配所残筆 / 配所殘筆18
我等配所へ被仰付候時分、北條殿より呼に參り候節は、死罪に被仰付候哉、配所へ可參候哉不分明に候間、若死罪に候はゞ一通之書付を差出可申と存、令懷中候、其案文今以殘候、此節者人間之一大事相究、五十年之事夢の覺候樣に有之時分に候得共、聊心底に取亂候事無之候、尤迷惑は仕候、此段者日頃我等學問工夫故と全存候、人間之上には一生に如斯事有之者に候間、覺悟之處如左記置候、 蒙當二千歲之今。大明周公孔子之道。猶欲糺吾誤於天下。開板聖敎要錄之處。當時俗學腐儒。不修身不勤忠孝。况天下國家之用。聊不知之。故於吾書無一句之可論。無一言之可糺。或借權而貪利。或構讒而追蹤。世皆不知之。專任人口而傳虛。不正實否。不詳其書。不究其理。强嘲書罪我。於茲我始安我言之大道無疑。天下無辨之。夫罪我者罪周公孔子之道也。我可罪而道不可罪。罪聖人之道者。時世之誤也。古今天下之公論不可遁。凡知道之輩。必逢天災。其先蹤尤多。乾坤倒覆。日月失光。唯怨生今世。而殘時世之誤於末代。是臣之罪也。誠惶頓首。 十月三日 山鹿甚五左衞門 北條安房守殿 是は令懷中候迄に候、若死罪にて候はゞと存候へ共、別條無之候故出不申候、此文立ながら認て點を付、令懷中候、其以後今日取出候て見申候得ば、急成事故不宜書やうにも存候、乍恐日本大小之神祇一字も後に改候事は無之候、誠に我等辭世の一句にて候、
新字:我等配所へ被仰付候時分、北条殿より呼に参り候節は、死罪に被仰付候哉、配所へ可参候哉不分明に候間、若死罪に候はゞ一通之書付を差出可申と存、令懐中候、其案文今以残候、此節者人間之一大事相究、五十年之事夢の覚候様に有之時分に候得共、聊心底に取乱候事無之候、尤迷惑は仕候、此段者日頃我等学問工夫故と全存候、人間之上には一生に如斯事有之者に候間、覚悟之処如左記置候、 蒙当二千歳之今。大明周公孔子之道。猶欲糺吾誤於天下。開板聖教要録之処。当時俗学腐儒。不修身不勤忠孝。況天下国家之用。聊不知之。故於吾書無一句之可論。無一言之可糺。或借権而貪利。或構讒而追蹤。世皆不知之。専任人口而伝虚。不正実否。不詳其書。不究其理。強嘲書罪我。於茲我始安我言之大道無疑。天下無弁之。夫罪我者罪周公孔子之道也。我可罪而道不可罪。罪聖人之道者。時世之誤也。古今天下之公論不可遁。凡知道之輩。必逢天災。其先蹤尤多。乾坤倒覆。日月失光。唯怨生今世。而残時世之誤於末代。是臣之罪也。誠惶頓首。 十月三日 山鹿甚五左衛門 北条安房守殿 是は令懐中候迄に候、若死罪にて候はゞと存候へ共、別条無之候故出不申候、此文立ながら認て点を付、令懐中候、其以後今日取出候て見申候得ば、急成事故不宜書やうにも存候、乍恐日本大小之神祇一字も後に改候事は無之候、誠に我等辞世の一句にて候、
書き下し
我等配所へ被仰付候時分、北條殿より呼に參り候節は、死罪に被仰付候哉、配所へ可參候哉不分明に候間、若死罪に候はゞ一通之書付を差出可申と存、令懷中候、其案文今以殘候、此節者人間之一大事相究、五十年之事夢の覺候樣に有之時分に候得共、聊心底に取亂候事無之候、尤迷惑は仕候、此段者日頃我等學問工夫故と全存候、人間之上には一生に如斯事有之者に候間、覺悟之處如左記置候、 蒙當二千歲之今。大明周公孔子之道。猶欲糺吾誤於天下。開板聖敎要錄之處。當時俗學腐儒。不修身不勤忠孝。况天下國家之用。聊不知之。故於吾書無一句之可論。無一言之可糺。或借權而貪利。或構讒而追蹤。世皆不知之。專任人口而傳虛。不正實否。不詳其書。不究其理。强嘲書罪我。於茲我始安我言之大道無疑。天下無辨之。夫罪我者罪周公孔子之道也。我可罪而道不可罪。罪聖人之道者。時世之誤也。古今天下之公論不可遁。凡知道之輩。必逢天災。其先蹤尤多。乾坤倒覆。日月失光。唯怨生今世。而殘時世之誤於末代。是臣之罪也。誠惶頓首。 十月三日 山鹿甚五左衞門 北條安房守殿 是は令懷中候迄に候、若死罪にて候はゞと存候へ共、別條無之候故出不申候、此文立ながら認て點を付、令懷中候、其以後今日取出候て見申候得ば、急成事故不宜書やうにも存候、乍恐日本大小之神祇一字も後に改候事は無之候、誠に我等辭世の一句にて候、
