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五常訓 / 巻之五・智

日月の蝕すれども、やがてもとの如くになれば、光明少しも缺けざるが如し。凡人の諫を好んできゝ用ひ、我が過を改むるは、善これより大なるはなし。天下の美德なり。知と云ふべし。古より、たかき賤しき、諫を好んで用ふる人は、國家をおこし、身をおこす。諫をふせぐは、惡これより大なるは無し。天下の惡德なり。愚と云ふべし。古より、諫をふせぐものは、貴も賤も、多くはほろぶ。古來其證據明なり。夫明鏡といへども、其うらを照らさず。君子といへども、自ら見るに昧し。故に賢人君子は、つとめて人の諫をもとむ。堯に諫の鼓あり。いさめんとする人は、此鼓をうつ。舜に誹謗の木あり。木をけづりて、路頭に立て置きて、其身の行と、政の惡しきことを誹らしむ。

新字:日月の蝕すれども、やがてもとの如くになれば、光明少しも欠けざるが如し。凡人の諫を好んできゝ用ひ、我が過を改むるは、善これより大なるはなし。天下の美徳なり。知と云ふべし。古より、たかき賤しき、諫を好んで用ふる人は、国家をおこし、身をおこす。諫をふせぐは、悪これより大なるは無し。天下の悪徳なり。愚と云ふべし。古より、諫をふせぐものは、貴も賤も、多くはほろぶ。古来其証拠明なり。夫明鏡といへども、其うらを照らさず。君子といへども、自ら見るに昧し。故に賢人君子は、つとめて人の諫をもとむ。堯に諫の鼓あり。いさめんとする人は、此鼓をうつ。舜に誹謗の木あり。木をけづりて、路頭に立て置きて、其身の行と、政の悪しきことを誹らしむ。

書き下し

日月の蝕すれども、やがてもとの如くになれば、光明少しも欠けざるが如し。凡人の諫を好んできき用ひ、我が過を改むるは、善これより大なるはなし。天下の美徳なり。知と云ふべし。古より、たかき賤しき、諫を好んで用ふる人は、国家をおこし、身をおこす。諫をふせぐは、悪これより大なるは無し。天下の悪徳なり。愚と云ふべし。古より、諫をふせぐものは、貴も賤も、多くはほろぶ。古来其証拠明なり。夫明鏡といへども、其うらを照らさず。君子といへども、自ら見るに昧し。故に賢人君子は、つとめて人の諫をもとむ。堯に諫の鼓あり。いさめんとする人は、此鼓をうつ。舜に誹謗の木あり。木をけづりて、路頭に立て置きて、其身の行と、政の悪しきことを誹らしむ。

現代語訳

日月が蝕しても、やがてもとのようになれば、光明が少しも欠けないようなものです。およそ人の諫めを好んで聞き入れ、自分の過ちを改めることほど大きな善はありません。天下の美徳です。知というべきです。昔から、身分の高い者も低い者も、諫めを好んで用いる人は国家を興し、身を興します。諫めを拒むことほど大きな悪はありません。天下の悪徳です。愚というべきです。昔から、諫めを拒む者は、貴い者も賤しい者も多くは滅びます。昔からその証拠は明らかです。そもそも明るい鏡でも、その裏を照らすことはできません。君子であっても、自分を見ることには暗いものです。だから賢人君子は努めて人の諫めを求めるのです。堯には諫めの鼓がありました。諫めようとする人はこの鼓を打ちます。舜には誹謗の木がありました。木を削って路頭に立てておき、自分の行いと政治の悪いところを批判させたのです。

解説

君子の過ちは日月の蝕のようなもので、改めれば光は少しも欠けないという比喩は、論語子張篇の子貢の言葉を踏まえています。益軒は、諫めを好んで用いる者は国も身も興し、諫めを拒む者は多く滅びると断じます。堯の「諫めの鼓」や舜の「誹謗の木」は、君主が批判を受け止める仕組みを自ら設けた伝説です。明鏡も自分の裏は照らせないのだから、耳の痛い意見を集める仕組みがいる、というのは、目安箱や内部通報制度の考え方そのものです。

この章句が説くこと

諫め過ち君主鏡組織

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