導師導古典を学びたいすべての人に

五常訓 / 巻之四・義

斯あらんよりは、義を行ひて、死して榮名を世にのこさんこそ、亡きあとまでの面目ならめ。見得思義とは、財と祿とを得るに、みだりに利をむさぼりて、得まじき物をとるは、義にあらず。此物、わが得べき義か、得べからざる義かと、みづから思案して、義にあたらば得べし。義に害あらば得べからず。もし得べからざる義ならば、萬鍾の祿は云ふに及ばず、一介といへども人に取るべからず。もし取るべき義にあらば、舜の、堯の天下を得たまふも、不義なりとすべからず。得べからざる義にあたりても、わが得る方に心ひかれて、得ても義に害なしと思ふは、私欲にひかれて、是非の心迷ひくらきなり。

新字:斯あらんよりは、義を行ひて、死して栄名を世にのこさんこそ、亡きあとまでの面目ならめ。見得思義とは、財と禄とを得るに、みだりに利をむさぼりて、得まじき物をとるは、義にあらず。此物、わが得べき義か、得べからざる義かと、みづから思案して、義にあたらば得べし。義に害あらば得べからず。もし得べからざる義ならば、万鍾の禄は云ふに及ばず、一介といへども人に取るべからず。もし取るべき義にあらば、舜の、堯の天下を得たまふも、不義なりとすべからず。得べからざる義にあたりても、わが得る方に心ひかれて、得ても義に害なしと思ふは、私欲にひかれて、是非の心迷ひくらきなり。

書き下し

斯あらんよりは、義を行ひて、死して栄名を世にのこさんこそ、亡きあとまでの面目ならめ。見得思義とは、財と禄とを得るに、みだりに利をむさぼりて、得まじき物をとるは、義にあらず。此物、わが得べき義か、得べからざる義かと、みづから思案して、義にあたらば得べし。義に害あらば得べからず。もし得べからざる義ならば、万鍾の禄は云ふに及ばず、一介といへども人に取るべからず。もし取るべき義にあらば、舜の、堯の天下を得たまふも、不義なりとすべからず。得べからざる義にあたりても、わが得る方に心ひかれて、得ても義に害なしと思ふは、私欲にひかれて、是非の心迷ひくらきなり。

現代語訳

そのようであるよりは、義を行って、死んで栄誉ある名を世に残してこそ、亡き後までの面目でしょう。「得ることを見ては義を思う」とは、財や禄を得るのに、みだりに利をむさぼって、得てはならない物を取るのは義ではないということです。この物は自分が得てよい義か、得てはならない義かと、自ら思案して、義に当たれば得てよいのです。義に害があれば得てはなりません。もし得てはならない義であれば、万鍾の禄は言うまでもなく、塵ひとつであっても人から取ってはなりません。もし取るべき義であれば、舜が堯の天下を得られたのも、不義とすべきではありません。得てはならない義に当たっても、自分の得る方に心が引かれて、得ても義に害はないと思うのは、私欲に引かれて、是非の心が迷い暗くなっているのです。

解説

子張の言葉の後半「得を見ては義を思ふ」を説明しています。得てよいかどうかを自分で判断し、義に反すれば万鍾の禄も一粒の芥(一介)も受け取らず、義にかなえば舜が堯から天下を譲られたように大きなものでも受けてよいという基準は、『孟子』万章上の議論にもとづいています。欲しい気持ちが強いと「これくらいなら問題ない」と自分に言い訳してしまうという指摘は鋭く、利益相反や贈答の扱いに悩む場面でも自分を戒める言葉になります。

この章句が説くこと

義利論語孟子私欲

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る