群書治要 / 『群書治要』後漢書・赤心を人の腹に置く
更始立世祖為蕭王、世祖擊銅馬、高湖、重連、悉破降之、封其渠帥為列侯、降者猶不自安、世祖敕令各歸營勒兵、乃自乘輕騎案行部陳。降者更相語曰:蕭王推赤心置人腹中、安得不投死乎。由是皆服。
新字:更始立世祖為蕭王、世祖撃銅馬、高湖、重連、悉破降之、封其渠帥為列侯、降者猶不自安、世祖勅令各帰営勒兵、乃自乗軽騎案行部陳。降者更相語曰:蕭王推赤心置人腹中、安得不投死乎。由是皆服。
書き下し
更始、世祖を立てて蕭王と為す。世祖、銅馬・高湖・重連を撃ち、悉く破りて之を降し、其の渠帥を封じて列侯と為す。降る者猶お自ら安んぜず。世祖、各々営に帰り兵を勒えしめ、乃ち自ら軽騎に乗りて部陳を案行す。降る者更ごも相語りて曰く、蕭王は赤心を推して人の腹中に置く、安くんぞ死を投ぜざるを得んや、と。是れ由り皆服す。
現代語訳
更始帝は世祖を蕭王に立てました。世祖は銅馬・高湖・重連を撃ち、ことごとく破って降伏させ、その首領を列侯に封じました。降伏した者たちはなお安心できずにいたので、世祖はそれぞれ営に帰って兵を整えるよう命じ、自らは軽装の騎兵で陣営を巡り見ました。降伏した者たちは互いに語り合いました。「蕭王は赤心を人の腹の中に置いてくださる。どうして死力を尽くさずにいられようか。」こうしてみな心服しました。
解説
後漢の光武帝(世祖)が、降伏した敵の兵を受け入れたときの逸話で、『後漢書』の本紀にあります。降伏者がなお疑われていると感じているのを察し、護衛を連ねず軽騎で自ら陣中を巡って、信じていると行動で示しました。『赤心を人の腹中に置く』は、のちに人を信じて任せる姿勢を表す言葉として知られます。買収や統合で加わった人、異動してきたばかりの人に、まず信頼を行動で示すことが、組織の一体感につながります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
赤心降伏者信頼軽騎光武帝心服
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