群書治要 / 『群書治要』漢書・宰相は小事を問わない
丙吉、字少卿、魯國人也。代魏相為丞相、吉本起獄法小吏、及居相位、尚寬大、好禮讓、嘗出、逢清道羣鬥者、死傷横道、吉過之不問、掾史獨怪之、吉前行、逢人逐牛、牛喘、吉止駐、使騎吏問、逐牛行幾里矣。掾史謂丞相前後失問、或以譏吉。吉曰:民鬥相殺傷、長安令京兆尹、職所當禁備逐捕、歲竟丞相課其殿最、奏行賞罰而已、宰相不親小事、非所當於道路問也。方春少陽用事、未可以熱、恐牛近行用暑故喘、此時氣失節、恐有所傷害也。三公典調和陰陽、職所當憂、是以問之、掾史乃服、以吉知大體。
新字:丙吉、字少卿、魯国人也。代魏相為丞相、吉本起獄法小吏、及居相位、尚寛大、好礼譲、嘗出、逢清道羣鬥者、死傷横道、吉過之不問、掾史独怪之、吉前行、逢人逐牛、牛喘、吉止駐、使騎吏問、逐牛行幾里矣。掾史謂丞相前後失問、或以譏吉。吉曰:民鬥相殺傷、長安令京兆尹、職所当禁備逐捕、歳竟丞相課其殿最、奏行賞罰而已、宰相不親小事、非所当於道路問也。方春少陽用事、未可以熱、恐牛近行用暑故喘、此時気失節、恐有所傷害也。三公典調和陰陽、職所当憂、是以問之、掾史乃服、以吉知大体。
書き下し
丙吉は、字は少卿、魯国の人なり。魏相に代わりて丞相と為る。吉は本と獄法の小吏より起こり、相位に居るに及びて、尚お寛大にして、礼譲を好む。嘗て出でて、道を清むる群闘する者に逢う。死傷して道に横たわる。吉過ぎて問わず。掾史独り之を怪しむ。吉前行して、人の牛を逐う者に逢う。牛喘ぐ。吉止まり駐まり、騎吏をして問わしむ、牛を逐うこと行くこと幾里ぞ、と。掾史は丞相の前後に問いを失うと謂い、或いは以て吉を譏る。吉曰く、民の闘いて相殺傷するは、長安令・京兆尹の、職として禁備逐捕すべき所なり。歳竟りて丞相其の殿最を課し、賞罰を奏行するのみ。宰相は小事を親しくせず、当に道路に問うべき所に非ず。方に春少陽事を用い、未だ熱かる可からず。恐らくは牛近く行きて暑を用いるが故に喘ぐか。此れ時気節を失い、傷害する所有らんことを恐るるなり。三公は陰陽を調和することを典り、職として憂うべき所なり。是を以て之を問う、と。掾史乃ち服し、吉の大体を知るを以てす。
現代語訳
丙吉は字を少卿といい、魯国の人です。魏相に代わって丞相となりました。もともと獄法を扱う小役人から起こり、相位に就いてからも寛大で、礼と謙譲を好みました。ある時、外出して道を清める行列に出会うと、群れ争う者がいて、死傷者が道に横たわっていました。吉は通り過ぎて問いませんでした。属吏たちは不思議に思いました。さらに進むと、人が牛を追っているのに出会い、牛は喘いでいました。吉は馬を止め、騎吏に、この牛を追ってどれくらい行ったかと尋ねさせました。属吏は、丞相は前後で問うべきことを誤ったとして、あるいは吉をそしりました。吉は言いました。「民が争って殺傷するのは、長安令や京兆尹が職務として禁じ、備え、捕らえるべきことです。年末に丞相がその成績を考査して、賞罰を上奏するだけのことです。宰相は自ら小事を扱わず、道ばたで問うべきことではありません。いまは春で少陽が働く時で、まだ暑くなるはずがありません。牛が近い道でも暑さのために喘いでいるのではないかと恐れたのです。これは時気が節度を失い、害が出ることを恐れたのです。三公は陰陽の調和をつかさどるのが職務で、憂えるべきことですから問いました。」属吏たちはこれに服し、吉は大体を知っていると見ました。
解説

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『忍経』醉飽之過,不過吐嘔丙吉、相と爲る。馭史頻りに罪あり、西曹の曹之を罪せんとす。吉曰く、「醉飽の過を以て人を斥けば、安くに歸せしめんと欲するか。丞相の東茵に吐嘔するに過ぎず」と。西曹第だ之を忍ぶ。
