忍経 / 醉飽之過,不過吐嘔
丙吉為相,馭史頻罪,西曹曹罪之。吉曰:「以醉飽之過斥人,欲令安歸乎?不過吐嘔丞相東茵。」西曹第忍之。
新字:丙吉為相,馭史頻罪,西曹曹罪之。吉曰:「以酔飽之過斥人,欲令安帰乎?不過吐嘔丞相東茵。」西曹第忍之。
書き下し
丙吉、相と爲る。馭史頻りに罪あり、西曹の曹之を罪せんとす。吉曰く、「醉飽の過を以て人を斥けば、安くに歸せしめんと欲するか。丞相の東茵に吐嘔するに過ぎず」と。西曹第だ之を忍ぶ。
現代語訳
丙吉(漢の宰相)が丞相であったとき、御者がたびたび過ちを犯し、西曹(人事を扱う部署)の役人がこれを罰しようとしました。丙吉は「酒に酔い満腹した上での過ちで人を追い出したら、その者はどこへ身を寄せればよいのか。丞相の車の敷物に吐いた程度のことにすぎない」と言いました。西曹の役人は、ただこれを堪えて見過ごしました。
解説
前漢の宰相丙吉の逸話で、『漢書』丙吉伝に見える話です。御者が酒に酔って丞相の車の敷物に吐いたとき、担当の役人は処分しようとしましたが、丙吉は止めました。免職にすれば、その者は行き場を失うという理由です。この御者は後に辺境の事情に通じていたことで丙吉を助けた、と伝えられています。過ちの大きさと罰の重さを釣り合わせ、人の暮らしまで考える視点がここにあります。職場でも、小さな失敗に対して必要以上の処分をしていないか、その人の先の人生まで見て判断したいところです。
この章句が説くこと
忍寛容過ち丙吉処罰
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