現代語訳
私が配所を仰せ付けられた時、北條殿から呼びに来た際には、死罪を仰せ付けられるのか、配所に参るのか、はっきりしませんでした。もし死罪であれば、一通の書付を差し出そうと思い、懐中していました。その案文は今も残っています。この節は、人間の一大事を覚悟し、五十年の生涯も夢から覚めたように思われる時でしたが、少しも心底に取り乱したことはありません。もちろん迷惑はしました。これは日頃の私の学問の工夫のおかげだとつくづく思います。人間には一生にこのような事があるものですから、覚悟のところを左に記しておきます。 二千年の今に当たり、周公・孔子の大明の道を、なお天下に糺そうとして、『聖教要録』を開板いたしました。ところが当世の俗学・腐儒は、身を修めず、忠孝に務めず、まして天下国家の役に立つことを少しも知りません。それゆえ私の書には、論ずべき一句も、糺すべき一言もありません。ある者は権力を借りて利をむさぼり、ある者は讒言を構えて跡を追い、世の人はみなこれを知らず、ひたすら人の口に任せて虚を伝え、実否を正さず、その書を詳しく読まず、その理を究めず、無理に嘲って、書をもって私を罪します。ここにおいて私は初めて、自分の言う大道に疑いがないと安んじました。天下にこれを弁ずる者はありません。そもそも私を罪する者は、周公・孔子の道を罪するのです。私は罪されてもよいが、道は罪されるべきではありません。聖人の道を罪するのは、時世の誤りです。古今天下の公論は逃れることができません。およそ道を知る輩は、必ず天災に遭い、その先例はとても多い。天地が覆り、日月が光を失おうとも、ただ今の世に生まれたことを怨み、時世の誤りを末代に残すこと、これが臣の罪です。恐れ入り、頓首いたします。 十月三日、山鹿甚五左衛門、北條安房守殿。 これは懐中していただけのものです。もし死罪であればと思いましたが、別条がなかったので出しませんでした。この文は立ったまま書いて点を付け、懐中しました。その後、今日取り出して見ると、急なことでしたので、よくない書きようにも思います。恐れながら、日本の大小の神祇に誓って、一字も後から改めたことはありません。まことに私の辞世の一句です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『講孟余話』盡心上 第四十二章此の章専ら「道を以て人に殉ずる者」の非を云ふ。道は吾が身に存す、故に身は道の宅なり。道を以て人に殉ずるとは、道を抱きたる身を持ちながら、人に曲従阿諛し、非に陥り悪に没することにて、左すれば吾が身の道が他人の為に滅び死する故に、道が人の殉死となるなり。是れ「道を以て人に殉ず」の義なり。仁斎云く、「道の外に身なく、身の外に道なし。故に道を以て身に殉ずるに非ずんば、則ち身を以て道に殉ず。時に治否ありと雖も、而して身の道と、未だ嘗て相離れず」と。此の説、身と道との間、説き得て明白なり。別に議論に及ばず、只道と身と一物と成りて外道邪魔を防禦すべし。本文「人に殉ず」の意を反して云ふ。大要にて云はば、道は身の本尊にて、身の尊き所以は道にあり。身は道の伽藍にて、道の安置する所は身なり。如何なる大伽藍ありても、本尊なければ伽藍と云ふべからず。如何なる難有き本尊にても、水に流し火に投じては、灰塵となり泥沙に埋もるるのみ。故に本尊を守護するは伽藍に如くはなし、道を守護するは身に如くはなし。道の身と離れて相済まざるは、猶本尊と伽藍との如し。
