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兵法家伝書 / 活人劔空虚空と眞空

空と云事、佛法の眼也、空に虚空と眞空との差別あり、虚はいつはりとよむ、眞はまことゝよむ、しかれば虚空とは、いつわりむなしき空にて、何もなき事の譬へに引なり、眞空とは眞實の空也、即心空也、心はかたちなき事は、虚空のごとくなれども、一心は此身の主人にて、よろづのわざをする事、皆心にあり、其心動てはたらく事心のする所也、心の動かぬは空也、空のうごくは心なり、空がうごいて心と成りて、手足へはたらくなり、太刀をにぎつたる拳のうごかぬ時はやうつ程に空をうてとは云也、捧心と云も、心は目に見へぬ物也、見へぬにより空とも云、うごかぬによつて、空とも云也、太刀をにぎりたる手に、心をさゝげて居れども、めには見へぬ也、

新字:空と云事、仏法の眼也、空に虚空と真空との差別あり、虚はいつはりとよむ、真はまことゝよむ、しかれば虚空とは、いつわりむなしき空にて、何もなき事の譬へに引なり、真空とは真実の空也、即心空也、心はかたちなき事は、虚空のごとくなれども、一心は此身の主人にて、よろづのわざをする事、皆心にあり、其心動てはたらく事心のする所也、心の動かぬは空也、空のうごくは心なり、空がうごいて心と成りて、手足へはたらくなり、太刀をにぎつたる拳のうごかぬ時はやうつ程に空をうてとは云也、捧心と云も、心は目に見へぬ物也、見へぬにより空とも云、うごかぬによつて、空とも云也、太刀をにぎりたる手に、心をさゝげて居れども、めには見へぬ也、

書き下し

空と云事、佛法の眼也、空に虚空と眞空との差別あり、虚はいつはりとよむ、眞はまことゝよむ、しかれば虚空とは、いつわりむなしき空にて、何もなき事の譬へに引なり、眞空とは眞實の空也、即心空也、心はかたちなき事は、虚空のごとくなれども、一心は此身の主人にて、よろづのわざをする事、皆心にあり、其心動てはたらく事心のする所也、心の動かぬは空也、空のうごくは心なり、空がうごいて心と成りて、手足へはたらくなり、太刀をにぎつたる拳のうごかぬ時はやうつ程に空をうてとは云也、捧心と云も、心は目に見へぬ物也、見へぬにより空とも云、うごかぬによつて、空とも云也、太刀をにぎりたる手に、心をさゝげて居れども、めには見へぬ也、

現代語訳

空ということは、仏法の眼である。空には虚空と真空との差別がある。虚はいつわりと読み、真はまことと読む。そうであるから、虚空とは、いつわりでむなしい空で、何もないことのたとえに引くものである。真空とは真実の空である。すなわち心の空である。心は形がないことは虚空のようであるが、一心はこの身の主人であって、よろずの働きをするのは、皆心にある。その心が動いて働くことは、心のするところである。心の動かないのは空である。空が動くのは心である。空が動いて心となって、手足へ働くのである。太刀を握った拳の動かない時に早く打つので、空を打てとは言うのである。捧心というのも、心は目に見えないものである。見えないので空とも言い、動かないので空とも言う。太刀を握った手に心を捧げているけれども、目には見えないのである。

解説

この段は、空に虚空と真空の別があると説きます。虚空は偽りでむなしい、何もないことの譬えであり、真空は真実の空で、すなわち心の空だとされます。心は形がなく虚空のようでありながら、身の主人としてあらゆる働きをする、という二面性が語られます。空が動くと心になり、手足へ働くという言い方は、動く前と動いた後を一つの連続として捉えています。したがって、動かないうちに打て、という実戦の指示に理屈が与えられます。仏法の眼とされる空を、虚無ではなく働きの源として読み替えている点は注意すべきです。現代の組織でも、まだ表に出ていない意思や構想が行動の源であり、それを見て働きかけることが、人を動かす要になります。

この章句が説くこと

空虚空真空心の動き仏法の眼兵法家伝書

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