兵法家伝書 / 活人劔捧心拳にある心
又捧心と云は心を捧るとよむ字也、敵の心は、太刀をにぎつたる手にさゝげて居る也、敵のにぎつたる拳のいまだ動ざる所を其まゝうつ也、そのうごくか、うごかぬかの所を見む爲に一去と云也、百病を一去して、空を見はずすなと云也、敵の心が手にある也、手にさゝげて居也、動かぬ所を打を、空をうつと云也、空は動かぬ物也、かたちなければうごかず、空をうつとは、うごかぬ所をはやうてと云義也、
新字:又捧心と云は心を捧るとよむ字也、敵の心は、太刀をにぎつたる手にさゝげて居る也、敵のにぎつたる拳のいまだ動ざる所を其まゝうつ也、そのうごくか、うごかぬかの所を見む為に一去と云也、百病を一去して、空を見はずすなと云也、敵の心が手にある也、手にさゝげて居也、動かぬ所を打を、空をうつと云也、空は動かぬ物也、かたちなければうごかず、空をうつとは、うごかぬ所をはやうてと云義也、
書き下し
又捧心と云は心を捧るとよむ字也、敵の心は、太刀をにぎつたる手にさゝげて居る也、敵のにぎつたる拳のいまだ動ざる所を其まゝうつ也、そのうごくか、うごかぬかの所を見む爲に一去と云也、百病を一去して、空を見はずすなと云也、敵の心が手にある也、手にさゝげて居也、動かぬ所を打を、空をうつと云也、空は動かぬ物也、かたちなければうごかず、空をうつとは、うごかぬ所をはやうてと云義也、
現代語訳
また捧心というのは、心を捧げると読む字である。敵の心は、太刀を握った手に捧げているのである。敵の握った拳がまだ動かないところを、そのまま打つのである。その動くか、動かないかのところを見るために、一去というのである。百病を一去して、空を見はずすなというのである。敵の心が手にある。手に捧げているのである。動かないところを打つのを、空を打つという。空は動かないものである。形がなければ動かない。空を打つとは、動かないところを早く打てということである。
解説
この章句が説くこと
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『兵法家伝書』活人劔「空(敵の心を見る)」偖唯一とは空を云なり、空とはかくし言葉也、祕傳すべし、空とは敵の心を云也、心は形もなく色もなくして、空なる故也、空唯一ッを見るとは、敵の心を見よと云義也、佛法とは此心空をさとる事也、心は空なりと說く人もあれど、悟り曉むる人はまれ也となり、
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『兵法家伝書』活人劔「空(虚空と眞空)」空と云事、佛法の眼也、空に虚空と眞空との差別あり、虚はいつはりとよむ、眞はまことゝよむ、しかれば虚空とは、いつわりむなしき空にて、何もなき事の譬へに引なり、眞空とは眞實の空也、即心空也、心はかたちなき事は、虚空のごとくなれども、一心は此身の主人にて、よろづのわざをする事、皆心にあり、其心動てはたらく事心のする所也、心の動かぬは空也、空のうごくは心なり、空がうごいて心と成りて、手足へはたらくなり、太刀をにぎつたる拳のうごかぬ時はやうつ程に空をうてとは云也、捧心と云も、心は目に見へぬ物也、見へぬにより空とも云、うごかぬによつて、空とも云也、太刀をにぎりたる手に、心をさゝげて居れども、めには見へぬ也、
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『兵法家伝書』活人劔「手に心をさゝげて」手に心をさゝげて、いまだ動かぬ所を、はやうてとなり、此心空は目にも見へずして何もなき者也、いはんとすれば、此心空動きぬれば様々の事をなし、手に取足にふみ、色々の妙を盡すも此空此心のうごき出てなす所也、此心をさとり明むる事は、書を見ても、難成事也、説を聞ても難到道也、書出す人も説く人も、いにしへより書出す法様、説く法様を以て書くばかり説くばかりにて、心に心を得道したる人はまれなると也、
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『兵法家伝書』活人劔「一去(心のとどまりは病)」一 一去と云心持之事 一 空之心持之事 一 捧心之心持之事 右一去と云心は、數々を一ッに去ルと云心也、數々とは病の數々也、病とは心の病也、心に有ル程の病の數々を一ッにして、はらりと去也、病のかず〱は別の卷にしるす也、凡病とは心のとゞまるを云也、佛法に是を着とて以ノ外きらふ也、心が一所に着しとゞまれば、見る所を見はづし、思の外に負を取る也、心のとゞまるを病と云也、此病の數々を一ッにひつくゝつて去れと云心に、一去と云也、數々の病を一去して、唯一を見はづさぬ樣にと也、
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『兵法家伝書』殺人刀「心と身の懸待」一 心と身とに縣待ある事 心をば待に身をば縣にすべし、なぜになれば心縣なれば、はしり過て惡き程に、心をばひかへて、待に持て身を縣にして、敵に先をさせ勝べき也、心が縣なれば、人をまづきらんとして負をとる也、又の儀には心を縣に身を待にとも心得る也、なぜなれば、心は無油斷はたらかして、心を縣にして、太刀をば待にして、人に先をさするの心也、身と云は即太刀を持つ手と心得ればすむ也、然ば心は縣に身は待と云也、兩意なれども極る所は同じ心也、とかく敵に先をさせて勝也
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『兵法家伝書』活人劔「心をかへす」一 心をかゑす事 右の心持は、一太刀打てうつたとおもへば、打たよと思ふ心が、そのまゝそこにとゞまる也、うつた所を心がかゑらぬによりて、うつかと成て、二の太刀を敵にうたれて、先を入たる事も無に成りて、二の太刀をうたれて負る也、心をかへすと云は、一太刀打たらば、うつた所に心をおかず、打てから心をひつかへして、敵の色を見よ、うたれて敵氣を違る也、うたれてやれ口惜や、うたれたよと、おもひていかりも出る物也、いかれば敵きびしく成物也、爰を油斷して敵にうたるゝ者也、うたれた敵は、いかり猪とおもふべし、我は打たと思ふて心をとゞめて油斷する、敵はうたれて氣が出ると覺悟すべし、又うたれたる所を、敵ははや用心するを、我は前の心にてうつて打はづす者也、打はづせば、こして敵が我をうつべし、心をかへすとは、我がうつた所に心をとめず、心を我が身へひつとれと云儀也、心をかへして、敵の氣色を見よと云儀也、又は一むきに、うつた所をかへさずして、程をぬかさず、二重三重たゝみかけて、うつて顏をも敵にふらせぬはたらきも至極の心持也、間不容髮とは是を云也、一ノ太刀と二ノ太刀との間へは髮一筋入べき間もなく、はし〱〱とつゞけてうつ心持也、法戰場とて禪之問答に一句問にこたゆる間へは、髮一筋入程も間なく答ふる也、延びたれば人にのまるゝ也、勝負分明也、間不容髮とは此事也、二重三重にたゝみ打にうつ、太刀の急なる事を云也
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