-
史記 伯夷列伝伯夷・叔斉は孤竹の君の二子なり。父、叔斉を立てんと欲す。父卒するに及び、叔斉、伯夷に譲る。伯夷曰く、「父の命なり」と、遂に逃げ去る。叔斉も亦た立つを肯ぜずして之を逃る。国人、其の中子を立つ。是に於いて伯夷・叔斉、西伯昌の善く老を養ふを聞き、盍ぞ往きて帰せざらん、と。至るに及び、西伯卒す。武王、木主を載せ、号して文王と為し、東して紂を伐つ。伯夷・叔斉、馬を叩へて諫めて曰く、「父死して葬らず、爰に干戈に及ぶは、孝と謂ふ可きか。臣を以て君を弑するは、仁と謂ふ可きか」と。左右、之を兵せんと欲す。太公曰く、「此れ義人なり」と、扶けて之を去らしむ。武王、已に殷の乱を平らげ、天下、周を宗とす。而るに伯夷・叔斉は之を恥ぢ、義として周の粟を食らはず、首陽山に隠れ、薇を采りて之を食らふ。餓ゑて且に死せんとするに及び、歌を作る。其の辞に曰く、「彼の西山に登り、其の薇を采る。暴を以て暴に易へ、其の非を知らず。神農・虞・夏、忽焉として没わる。我、安にか適きて帰せん。于嗟、徂かん、命は之れ衰へたり」と。遂に首陽山に餓死す。
-
孟子・公孫丑章句下孟子、臣為るを致して歸る。王就いて孟子を見て曰く、「前日、見んことを願いて得可からず。同朝に侍するを得て甚だ喜べり。今、又寡人を棄てて歸る。識らず、以て此に繼いで見るを得可きか。」對えて曰く、「敢て請わざるのみ。固より願う所なり。」他日、王、時子に謂いて曰く、「我、中國にして孟子に室を授け、弟子を養うに萬鍾を以てし、諸大夫國人をして、皆矜式する所有らしめんと欲す。子盍ぞ我が為に之を言わざる。」時子、陳子に因りて以て孟子に告げしむ。陳子、時子の言を以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「然り。夫の時子惡くんぞ其の不可なるを知らんや。如し予をして富を欲せしめば、十萬を辭して萬を受く。是れ富を欲すと為さんか。季孫曰く、『異なるかな子叔疑。己をして政を為さしむ。用いられざれば則ち亦た已まん。又其の子弟をして卿為らしむ。人亦た孰か富貴を欲せざらん。而して獨り富貴の中に於いて、龍斷を私する有り。』古の市為るや、其の有る所を以て其の無き所に易う者なり。有司は、之を治むるのみ。賤丈夫有り。必ず龍斷を求めて之に登り、以て左右望して市利を罔せり。人皆以て賤しと為す。故に從って之を征す。商を征するは、此の賤丈夫自り始まる。」
-
孟子・告子章句上孟子曰く、「魚は我が欲する所なり。熊掌も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、魚を舍てて熊掌を取る者なり。生も亦た我が欲する所なり。義も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、生を舎てて義を取る者なり。生も亦た我が欲する所なれども、欲する所生より甚だしき者有り。故に苟くも得るを為さざるなり。死も亦た我が惡む所なれども、惡む所死より甚だしき者有り。故に患も辟けざる所有るなり。如し人の欲する所をして生より甚だしきもの莫からしめば、則ち凡そ以て生を得可き者は、何ぞ用いざらんや。人の惡む所をして死より甚だしき者莫からしめば、則ち凡そ以て患いを辟く可き者は、何ぞ為さざらんや。是に由れば則ち生くるも、而も用いざること有るなり。是に由れば則ち以て患いを辟く可きも、而も為さざること有るなり。