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『智囊』見大・丙吉・郭進吉、相と為るや、馭吏に酒を嗜む者有り、吉に従いて出で、酔いて丞相の車上に嘔す。西曹の主吏は白して之を斥けんと欲す。吉曰く、醉飽の失を以て士を去らば、此の人をして復た何れに容れしめんや。西曹は第だ之を忍べ。此れ丞相の車茵を汚すに過ぎざるのみ、と。此の馭吏は辺郡の人にして、辺塞の奔命警備の事を習知す。嘗て出でて、適たま駅騎の赤白の囊を持ち、辺郡の奔命の書を発して馳せ至るを見る。馭吏は因りて駅騎に随いて公車に至り、刺取して、虜の雲中・代郡に入るを知り、遽に帰る。吉に見えて状を白し、因りて曰く、虜の入る所の辺郡は、二千石の長吏に老病にして兵馬に任えざる者有らん。宜しく豫め視るべし、と。吉は其の言を善とし、東曹を召して辺長吏を案じ、其の人を科条せしむ。未だ已まざるに、詔して丞相・御史を召し、入る所の郡吏を問う。吉は具に対う。御史大夫は卒遽にして詳らかに知る能わず、以て譴讓を得たり。而して吉は辺を憂い職を思うと謂われしは、馭吏の力なり。郭進は山西巡検に任ず。軍校の闕に詣りて進を訟うる者有り。上は召して訊い、其の誣なるを知り、即ち遣りて進に送り、之を殺さしむ。会たま并寇入る。進は其の人に謂いて曰く、汝は能く我を訟う、信に胆気有り。今、汝の罪を赦す。能く并寇を掩殺せば、即ち汝を朝に薦めん。如し敗れなば、即ち自ら河に役せよ。我が剣を汚す毋かれ、と。其の人は踴躍して赴き闘い、竟に大捷す。進は即ち薦めて之を擢く。〔馮述評〕小過を容るる者は、一長を以て酬いられ、大仇を釈す者は、死力を以て報いらる。唯だ酬報の情の中に迫れば、故に其の長は之に触れて必ず試み、其の力は之に激して必ず竭くす。彼の過ちを索め仇を尋ぬる者は、豈に大愚に非ずや。
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廟堂忠告・調燮第五人皆曰う、陰陽を燮理(しょうり)するは宰相の事たり、と。然れども世を挙げて苐(た)だ能く其の辞を道うのみにて、迄(つい)に陰陽何の術を以て燮理すべきかを知らず。書の周官(しゅうかん)を按ずるに、三公は道を論じ邦を経(おさ)め、陰陽を燮理すと。蓋し周の三公は即ち今の宰輔(さいほ)なり。而して漢の丞相丙吉(へいきつ)も亦た曰く、宰相は上は天子を佐(たす)け、陰陽を理(おさ)め、四時に順(したが)う、と。厥(そ)の後又灾異(さいい)に三公を免ずるの制有り、世俗の云う所、蓋し諸(これ)を此に本(もと)づく。切(せつ)に嘗て即ち是を以て思うに、宰相の調燮(ちょうしょう)する所以の者は、能く旱(ひでり)にして之を雨らしめ、雨にして之を暘(は)らしむるに非ず。要は人事を尽くして以て天地の和を来たすを越えざるのみ。夫れ天の人に与(お)けるや、判然たるが若くにして実は相表裏す。蓋し政事順なれば則ち民心順なり、民心順なれば則ち天地の気順なり、天地の気順なれば則ち陰陽従いて序す。若し廼(すなわ)ち勢いを怙(たの)みて威を立て、権を挟みて欲を縦(ほしいまま)にし、人を悪(にく)みて己に異ならしめ、謟佞(とうねい)是れ親しみ、言う所の者に言わず、救う所の者を救わず、上下相蒙(あいおお)いて惟だ命に従うことを務む。此くの如くにして民心の順、陰陽の気の和を望まんと欲するも、難きかな。大氐(たいてい)天道の災祥(さいしょう)は民心の苦楽を視、民心の苦楽は政事の失得を視、政事の失得は宰相の賢と不賢とを視る。昔丙吉、死人を舎(お)きて牛の喘(あえ)ぐを問う。自ら以て体(たい)を得たりと為すも、殊に天道の逆順は当に政事に於いて之を観るべく、固より区区(くく)たる一牛の喘ぐと喘がざるとに在らざるを知らざるなり。晋の庾冰(ゆひょう)相と為るや、或るひと、天文錯度(さくど)すれば宜しく消禦(しょうぎょ)の道を尽くすべしと謂う。冰曰く、玄象(げんしょう)豈に吾が側(かたわ)らにする所ならんや、正に当に人事を勤め尽くすべし、と。冰の此の言、蕳眀切要(かんめいせつよう)にして、深く宰相の体を得たる者と謂うべし。苟(いやし)くも政事脩整(しゅうせい)ならば、陰陽の和応ぜずと雖も、乃ち天道の変なり、又何をか慊(あきた)らざらん。苟くも政事龐焉(ほうえん)棼焉(ふんえん)として理(おさ)まらざれば、禎祥(ていしょう)集まりて風雨時に若(したが)うと雖も、顧(かえ)りて敢えて以て治まると為さんや。嗚呼、凡そ相為(た)る者、誠に能く是を以て之を求むれば、則ち天人の理瞭然(りょうぜん)たり。
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