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五常訓 / 巻之四・義

一見危致命、見得思義。論語子張之語也。人の危難なるを見ては、我が命ををしまず。君父のために身をすつるは、言ふに及ばず、朋友といへども、時宜によるべし。或は朋友と相ともなひて、道を行く時、不意に敵する者ありて、朋友を殺さんとす。たとひ我が老父母ありとも、其所を退き去て、身をのがるべき義にあらず。身をすて、敵をふせぎて、友を助くべし。是危きを見て、命を致すなり。此時もし、われ父母ありと言ひて逃去らば、義にあらず。いまだ事も無き常の時に、かねて朋友に我が身を許し與ふるは、義にあらず、不孝といふべし。時にあたりて危きを見て、命をすつるは義なり、不孝にあらず。凡義をすてゝ行はざれば、死ぬべき節義にあたりても、身をのがれ、かひなき命生きて、恥を世々につたふ。

新字:一見危致命、見得思義。論語子張之語也。人の危難なるを見ては、我が命ををしまず。君父のために身をすつるは、言ふに及ばず、朋友といへども、時宜によるべし。或は朋友と相ともなひて、道を行く時、不意に敵する者ありて、朋友を殺さんとす。たとひ我が老父母ありとも、其所を退き去て、身をのがるべき義にあらず。身をすて、敵をふせぎて、友を助くべし。是危きを見て、命を致すなり。此時もし、われ父母ありと言ひて逃去らば、義にあらず。いまだ事も無き常の時に、かねて朋友に我が身を許し与ふるは、義にあらず、不孝といふべし。時にあたりて危きを見て、命をすつるは義なり、不孝にあらず。凡義をすてゝ行はざれば、死ぬべき節義にあたりても、身をのがれ、かひなき命生きて、恥を世々につたふ。

書き下し

一危きを見ては命を致し、得るを見ては義を思ふ。論語子張の語なり。人の危難なるを見ては、我が命ををしまず。君父のために身をすつるは、言ふに及ばず、朋友といへども、時宜によるべし。或は朋友と相ともなひて、道を行く時、不意に敵する者ありて、朋友を殺さんとす。たとひ我が老父母ありとも、其所を退き去て、身をのがるべき義にあらず。身をすて、敵をふせぎて、友を助くべし。是危きを見て、命を致すなり。此時もし、われ父母ありと言ひて逃去らば、義にあらず。いまだ事も無き常の時に、かねて朋友に我が身を許し与ふるは、義にあらず、不孝といふべし。時にあたりて危きを見て、命をすつるは義なり、不孝にあらず。凡義をすてて行はざれば、死ぬべき節義にあたりても、身をのがれ、かひなき命生きて、恥を世々につたふ。

現代語訳

「危うきを見ては命を投げ出し、得ることを見ては義を思う」。これは『論語』の子張の言葉です。人の危難を見ては、自分の命を惜しみません。君や父のために身を捨てるのは言うまでもなく、朋友であっても、時と場合によるべきです。たとえば朋友と連れ立って道を行くとき、不意に敵対する者が現れて朋友を殺そうとしたならば、たとえ自分に年老いた父母がいても、その場を退き去って身を逃れるべき義ではありません。身を捨て、敵を防いで友を助けるべきです。これが危うきを見て命を投げ出すことです。このときもし、自分には父母がいるといって逃げ去れば、義ではありません。まだ何事もない平常のときに、あらかじめ朋友に自分の身を許し与えるのは義ではなく、不孝というべきです。その時に当たって危うきを見て命を捨てるのは義であり、不孝ではありません。およそ義を捨てて行わなければ、死ぬべき節義に当たっても身を逃れ、かいのない命を生き延びて、恥を代々に伝えます。

解説

『論語』子張篇の子張の言葉「士は危を見ては命を致し、得を見ては義を思ふ」を解説しています。友が襲われたとき、老いた親がいるからと逃げるのは義ではないが、平時から友に命を預ける約束をするのは親から受けた身を軽んじる不孝だと、時と場合による判断を具体的に示しています。『礼記』曲礼上にも「父母存すれば友に許すに死を以てせず」とあります。いざという時に逃げない覚悟と、日頃は命を大切にする分別の両方を持つことの大切さを教えています。

この章句が説くこと

義論語節義孝友

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