是の故に欲する所、生より甚だしき者有り、惡む所、死より甚だしき者有り。獨り賢者のみ是の心有るに非ざるなり。人皆之れ有り。賢者は能く喪うこと勿きのみ。一簞の食、一豆の羹も、之を得れば則ち生き、得ざれば則ち死す。嘑爾(コ・ジ)として之を與うれば、道を行くの人も受けず。蹴爾として之を與うれば、乞人も屑(いさぎよい)しとせざるなり。萬鍾は則ち禮義を辨ぜずして之を受く。萬鍾は我に於て何をか加えん。宮室の美・妻妾の奉・識る所の窮乏者の我に得るが為か。鄉には身の死するが為にして受けず。今は宮室の美の為に之を為す。鄉には身の死するが為にして受けず。今は妻妾の奉の為に之を為す。鄉には身の死するが為にして受けず。今は識る所の窮乏者の我に得るが為にして之を為す。是れ亦た以て已む可からざるか。此を之れ其の本心を失うと謂う。」
-
史記 屈原賈生列伝乃ち懐沙の賦を作る。其の辞に曰く、「陶陶たる孟夏、草木莽莽たり。懐ひを傷ましめ永く哀しみ、汩として南土に徂く。眴として窈窈たり、孔だ静かにして幽墨なり。冤結紆軫し、愍に離ひて之れ長く鞠しむ。情を撫し志を效し、俛詘して以て自ら抑ふ。方を刓りて以て圜と為すも、常度未だ替らず。初めを易へ由るを本とするは、君子の鄙しむ所なり。画を章かにし墨を職とし、前度未だ改めず。内直く質重きは、大人の盛んとする所なり。巧匠斲らずんば、孰か其の揆の正しきを察せん。玄文幽処すれば、矇は之を章かならずと謂ふ。離婁微睇するも、瞽は以て明無しと為す。白を変じて黒と為し、上を倒にして以て下と為す。鳳皇笯に在りて、雞雉翔舞す。玉石を同糅して、一概にして相量る。夫の党人の鄙妒なる、羌吾が臧する所を知らず。任重く載盛んにして、陥滞して済らず。瑾を懐き瑜を握るも、窮して示す所を得ず。邑犬群がりて吠ゆるは、怪しむ所に吠ゆるなり。駿を誹り桀を疑ふは、固より庸態なり。文質疏内なるも、衆は吾の異采を知らず。材樸委積するも、余の有する所を知る莫し。仁を重ね義を襲ね、謹厚以て豊と為す。重華牾ふべからず、孰か余の従容を知らん。迸より固より并ばざる有り、豈に其の故を知らんや。湯禹久遠にして、邈として慕ふべからず。違ふを懲らし忿りを改め、心を抑へて自ら彊む。湣に離ひて遷らず、志の象有らんことを願ふ。路を進めて北に次り、日は昧昧として其れ将に暮れんとす。憂ひを含み哀しみを虞み、之を限るに大故を以てす。乱に曰く、浩浩たる沅・湘、分流して汨たり。修路幽拂にして、道遠く忽たり。曾ち唫じて恒に悲しみ、永く嘆じて慨く。世既に吾を知る莫く、人心謂ふべからず。情を懐き質を抱き、独り匹無し。伯楽既に歿し、驥将た焉くにか程らん。人生命を稟け、各々錯く所有り。心を定め志を広くせば、余何ぞ畏懼せん。曾ち傷み爰に哀しみ、永く嘆喟す。世溷りて吾を知らず、心謂ふべからず。死の譲るべからざるを知る、願はくは愛しむ勿からん。明らかに以て君子に告ぐ、吾将に以て類と為さんとす」と。
-
孟子・盡心章句上孟子、宋句踐に謂いて曰く、「子、遊を好むか。吾、子に遊を語らん。人、之を知るも亦た囂囂(ゴウ・ゴウ)たり。人、知らざるも亦た囂囂たり。」曰く、「何如なれば斯に以て囂囂たる可き。」曰く、「徳を尊び義を樂しめば、則ち以て囂囂たる可し。故に士は窮しても義を失わず、達しても道を離れず。窮しても義を失わず、故に士は己を得。達しても道を離れず、故に民は望みを失わず。古の人は、志を得れば、澤、民に加わり、志を得ざれば、身を修めて世に見わる。窮すれば則ち獨り其の身を善くし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る