりとはかすかにて見へぬ事也、心をそこ〱にとゞめぬと云儀也、心が一処にとゞまりたらば、兵法に負べき也、転ずる所に残たらば散々なり、
書き下し
轉處實能幽なりと云ふ所が兵法の眼なり、其所に心が跡を殘さずして、こぎ行舟の跡のしら波と云ごとく、あとはきへて、さきへ轉じ、そつともとまらぬ處を轉處實能幽なりと心得べし、幽なりとはかすかにて見へぬ事也、心をそこ〱にとゞめぬと云儀也、心が一處にとゞまりたらば、兵法に負べき也、轉ずる所に殘たらば散々なり、
現代語訳
「転ずる処実に能く幽なり」というところが兵法の眼である。その所に心が跡を残さず、漕ぎ行く舟の跡の白波というように、跡は消えて、先へ転じ、少しも止まらない処を、「転ずる処実に能く幽なり」と心得よ。幽なりとはかすかで見えないことである。心をそこここに留めないという意味である。心が一所に止まったなら、兵法に負けるであろう。転ずる所に残ったなら散々である。
解説
前段の偈の後半、転ずる処が幽であることを、兵法の眼とする段です。心が跡を残さないさまを、漕ぎ行く舟の跡の白波にたとえます。幽とはかすかで見えないことで、心をあちこちに留めないという意味だと解説します。一か所に心が止まれば負け、転ずるところに残れば散々だと、はっきり言い切っています。直前の成功や失敗に引きずられず、次の局面に切り替える力は、現代の管理職にも求められます。前の案件の失敗を引きずったまま次の会議に臨めば判断が鈍る、という場面を、白波の譬えが印象深く示しています。
この章句が説くこと
転処幽白波切り替え心を留めない兵法家伝書
関連する章句
-
『兵法家伝書』無刀之卷「摩拏羅尊者の偈(心隨万境轉)」一 摩拏羅尊者の偈に云く 心隨万境轉、轉處實能幽 右の偈は參學に祕する事也、兵法此意が簡要なる故に引合て爰に記之、參學せざる人はとくと心得がたかるべし、萬境とは、兵法ならば敵の數々のはたらき也、其一ッ〱のはたらきに心がてんずる也、縱へば敵が太刀をふりあぐれば、其太刀に心が轉じ、右へまわせば右に心がてんじ、左へまわせば左へ轉ずる、是を隨万境轉ずとは云也、
-
『兵法家伝書』無刀之卷「心は色も形もなければ」心は色も形もなければ、目に元より見へぬ物なれども、着してとゞまれば、心が其まゝ見ゆる者也、たとへば、しらぎぬのごとく也、紅をうつしとむれば紅になり、紫を移せば、むらさきの色に成者也、人の心も、物にうつせば、あらはれ見ゆる也、兒若衆に心をうつせば、やがて人が見しる也、おもひ内にあれば、色外にあらはるゝ也、敵のはたらきをば、能く見て底心を留ば、兵法にまくべき也、心をとむなと云事に此偈を引用る也、下の二句は略して不記之、參學して全篇はしるべし、兵法には上の二句にてすむ事也
-
『兵法家伝書』無刀之卷「江口の遊女の哥(心とどめぬ)」兵法の佛法にかなひ、禪に通ずる事多し、中に殊更着をきらひ、毎物にとゞまる事をきらふ尤是親切の所也、とゞまらぬ處を簡要とする也、江口の遊女の西行法師の哥に答へし哥 家を出る人としきけばかりの宿に心とむなとおもふばかりぞ 兵法に此哥の下の句をふかく吟味して、しからんか、如何様の祕傳を得て手を遣ふとも、其手に心がとゞまらば兵法は負べし、敵のはたらきにも、我手前にも、きつてもついても其所々にとゞまらぬ、心の稽古專用也
-
『兵法家伝書』無刀之卷「法尚應捨(常の心)」法尚應捨何況非法 此文の心は、法とは眞實の正法也、正法也とも、一度さとり終りては、心にとむべからず、法尚應捨と也、正法さへ悟て後是を胸にとゞめず、胸の塵也、何況非法をやと也、正法さへ捨べし、いわむや非法ならば、是を胸に置べからずといへる也、一切の道理を見おはりて、皆胸にとゞめず、はらり〱とすてゝ胸を空虚になして、平生の何となき心にて、所作をなす此位にいたらずば、兵法の名人とは難言也、兵法は我が家の事なれば、さして兵法と申也、兵法一ッに限るべからず、よろづの道如此也、兵法遣ふに兵法の心、 のかずば病氣也、弓射るに弓射る心がのかずば、弓の病也、唯常の心に成て、太刀を遣ひ弓を射ば、弓に難なく、太刀自由なるべし、何事にもおどろかず、常の心よろづによし、平生の心を失ひて、何にても、其事をいはんとおもはゞ聲ふるふべし、常の心を失ひて人の前にて物を書ならば、手ふるふべし、常の心とは、胸に何事も不残不置跡をはらり〱とすて、胸が空虚になれば、常の心なり、儒書を讀む人此虚心の道理を不心得してひとへに敬の字の儀に落る也、敬の字心は至極向上にはあらず、階の一二段にある修行也とぞ
-
『兵法家伝書』無刀之卷「とられじとする無刀」一 とられじとするを、是非とらんとするにはあらず、取られじとするをば、とられぬも無刀也、とられじ〱とする人は、きらふ事をばわすれて、とられまいとばかりする程に、人を切ル事はなるまじき也、我はきられぬを勝とする也、人の刀を取るを、藝とする道にてはなし、われ刀なき時に人にきられまじき用の習也
-
『兵法家伝書』無刀之卷「無刀とは」無刀之卷 無刀とて、必しも人の刀をとらずしてかなはぬと云ふ儀にあらず、又刀取て見せて是を名譽にせんにてもなし、我が刀なき時、人にきられじとの無刀也、いで取て見せふなどゝ云事を、本意とするにあらず
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る